#18
その後、僕が掛けた「再生」が功を奏し、馬の怪我は完全に治癒した。大丈夫だろうとは思っていたけど、望み通りの効果が出たことにほっと安堵する。
何せ森の中で馬が動けなくなり立ち往生してしまったら最悪の場合、志織の願いである素材採取を中止して「転移門」でアケトアテンの王都へ戻ることも覚悟していたから。
僕がそんな事を内心考えながら出発の準備をしていると、馬の体に触れていた志織が小さく呟いた。
「……魔法ってすごいんですね」
今の彼女の顔に浮かんでいる表情は普段と違い、物憂げな表情だ。馬の傷が癒えたことを喜んでいるというよりも……たぶん、自分の目が魔法で治らないかと考えているのだろう。
実際の所、志織の目を僕の魔法で治すことは不可能だ。もし事故直後の、目に傷を負った状態で「再生」を掛けることが出来れば、傷の回復を促すことで不完全ながらもある程度の視力を維持できたかもしれない。
けど志織の目は損傷が激しく、眼球の摘出が避けられなかったと聞いている。結果として、今の志織は言うならば部位欠損と同じ状態にある。
通常の回復魔法や治療薬では欠損した部位を再生成することは叶わない。それを可能とするのは高位の治癒魔術や復活のエリクサーのみで、異世界からの帰還者を多数要する総合学部にもそのような魔法やマジックアイテムの使い手はいない。
「ごめん。魔法は……万能じゃないんだ」
そんな事を志織に逐一伝える必要はないと思いながらも、僕はついそう口にしていた。僕の言葉に志織はこちらを振り向き、寂しげな表情で言った。
「知ってます。夢の中だからって、全部が望み通りになる訳じゃないって」
そう言うと盲いた目で空を仰ぎ見た志織の心境を思うと、僕は言葉を続けることが出来なかった。慰めの言葉も、謝罪の言葉も。もしかしたらどこかの世界で復活の術者やアイテムが見つかるかもしれないという根拠のない希望も。
どんな言葉を投げかけても、志織の心には届かないような気がしたから。
「……それにもし夢の中で私の希望が叶うなら、きっと今頃ユートさんは私にメロメロなはずですからね。あ、今からメロメロになってくれてもいいんですよ?」
僕の方を向いて普段通りの明るい口調でそういう志織の表情に浮かぶ笑みが、どこか無理をしているように思えてならなかった。
その後、森を抜けるまでの間に再度の襲撃がある事を警戒した僕は志織にフラグをいくつか譲って貰えないか確認してみたのだけど、志織は僕の要望を拒否した。
「いえ、別に拒否してる訳じゃないですけど、危ないですよ?」
「爆発物だから危険なのは判ってるし、慎重に扱うよ」
「そうではなくてですね、実はフラグは私から一定距離を離れると爆発するように調整してあるんです」
「……え?」
「だって物騒じゃないですか、これ。もし誰かに盗られたら大変ですし。防犯と制裁のためにそういう風に作りました」
つまり僕が志織からフラグを受け取り、彼女から離れると僕は爆死するということか。それは確かに危険すぎる。いや、日本人の女子中学生が考える防犯対策としては過激すぎるだろう……。
僕がそう指摘すると、志織はうんうんと頷いて言った。
「私もそう思ったんですけど、トートがそうした方が良いって。実に悪魔的ですよね」
「トートって一体どんな悪魔なんだ……」
「見た目は白い毛のお猿さんみたいでしたよ。とっても優しいおじいちゃんみたいな感じでしたけど」
「……悪魔だよね?」
「知識を守護する悪魔、って言ってました。色々と親身になって教えてくれましたよ?」
トートと言う悪魔のパーソナリティが親しみのあるものなのか、それとも悪魔使いである志織だからこその態度なのかは判らないけど、少なくとも志織にとってトートと言う悪魔は邪悪な存在ではなかったということだろう。
ともあれ僕がフラグを持つと死ぬ危険がある事はわかったので、何かあったときにすぐ使えるようアイテムボックスから出したフラグを志織に所有しておいてもらうことにする。そうすれば万が一、彼女が意識を失うような事態に陥っても僕がフラグを使えるだろう。
まぁ、そんな事態が起こらないことが一番なのは言うまでもないけれど。
