#3
まるで参道へ向かうように鳥居をくぐると、そこは元いた御門の間とどことなく似た空気感の漂う石造りの部屋の中だった。四方の角には不思議な光が灯され、室内は静謐な空気に包まれている。
……あの光は、おそらく魔力によるもの。
つまり、ここは異世界という訳だ。
振り向くとそこにはまだ御門は存在していたけど、僕が見ている間に空間の穴は静かに閉じて行き、そして消滅した。
再び御門が開くのは僕が任務を達成した後の事で、できればその時にこの門を通るのは僕1人だけではなく、斎藤君も共に……。そう願わずにはいられなかった。
周囲を見渡し、真っ先に目に入ったのは装飾が施された大きな木製の扉だった。いや、むしろそれ以外はほぼ何も存在しない部屋だから、他に見るべき所も無かったのだけど。扉が閉じていることを確認した僕は、今さらながらに周囲に人がいないことを十分確認していなかったことに気が付いた。
ここが閉鎖空間だから僕が突然空間の穴から現れても騒ぎにならなかったけど、もし御門が開いたのが屋外の人通りがある場所だったとしたら、世界を越えた瞬間に騒ぎを引き起こすことになる。
御門による転移場所は女神が行うそれとは違って任意に場所を選択できないらしいそうだけど、できれば初手からトラブルに巻き込まれるのはごめん被りたい。
そんな事を考えながら、僕は扉の方へ慎重に歩みを進める。
かつて勇者だった僕の「職業」は「魔法使い」だ。勇者というと剣を振るって前線で戦うイメージがあったから、召喚された直後に貴方は勇者です、クラスはマギですと告げられた時は随分と違和感を感じたものだ。
そして僕がマギである以上、得意なのは魔法であって、身体能力に関するスキル全般は不得意科目だ。もちろんステルススキルもその中の一つで、勇者として一通りの訓練は積んだけど、正直どの能力も中途半端にしか会得することが出来なかった。
しかしそうは言っても無人の部屋で音を立てずに歩くことぐらいはなんとか出来る。何せ僕の服装は無地のシャツに生成りのジーンズ、少しくたびれた革のシューズだけで、音を立てるような装備類は身につけていないからだ。
慎重に歩みを進め、扉に近づいたところで音が聞こえることに気が付いた。いや、抑揚の付いたこれは単なる物音ではなく誰かが話している……?
「スリガ、エムトラフール。ムイダアル、キクト?」
「ルバニオアイ、サムルタカアキオルトエムグ」
……何を言っているのかさっぱり判らない。それもそうだ。なにせここは異世界なのだから。
これが女神による異世界召喚であれば、世界を渡った際に自動的にその世界の言葉が脳内に刷り込まれることが一般的なのだそうだ。実際、僕も最初の召喚では女神に魔法を使う能力と共にグレイランスで使われる全ての言葉を理解する能力を与えられた経験があることだし。
だけど今回は女神の力に頼らない転移……いや、むしろ女神に逆らう行いである以上、女神の加護を得ることはできない。つまり、僕がこの世界の言葉を理解するためには自力で言語を習得する必要がある訳だ。
けど、その前に扉の向こうにいるであろう、おそらくは衛兵か何かを無力化しないことには言語を習得する以前にここから出る事もままならない。
一瞬、欺瞞の外套の魔法を使うことも考えたけど、仮に姿を消すことが出来たとしても扉が開いた時点で衛兵達は不審に思うだろうし、欺瞞の外套の魔法はマナの消費量もそれなりに多い。
この先どうなるか判らない以上、異世界に来て早々に魔力を大きく消耗するのは得策では無いだろう。なにせ僕単体ではマナを補充する術が無いのだから。
相手を無力化する魔法にはいくつか心当たりがある。例えば「失神の手」は触れた相手をノックアウトさせることが出来るし、「七色の光」は虹色の光を見たものを混乱させる効果がある。
けどどちらも扉越しには使うことができないし、そもそも僕の魔法は視線が通る場所にしか発動させる事ができない。扉越しという条件で使えるとすれば……。
思案しながら扉を睨み付けていた僕は、扉の下部に3cm程の隙間があることに気が付いた。そうか、現代建築と違ってこの手の建造物は摩擦を避け扉をスムーズに開閉するためにある程度の遊びを造っているんだろう。さすがに隙間から扉の向こうを目視することは出来ないけど……それでもこれは使えるかもしれない。
僕は扉の向こうで会話を続けている人物が声質の違いから2名、かつ扉の両側に立っているであるとあたりを付けた。この配置と距離なら……。僕は扉から少し距離を取ると、中央下部の隙間に視線を向けて意識を集中する。
