#14
「あれ……なんだか冷たかったところが暖かくなってきました」
「液だれもしてないし、上手く浸透してるようだね」
「ユートさん、今私の手ってビジュアル的にどうなってるんですか?」
「んー、ジェル状の液体絆創膏を使ったような感じかな。青白く光ってるけど」
「うわぁ……見てみたいような、見たくないような光景ですね」
「……っと、発光が終わったね。エリクサーも全部吸収されたみたいだけど、手に違和感は無い?」
僕の言葉に志織さんは手を動かして様子を確認している。見たところ特にその動きには影響は出ていないようだけど……。
「異常、あります」
「えっ?痛みが出てるとか?」
「いえ。これまで手を動かすと少し引き攣れた感じがあったんですけど、それが無くなりました!」
「ああ、そういう……。驚かさないでよ」
「それでユートさん、傷の方はどうなってますか?」
「じゃあちょっと失礼して……。うん、綺麗に消えてるね」
「わぁ、ありがとうございます!」
そう、縫合痕の引き攣れが無くなっていると彼女が言うように、実際に傷跡は綺麗に消えていたんだ。エリクサーの触れた場所は熱を持っている様子もないし、色も変わっていない。これなら他の傷を消すこともできるだろう。
「じゃあ他の傷にもエリクサーを使うけど……本当にいいのかい?」
「恥ずかしいんですから、確認しないでください!」
「……ごめん」
「脱がせてください。この服、紐やボタンが多くて自分で脱ぐのが大変なんです」
こういうやり取り、以前レーナと初めて肌を重ねた時にもした記憶があるな……。いや、今回はそういうことをする訳じゃないけど。
だから僕は浮気なんかしてないぞ、麗奈。内心で麗奈に弁明しながら、僕は志織さんの服を脱がせてゆく。
「……ユートさんのエッチ」
「批判は甘んじて受けるけど、酷くない?」
「女の子の服を脱がせる手つきが慣れてますよね?そういうの、不潔です」
「いやいや……」
脱がしてくれと言った当人に非難されるというのは納得いかない部分もあるけど、それを不潔と言われると……やはり志織さんは清純な少女なのだと妙なところで感心してしまった。ともあれどうにか僕は彼女の服を脱がせることが出来た。もちろん下着には手を付けていない。当たり前だ。
「傷の場所、わかりますか?」
「ああ。殆どが体の右側だね」
「はい。後ろから車にぶつけらたんです。お父さんがハンドルを切って、右側から前方にいたトラックの後部にぶつかって……。私、お父さんの後ろの席に座ってたから」
確かに彼女の体の傷は右側に集中している。おそらく玉突き事故で体勢を崩した車が横滑りでもして、前方の車に横合いから衝突したのだろう。
後部座席と外部を隔てるのはドア一枚だし、窓ガラスも近い。おそらく彼女が視力を失ったのも、それが原因なんだろう。
けど、僕がそんな状況を分析して口にしても彼女の抱える心の痛みを再燃させるだけだ。だから僕は黙って彼女の傷にエリクサーを塗布することしか出来なかった。
「最後に見えた光景、今でも頭の中に焼き付いてます。トラックの荷台がすごい勢いで迫ってきて、目の前に氷の欠片が散ったような感じになって。次に気付いた時には、もう光を無くしていました」
「……」
「私、2週間ぐらい意識不明だったらしいんですよ?目が覚めた時には回りが真っ暗なのに何故かチカチカと光が舞ってて……ただ訳もわからず怖くて」
そう呟いた志織さんの目からは涙が止めどなく流れ落ちていた。涙に濡れたガラス製の義眼がぬらりと光を反射する。精巧な義眼であってもどうしても人工的で不自然に見えてしまうのは……視線が動かないからだろうか。
手を動かしながら、そんな事を考えてしまうのはきっと彼女の語る過去があまりにも重くて、情けないことに僕は現実逃避してしまっていたのだと思う。
これ以上彼女の話を聞いてしまうと、僕は志織さんに絆されてしまう。そうなれば、彼女がもし僕達を裏切ったときに、彼女を殺せなくなる。
そう、僕は彼女を……とても素直で善良な、普通の女の子である高坂志織という人物を現在進行形でまだ疑っている。
理由は簡単だ。彼女はその境遇に反して素直すぎ、物わかりが良すぎる。一度失い取り戻した視力を彼女はこともなげに手放して見せた。あまりにもあっさりとしたその態度には何か裏があるのだと思わざるを得なかった。
なにせ彼女が得たチート能力は「悪魔使い」だ。悪魔は邪悪な顔で人間に近づいてきたりはしない。悪魔は善良な存在を装って人を騙すものなのだから。
……要するに、志織さんは、良い子すぎるんだ。僕が彼女を殺せなくなるよう、籠絡しようとしているのかと疑うほどに。もちろん彼女自身は信用に足る善性の人間かもしれないけど、彼女はその身に悪魔を宿していたのだ。
悪魔という存在は巧妙に人を支配する。自身が支配されているように装い、その実自分が召喚者を操っていたという話は僕も実際に目の当たりにしたことがあることだ。
だから彼女の意思に反して、いつか致命的なタイミングで彼女の中に留まった悪魔が裏切りを企む可能性は否定できない――。
「ユートさん?その……黙って触られていると、少し怖くて」
「ごめん。ちょっと考え事を」
「あ、私の裸を見てエッチなこと考えてるんでしょ!」
少し頬を赤らめながらそういう志織さんの姿には悪魔の影響を見て取ることはできない。けど……今だからこそ、僕はずっと疑問に思っていたことを聞くべきだと確信した。