心配を余所に僕達はその後何事も無くカルナックの森を抜けることが出来た。地図によれば明後日の昼頃に通過する分岐点で街道を離れ、山岳地帯へ向かうことになるようだ。今日は馬の負担が大きかったこともあるし、少し早めに行程を気上げて宿場町で休むことにする。
けど、この宿場町が問題だった。
「ユートさん!温泉ですよ!」
「うん、公衆浴場があるね」
「私達の仲ですから、これはもう家族風呂で一緒に入浴ですよね?」
「僕達の仲ってどういう仲かな……」
「それはもう、裸を見られたり、胸を触られたり、キスしたりする仲です!」
「……反論できないのはしゃくだけど、全部不可抗力だよね?」
うん。どうやら近くの山は火山らしく、温泉が湧いているとい宿場町はこれまでに通ったどこよりも大きく、さらには公衆浴場が併設されていたんだ。
それも志織がいうように貸し切りの家族風呂まであるとらしい。いや、これが麗奈との旅なら僕だって喜んで家族風呂を選ぶ。けど相手は高校生になったばかりの年齢の志織だし、そもそも僕と志織はそういう関係じゃない。
……志織の方がどう思っているかは判らないけど。
とは言え盲目の志織を他の人が沢山いる公衆浴場へ独りで行かせるのは心配だ。なので僕は家族風呂を予約し、志織とは時間差で入浴することにした。
「ユートさんのヘタレ」
「志織、大人を……いや、男をからかうのはやめておいた方が良いよ」
「はーい」
事前に風呂の設備を確認し、志織に説明しながら一通り浴場内を見て回る。なにせ彼女は内部がどうなっているか判らないからね。
こぢんまりとした浴室には異世界では珍しい湯が張られた浴槽……というより小さなプールのようなものがあり、その奥にはサウナらしき小部屋があった。中を覗くと魔導具を使ったスチームサウナになっていて、さすが魔導具が普及したアケトアテンだと感心した。
「志織、サウナは見えないと危ないから浴槽だけにしておいた方がいいよ」
「むー。ユートさんが一緒に入ってくれたら問題ないのに」
「膨れっ面で言っても駄目なものは駄目だよ」
僕はそう言うと志織を浴槽へと導き、浴室を後にした。何せそのまま留まっていたら体を洗えと言われるに決まってる。もしそんな事になれば……きっと我慢できなくなって間違いを犯してしまうことは自分でも判っていたから。
この件が終わったら週末に麗奈と温泉旅行にでも行くことにしよう。カルナックの森の一件で志織への疑いはほぼ晴れたこともあり、僕の意識は既に帰還後のことに向いていた。
そして翌々日。僕達は街道を外れ、野営地も整備されていない山岳地帯への林道を進むことになった。山の麓に小さな村があるらしく、そこで馬車を預けてそこから先は徒歩で1日山を登ることになるそうだ。
「ここには魔物は出ないのかな?」
「さぁ……?私もこんな遠くまで来るのは初めてなので。ただ人里があるなら、魔物の襲撃とかは無いと思いますけど」
「僕が最初に行った世界だと、辺境の村は周囲を魔物が跋扈する森に囲まれてたけどね」
「ちょっと意味がわかりませんね、それ。村人が皆勇者なんですか?」
「まさか。先祖代々の土地は捨てられないって意地になってたみたいだけどね」
そんな事を言いながら、何事もなくたどり着いた「人里」は集落と呼ぶべきか、それとも村と呼ぶべきなのか微妙なラインの規模感だった。大小合わせて建物が30棟ぐらいしか存在していないし、住民は多くても百数十名というところだろうか。
これまでに通過した街道沿いの集落と違い、周囲のそれなりに高さのある柵を張り巡らしている所を見ると、魔物……とまでは言わなくても、野生動物の類いが人間のテリトリーに入り込んでくることはあろんだろう。
「ユートさん、ここはどんなところですか?」
「集落というには大きくて、村と呼ぶには小さい微妙な規模感だね。多分住民は150人ぐらいじゃないかな」
「へぇ……村と集落ってそれぐらいの規模感で区切るんですね」
まぁ僕も詳しい定義を知ってる訳じゃないけど、少なくともグレイランス基準だと今言ったような分類だったからね。




