#23
筋肉が徐々に破壊されるという病気の性質上、即効性のある回復が望めないのであればシスターの側にいる理由も無い。そう考えた僕は質素な寝室から辞去することにした。
程なく志織も寝室から出て来て、言った。
「こんな時魔眼があればシスターの状態がひと目で判ったんですけど」
「……使いたいかい?魔眼」
「使いたいって言ったら、ユートさんに怒られますから」
曖昧な笑みを浮かべた志織は冗談めかしてそう言う。怒られる、か……。その程度で済めば良いのだけど。
もし志織が本気で魔眼を……つまりチート能力を使うことを望んだとしたら、それは僕達の世界に対する裏切りに他ならない。
僕は志織の事を信じると決めたけど、それでも彼女が――そう、決定的な瞬間に裏切る可能性がある以上、まだ完全に志織に心を許すべきではないのかもしれない。
……ふとそんな疑念が脳裏に浮かぶ。けど志織を信じられなくなることこそが悪魔の狙いなのかもしれないと考え、僕は思わず苦笑した。
志織はシスターの経過観察をしたいと申し出てきた。僕自身はあまりその必要性を感じなかったけど、志織が納得できることが必要だと考え、彼女の求めた2日間だけアケトアテンへ留まることにした。
なにせこの世界は時間の流れが速い。2日多めに滞在したところで、現実世界での経過時間は1時間ちょっとだ。既に1ヶ月もこの世界にいた訳だから、いまさらその程度の時間滞在が延びたところでそう影響は無いだろう。……無論、僕の欠席カウントも含めて。
翌日、シスターは殆ど動かせなくなっていた手を持ち上げることが出来るようになった。進行性の病である脱力病の患者として、それはあり得ないことだと志織は言った。
「この脱力病って、昨日は出来たことが、今日は出来なくなる病気なんです。でもシスターは昨日出来なかったことが今日出来るようになった。たぶん、明日にはまた別のことが出来るようになるはずです」
「つまり、治ったとみて良い訳かな?」
「……はい。ありがとうございます、ユートさん」
「僕は何もしてないよ。もともと志織が独りでやろうとしていた事だし、きっと独りでも成し遂げていた事だろうからね」
「それでも、感謝したいんです」
「そっか。僕の働きを考えたら過分な言葉だと思うけど……気持ちは受け取っておくよ」
僕の言葉に志織は笑みを浮かべると続けた。
「ね、ユートさん。カルナックの森で馬に掛けた魔法……リジェネなんとかでしたっけ?あれをシスターに使う事って出来ませんか?もしかしたら、もっと回復が早くなるかもって思うんですけど」
「シスターの体力勝負な所はあるけど、病状が好転している今なら『再生』が筋力を取り戻す補助にはなるかもしれないね」
「じゃあ、お願いしてもいいですか!?」
食い気味に志織はそう言ってくる。まぁそれもそうだろう。僕達は明日の夜にこの世界を発つ予定だ。それまでにシスターが完治している所を確認しておきたいのだろう。
けど、残念ながらそれは不可能だ。何せ僕は既にマナの殆どを使い切っている。残された魔力は「貫く魔弾」1発分で、「再生」を発動するには全く不十分だ。
「ごめん、実はもうマナが残ってないんだ。前にも話したけど、僕は自分でマナを生成できないから、補給して貰ったものを使い切ると現実世界に戻るまで魔法は使えなくなるんだ」
「……そうでしたね。私がマナを沢山使わせてしまったから……」
「いや、志織のせいじゃないよ。状況的に仕方なかったと思うし」
確かに毎夜のように「警戒」を使っていたのは志織のためだけど、森の中で馬を相手に「再生」を使うはめになったのは僕の確認不足が原因だ。
「仕方ない……。そうですね。仕方ないんです」
「……?」
「いえ、何でもありません。あーあ、せめて普通のポーションを併用できたら良かったのに」
「トートに併用を禁止されてるんだっけ?」
「そうなんですよ。トートったら他のポーションを使うと薬効を打ち消し合う可能性がある、なんて言うから。どうせなら併用できるポーションの作り方も聞いておけば良かったです」
「まぁエリクサーは普通のポーションとは訳が違うだろうからね」
そんな事を言いながらも僕は先ほど志織が「仕方ない」と口にした時に浮かべた、言いようのない寂しげな表情が気になって仕方なかった。
おそらくあの表情は僕が「再生」を使えないという事実に対するものではない。
何か他の事に対して、志織は「仕方ない」と感じているような……何故か根拠もなく、そう思えたんだ。
そして翌日。予想外の事が起こった。なんと志織が朝から様子を見に行ったシスターが、自分で上体を起こせるようになっていたんだ。
昨日の様子から僕は速くても数日しないとそこまで回復しないだろう……つまり、僕達がアケトアテンを去る時点ではシスターは寝たきり状態だと思っていたのだけど。どうやら悪魔の知識によって生み出されたエリクサーは僕の想像以上に強力な代物だったらしい。
そういえば以前、悪魔という存在が生まれた切っ掛けは宗教的な抗争に基づくもので、影響力の大きな宗教に征服、吸収された土着の宗教が崇拝する神々は魔に落とされた歴史的経緯がある、という話を聞いたことがある。
そういった神々は魔神と呼ばれることもあるそうだけど……もしかしたら志織が使役していたというトートやバロールも魔界や地獄に住み着いている連中のような邪悪な存在ではなく、異教の神々だったのかもしれない。ふと、そんな事を思った。