《魔力よ、眠りを誘う霧となれ。「誘眠の霧》
小さな声で唱えた呪文は即座に効果を現し、扉の下の隙間部分に白い霧のようなものが生み出されれる。霧の半分は扉のこちら側に。そして残りの半分は扉の向こう側に拡散し、数m程度広がったところで……ふわりと消えた。そして続けて何かが倒れる音が2度聞こえる。
よし、成功だ。
眠りを誘う霧が消えたことを確認してから再び扉に歩み寄る。誘眠の霧の魔法はその名の通り霧に捕らえた相手を眠らせるものだけど、厄介な事にこの霧は対象を限定する機能を持たない。
つまり霧の発生範囲に味方が……そして術者自身がいた場合、お構いなく味方撃ちしてしまう魔法でもあるんだ。
覚え立ての時にコレを使ってパーティメンバーの戦士を戦闘中に眠らせた時は後で随分怒られたものだけど……いや、今は昔を懐かしんでいる場合じゃなかった。
慎重に扉を開くと、予想通り扉の両側には革鎧の上から鉄の胸当という揃いの装備を身につけた男性が2名、眠り込んでいた。やはり守衛か衛兵の類いだろう。片方は若者でもう片方は中年……ということは、年長の衛兵の方が上役だろうか。
ちょうど手近なところに意識を失った現地人がいることだし、今のうちの「言語習得」を掛けてしまおう。ターゲットは……やはり上役とおぼしき年長の衛兵だろう。
「言語習得」は特別な魔法だ。何せこの魔法は僕が使える術のなかで唯一、現実世界に帰還してから習得したものだから。
僕が帰還後にこれを習得した理由は極めて単純で、召喚先の世界で使用される言語は女神によって刷り込み済みだったから、そもそもグレイランスではこの手の翻訳魔法を覚える必要が無かったからだ。
けど、勇者狩りの任務で赴く世界には女神の加護は及ばない。それ故に総合学部の狩人達は皆、この魔法を必須スキルとして習得している。
そして必須スキルが魔法であるが故に、狩人は戦士タイプであっても基本的に初歩の魔法が扱える人間に限定されるのだそうだ。まぁ、多くの召喚勇者達は剣も魔法も使える万能タイプらしいから、特に問題は無いそうだけどね。
《汝が紡ぐ言葉を我が言葉に、我が言葉は汝らの言葉に。「言語習得」》
魔法を発動すると、一瞬頭の中に軽い痛みが走る。無理矢理に言語体系を覚える際の負荷だと聞いているけど……習得のために何度か試したことがあるとは言え、やはりこれは慣れない。
ともあれ、これでこの世界の言葉は理解出来るようになったはずだけど……それでも言語習得も万能ではない。習得できるのはあくまでも術を掛けた相手が覚えている言語と語彙のみだから、無作為に現地人に魔法を掛ければ良いという訳でもない。
そして厄介な事に脳に負荷をかけるこの魔法は一度使うと数日間は再使用ができない……。つまり、掛ける相手を誤り異国からの旅人から言語を習得してしまうと数日間は言葉に苦しむことになりかねない面倒な魔法でもある、と言うことだ。
その点、衛兵であればその国の標準的な言葉をある程度高い水準で習得しているだろうから、言語習得を掛ける相手としては及第点だ。本音を言えば現地の魔道士や宮廷の役人達に掛けることが出来ればベストだけど、さすがにそれは無い物ねだりだろうしね。
そんな事を考えながら、僕はそっと儀式の間の扉を閉じ、その場を後にした。
僕が現実世界を離れたのは昼過ぎだったはずだけど、この世界では少し日が陰り始めた時間帯であるように思えた。同じ地球上であっても時差があるんだから、異世界ならもっと時間がずれていても不思議はないか……。異世界との時差という、微妙に現実的なことを考えながら、周囲の様子を観察する。
僕が世界を渡ってきた場所は町外れに建設された神殿のような場所で、人影の全く見えない道の先に仄かな街明かりが見える。さらに奥にはかなり大きな城のようなものが見えるところから考えると……ここは王都や帝都といった、いわゆる国の中心部にあたる街なんだろう。
もちろん、言語習得の魔法は僕にこの街の名前も、国の名前も教えてはくれない。あの魔法で習得できるのはあくまでも言語だけだから、世界の情報や勇者の動向を知るには現地で情報を確認する必要がある訳だけど……。
物陰から街行く人々の服装を観察し、自分の格好が奇異に見えないことを確認した上で僕は通りを歩いてみることにした。周囲の人々はいわゆる欧州系の顔立ちだから、純日本人で眼鏡を掛けた地味な僕は逆に悪目立ちしてしまうかもしれない。
認識阻害の魔法を使うことも考えたけど、少なくとも今の段階では周囲の注意を引いているようには思えなかったので、特に小細工はしないことに決める。