「志織さん、教えて欲しい事があるんだ。答えにくかったら、黙っていても構わない」
「なんですか?あ、好みの男性のタイプならユートさんみたいな――」
「そうじゃない」
「……?」
「どうして君は、一度失い、奇跡的に取り戻すことができた視力を手放したんだい?僕なら、一度失ったものを再び失うなんて耐えられない」
「ああ……そうですよね。普通はそうだと思います」
志織さんの声はそれまでと違い、感情が全くこもっていないフラットなものだった。ここで彼女が何を語るかによって、僕が彼女を信じるべきかどうかが変わってくる。
エリクサーを塗布する手を休めることなく、僕は彼女の言葉を待つ。
「……私、事故に遭ってからずっと夢の中にいるような気がしてたんです。信じられないことばかりで。最初は悪夢だったんですけど、女神様に会って、悪魔を使えるようにしてもらって、目が見えるようになって。私がこの世界で初めて見た光景、金ぴかの街だったんですよ?そんなのまるで夢の世界じゃないですか」
「まぁ、現実離れはしてるよね」
「それで、思ったんです。これが夢ならいつかは醒めるはずだって。借り物の魔眼で見えているのは、私が『目が見える夢』を視ているだけ。私は失ったものを取り戻した訳じゃないんだって。だから、ユートさんに言われて魔眼を使うのを止めたのは……私にとっては部分的に夢が醒めただけ、なんです」
そう語る志織さんの言葉には嘘も悪魔の影響力も無いように思えた。既に陽が落ち光杖と月明かりで照らされた裸身の彼女は、悪魔というよりも女神に見えて、信じざるを得ない空気感を放っている。
とは言え彼女の語る言葉は僕には理解しづらいものだった。けど、もし視力を失うというような大きな出来事を経れば……確かに彼女が語るような価値観の変化がおこる可能性は十分に考えられる。
なにせ平凡なモブ学生だった僕でさえ、異世界召喚という経験を経たことで冷徹に人を殺せるようになったのだから。
「ありがとう、話を聞かせてくれて。僕自身に当てはめた時に同じように感じられるとまでは言わないけど、少なくとも理解はできた気がするよ」
「うれしいです。なら最後までちゃんとエスコートしてくださいね」
「……?ああ、もちろんちゃんと旅のエスコートはするよ」
再び微笑みを浮かべてそう答えた志織さんの言葉に、どこか引っかかりを感じながらも僕はそう答えた。
首から下の傷に一通りエリクサーを塗布し、最後に残ったのは顔の傷だ。錬金術師の装束でほぼ全身を隠している志織さんの格好から考えれば、極端な話でいけば体の傷は全てパッチテストのようなもの。つまりここからが本番ということになる。
「体の方は一通り塗り終わったから、顔の傷に取りかかるよ」
「あの、体の傷は全部ちゃんと消えてますか?残ってるところとか無いですか?」
「もう一度確認しておこうか?エリクサーの残りも少ないし、今日中に使い切らないといけないし」
「はい。……でも、エッチな目で見ないでくださいね?」
先ほどまでのどこか神々しい雰囲気から、元通りの様子に戻った志織さんはそう言って笑う。
けど……これは一種の拷問だよね?僕だって健康な成人男性だ。志織さんのような可愛い女の子が肌を晒している状況で、興奮するなと言われるのは正直無理がある。
けど僕だって元勇者だ。夢魔や幻術師と戦い、精神攻撃をはね除けた事もある。マギという職業柄、精神攻撃耐性は高い……はずだ。冷静に、呼吸を整えて……そう、深く息を吸って、吐いて――。
「ユートさん、鼻息荒いです。そんなに興奮してるんですか?」
「ちがうよ!これは深呼吸だから!」
「今、私の胸を触りましたよね?」
「き、傷の具合を確認しただけだよ!不可抗力だ!」
そんな事を言いながら、エリクサーの効果を確認する。塗り終えた順番にエリクサーの発光現象は収まってゆき、最後に塗った胸の傷がしっかり消えた事を確認する。決していやらしい目で見たり触ったりはしていないと自分自身に言い訳しながら。
「確認したけど、問題ないよ。これなら顔の傷も綺麗に消えると思う」
「……わかりました。じゃあ、お願いします」
やはり自分で確認出来ないというのは不安があるのだろうか。僕が顔にエリクサーのフラスコを近づけた気配を感じたのか、志織さんが身を固くしたのが判った。
志織さんの顔についた傷は目の下側、左右の涙袋付近のものと、目元から耳の方向に続く傷だ。まるで涙が流れた後のような傷は決して醜いものではないけど、それでも少女の顔には似つかわしくない。
既にエリクサーの効果は十分に確認出来ているけど、それでも僕はこの傷が綺麗に消えることを願わずにはいられなかった。
「……終わったよ」
「綺麗に、なってますか?」
「ああ、ちゃんと傷は消えてるはずだよ」
「もっと近くで見て確認してください」
「心配性だなぁ……」
やはり顔の傷は他と違って気になるのか、懇願するような表情でそういう志織さんに押し負けた僕は、目を閉じたままじっと待つ志織さんに顔を近づける。
エリクサーの発光はまだ続いているけど、見たところ傷は綺麗になっているようだ。うん、問題は――いや、これは?
エリクサーの発光が収まり、僕がある事に気付いた時だった。志織さんが、急に僕に顔を近づけてきて……そして、唇に柔らかい感触を感じた。
……ついでに、鼻がぶつかる痛みも。