「ユートさん、その……お願いがあるんですけど」
「何だい?」
「日本へ戻るの、もう1日だけ待って貰えませんか?もしかしたらシスター、明日には歩けるようになってるかも……って思って」
「……結論から言えば1日待つことは構わないよ。けどそれを何度も繰り返すのはさすがに……」
「わかってます。何があっても明日の夜には終わらせます」
「それなら別にかまわないよ」
「ありがとうございます、ユートさん」
まるで漫画的な瓶底眼鏡のように、瞳を覗き込むことが出来ない「目が良く見える眼鏡」を掛けるようになったことで志織の表情は読みづらくなった。
けど、それでも彼女が何か真剣な思いで1日の期間延長を申し出たことは理解出来たし、エリクサーの効果を見届けるという意味では少しぐらいは待っても良いだろうと僕は思った。
けど、その判断が……まさかあんな事態を引き起こすはめになるなんて。その時の僕には想像することも出来なかったのだけど。
「しぃちゃん、どこかへ行っちゃうの?」
「うん、ゴメンね。私、この人と一緒に行かないといけないの」
「えー、さみしいよー」
「あ、もしかしてしぃちゃん、この兄ちゃんとけっこんするの?」
「え……ええ!?」
「およめにいくんでしょ?」
「えっと……うん、まぁそんな感じかな?だからここへはもう戻ってこれないの」
「さみしいけど、わかったー」
「まぁそうだったのですね。おめでとう、シオリ。それにユートさんも。この子のことをお願いしますね」
シスターの様子を見に来た孤児院の子供達に囲まれ、志織がそんな事を言っている。そして何故かシスターも子供達の言葉を真に受けて、そんな事を言ってきた……。
僕は志織と交際しているわけじゃないし、ましてや結婚なんて……まだ誰ともする気が無い。そんな事を思いながらも、さすがにこの場で余計な事を言うことは憚られたので、僕は黙って志織をジト目で見つめることにした。
「ユートさん、そんな熱の籠もった視線で見つめないでください」
『ジト目だけど』
『わかってますよ。でも黙っててくれてありがとうございます。シスターにも子供達にも心配は掛けたくないですし、私がいなくなっても不自然に思われないようにしておきたかったので』
『立つ鳥跡を濁さず、ってことか。真面目だね、志織は』
シスター達には判らないように日本語に切り替えて答えた僕の言葉に、志織は無言で微笑みを返してきた。
けどその顔に浮かんでいた微笑みが、どこか感情を抑えた曖昧な笑みに見えたのは、眼鏡に隠れて目元が見えないせいだけなんだろうか。
その後、志織がハンター協会へ出向くというので、暇を持て余していた僕も同行することにした。何故か孤児院の子供達も付いてきたので、僕達はぞろぞろと黄金に輝く街を歩き、ハンター協会へと向かう。
協会の建物に入る前に志織は大きな袋をアイテムボックスから取り出した。子供達が特に反応しなかったことを見ると、どうやら志織は孤児院では日常的に空中からモノを取り出していたのだろう。
「その袋、中身は?」
「錬金アイテムです。薬の類いは殆ど孤児院に置いてあるので、旅に使う品々を買い取って貰おうと思って」
「全部処分するのかい?」
「いえ、何があるか判りませんから傷薬と状態異常回復のポーションは1つずつ残してますよ。私、こう見えても慎重派なので」
「ちなみに、フラグは……」
「もちろん手放すモノには入ってませんよ。そんなことしたら爆破犯になっちゃいますし」
わかりきった事を聞くなと言わんばかりの様子でそう言った志織は建物の中へと入っていった。続いて子供達も中に入っていくけど……僕はどうしようか。
そんな事を考えていると、背後から声を掛けられた。振り向くとそこには王立工房のハッサンさんがいた。
「あれ?どうしたんですか?」
「協会に素材調達の依頼をしにきたんです。ユート殿は?」
「連れが錬金アイテムを売りに来たので、付き添いです」
「そうでしたか。面白いモノがあれば後で私も見せて頂こうかな」
そう言うとハッサンさんも協会の中へと入っていく。僕独りで外で待っているのも手持ちぶさたなので、特に用事は無いものの協会の中へ足を踏み入れた。と――。
「でね、しぃちゃんはけっこんするんだよ!」
「おや、シィ=チャンがねぇ。お相手は誰だい?」
「えっとね……あのひと!」
何という間の悪いタイミングだろう。苦笑している志織の側にいた子供達がカウンターの協会受付の人に昨夜の「結婚話」をしているところにわざわざ格好のネタを提供することになってしまうなんて。
ちょうどカウンターに向かっていたハッサンさんも僕と志織を交互に見比べて不思議そうな顔をしている……。
「なるほどねぇ。それでシィ=チャンは国へ帰るってことか」
「ええ、そういうことです。ですから、ハンター章はお返ししますね」
「わかったよ。幸せになるんだよ」
「……ええ。私は、私のハッピーエンドを迎える予定ですから」
どうやら志織は身辺整理の一環としてアイテムの売却だけでなくハンター登録の解除も行っていたようだ。ここまで念入りに後始末をしていればアケトアテンの人達は志織が姿を消した後、懐かしむことはあっても心配したり不安に思ったりすることはないだろう。
先日、エセルニウムで何も後始末をせずにさっさと帰還した僕とは大違いだ。