いや、僕に注意を払っていないと言うよりも……どこか街中に落ち着かない空気が漂っているような感じられる。見れば町の中央にある広場には色とりどりの灯りが掲げられていて、一見すると祭りか何かの準備が進んでいるようにも思えるけど、この空気感と光景の間には大きな落差があるように思えた。
もちろん、観察しているだけでは事情も何も判らない。言語習得が正常に機能しているのかを確認するために、手近な人に話しかけてみることにした。
話し好きそうで、暇を持て余していそうな人……そう、例えば道の端に野菜か何かの露店を出している、中年女性はどうだろうか。
売り物はサイズも小さく、見るからに不味そうな根菜らしき野菜で、値段がいくらであれ買いたいとは到底思えない品質だ。おそらくこれでは客も寄りつかないだろうから、多少話をしても許してくれるだろうか。
「すみません、少し教えて頂きたいことがあるんですが」
「なんだい?客じゃないのかい?まぁ暇だからいいけどさ。で、なにを聞きたいんだい?」
うん、言語習得はちゃんと機能しているようだ。露天の女性は僕のことを胡散臭そうな目で見ているけど、おそらくこれは客でも無いのに話しかけてきたことによるものだと思うことにする。
「ここへは初めて来たのですが、何かお祭りでも行われるのですか?」
「はぁ?アンタ、何いってるんだい!馬鹿なこと言っちゃいけないよ!」
……どうやら僕は早々にこの女性の地雷を踏んでしまったらしい。一体何が彼女を怒らせたんだろう?やはり祭りというキーワードだろうか?
「すみません。見ての通り異国からここへ到着したばかりでして……」
「異国ってねぇ……その髪色、東方国の人かい?」
「ええ、まぁ」
僕はこの世界の東方国がどのような場所かは判らないけど、日本は極東の島国と呼ばれているから、東方国の人間だと言えなくもない。なので、曖昧にそう答えたけど……どうやら相手はそれで納得してくれたようだ。
「あれはね、勇者タカアキ様が魔王ゴルハムンノスに決戦を挑まれる前の、壮行会の準備さね」
「魔王、ゴルハム……ンノス?」
確かゴールデンハムスターの事を愛好家達はゴルハムと呼ぶのだと麗奈が言っていた気がする。どことなく愛らしい名前を持つ魔王の名前に僕が戸惑っていると目の前の女性の盛大なため息をつかれてしまった。
「まさかと思うけど魔王と勇者のことも知らないのかい?」
「いえ、勇者タカアキ様の事は知ってますよ」
「そうかい?ならいいんだけどさ」
ともあれ、あれが魔王と戦う勇者を送り出す壮行会だとすれば、僕にとっては幸運だった。なぜなら壮行会の主賓である勇者タカアキ……つまり僕が狩る相手である斎藤孝明君は間違いなく名も知らぬこの街にいるということなのだから。
「それで、その壮行会というのは誰でも参加できるのですか?」
「あんた、タダ飯にありつこうって言うのかい?なんて図々しい!今は魔王軍との戦いでエセルニウム王国はどこも皆食うに困る状況だったのに」
「いえ、そう言うわけではないのですが……」
「まぁ見たところ健康そうだし、異国の民でも義勇兵として参加すりゃ、パンの一つぐらいなら分けて貰えるかもしれないけどさ」
「義勇兵を募っているのですか?」
「魔王との決戦だからね。雑兵でも義勇兵でも、かき集められるだけかき集めて攻撃するって話だよ。もう戦える若いもんなんて随分と数は減っちまったけどね……」
僕は女性に礼を言うと、その場を離れた。先ほどの言葉を念頭に、改めて周囲を見渡すと、確かに街にいるのは子供や中年以上の人ばかりで、働き盛り……言い換えれば戦える年齢の男女の数は明らかに少ない。
どうやらこの国――先ほどの言葉からすればエセルニウム王国――は魔王軍との戦いで随分と疲弊した状況のようだ。
まぁそれもそうだろう。そもそも異世界から勇者を召喚する事態というのは国難や世界の危機と呼ばれる状況になってからというのが相場だ。異世界勇者の召喚にはそれなりの手間もコストも必要だと聞くし、平時に意味も無く異世界人を召喚する世界は……少数派だと聞いている。
ともあれ壮行会に紛れ込んで斎藤君と接触するためには義勇兵に志願する必要があるらしい。けどこの世界ではどの程度魔法が一般的か判らない以上、マギを名乗って義勇兵に参加するのは好ましくないだろう。
なら……ここは雑兵らしく、苦手な剣でも握ってみることにしようか。そう考えた僕は人気の無い路地裏に入り、周囲に人の目が無い事を確認してから「ストレージ」を開いた。




