#13
馬車に揺られて街道を行く。天気も良く,見晴らしのいい平原では奇襲の可能性もなく、暇を持て余した僕達は雑談に興じることになった。しばらくとりとめの無いことを話したあと、僕は昨夜考えていた宿での宿泊を志織さんに打診してみた。
「宿ですか?確かに街道沿いには何軒かありますけど。……野営地で泊まればタダですよ?」
「お金で買える安全は買った方が良いと思ってね。野営地の人達が全員善人とは限らないだろ?」
「んー、でも私、一応警戒してましたよ?もし近づく人がいればパッと起きて大声を上げられますから」
肩越しに振り返ると、荷台で志織さんが胸を張っていた。麗奈より大きいな……なんていう、口にしたら麗奈にも志織さんにも叩きのめされそうなことを考えながら、僕は志織さんの見落としを指摘する。
「でも志織さん、夜中に僕が毛布を直しにいったとき、起きなかったよね?」
「は……はいぃぃ!?」
「だから昨夜――」
「そうじゃなくて!ユートさんっ、もしかしてね、寝顔みたんですか!?」
「ああ。熟睡してたよね」
「ゆ、ゆ、ゆ……」
わなわなと震える志織さん。……もしかして僕は地雷を踏んだのだろうか?
「ユートさん!もしかして眠っている私を襲ったんですか!?」
「襲ってません」
「どうして襲わないんですか!私が可愛くないって事ですか!」
「いや、むしろどうしてそういう話になるのかな?」
「まぁ、冗談ですけど……。でも乙女の寝顔を勝手に見るなんて酷いです」
さきほどのわなわなは演技だったらしく、けろっとした表情でそういう志織さん。うーん、どうやら僕は弄ばれているようだ。
「……まぁ、私なんて可愛くないですもんね」
「そんな事ないよ。志織さんはとても可愛いと思う……いや、美人系かな?」
「……顔にも体にも傷、ありますけど」
僕はあまり気にしていなかったのだけど、確かに志織さんが言うように彼女の顔……目元には少し目立つ縫合痕のような傷が残っているのは事実だ。
両方の眼球を摘出する必要がある程の怪我を負った訳だから当然顔も負傷していただろうし、総合学部で聞いた事故の悲惨さを思えば、それでもまだ軽微なものだと思える傷。
……とは言え年頃の女の子の顔だ。それは彼女の心にとってどれだけ大きな負担になっているのかなんて、考えるまでもない。
ただ、現代日本の医療技術では消すことの出来ない傷跡であってもファンタジー世界では完治させることが出来るケースもある。
例えば高位の僧侶が使う復活系――死者を復活するレベルの奇跡ではなく、瀕死から回復できるもの――だと、負傷した事実そのものを消し去るレベルの治癒が可能だ。
実際、僕も戦闘で大きな傷を負ったときに巫女姫だったレーナの使う「リフレッシュ」の魔法で傷跡が残らないような治療を受けたことがあるし。
ただ残念ながらレーナは世界を越え、麗奈になった時点で魔法を使う力を失ってしまったけど……。それでも他にも傷跡を消す方法がない訳じゃない。
「志織さん。僕は別に傷跡があっても君の魅力に変わりはないと思うけど……。でも、エリクサーを使えば傷を消せたりしないのかい?」
「それ、治療じゃなくて復活系のエリクサーですよね?そんなお高いもの使えないですよ。素材だって普通じゃ手に入らないものばかりだし」
「なら、もしエリクサーガあれば傷を消したいと思うかい?」
「それは……まぁ、私も一応女の子ですから」
僕に言葉に志織さんは不満げな表情を浮かべる。それもそうか。方法があってもコスト的に不可能だと諦めていたものを提示されても無い物ねだりをされているようにしか思えないのだろう。
けど、僕のストレージの中には1本だけ傷跡を消せるレベルのエリクサーが残っている。魔王と戦うために用意して貰ったアイテムだけど、勿体なくて……そしてそれ以上に使いどころが見いだせなくて、仕舞い込んだままになっていたモノが。
僕は彼女から視力を再び奪った身だ。出来ることなら彼女の助けになりたい。最終的に彼女所を殺す結果になったとしても……今この瞬間だけは彼女の心を守りたいと思っていることは事実だ。
「じゃあ、そんな志織さんに朗報だ。実は僕のストレージの中にエリクサーガ入ってるんだ。これを君に譲ってもいい」
「え?いいんですか?貴重なものでしょ?」
「確かに1本しかないから貴重だけどね、志織さんのためなら使う価値はあるさ」
「……ユートさん、もしかして私に惚れてます?それとも交換条件に私の身体を自由にしたい!とかですか?」
「そういうこと言うならエリクサー出さないけど?」
「わ、冗談、冗談です!」
「ただ2つ問題があるんだ」
「問題?それも2つもですか?」
「まず1つ目はこれがこの世界のエリクサーじゃないって事。アイテムの効果は世界によってそう変化しないと思うけど、確実に効果が出ると保証できないんだ」
「まぁ、ダメ元っていう言葉もありますし……。それで、もう1つは?」
「実はこのエリクサー、内服薬じゃなくて傷口に直接塗布するタイプなんだよ」
そう。もし志織さんの傷が顔だけなら問題は無いのだけど、彼女は体にも傷跡があると言う。
つまり体の傷に塗布するためには服を脱ぐ必要がある訳で……。彼女の目が見えるのであれば自分で塗って貰えばいいんだけど、現状は僕が彼女の目の代わりを務めている。
僕の言葉が何を意味しているのか理解したのか、志織さんは頬を朱に染めてそっぽを向いてしまった。うん、それはそうだろう。出会って間もない男に肌を晒して薬を塗らせるなんて普通に考えればあり得ない話だからね。
「まぁ、ナーシャの花を手に入れて街へ戻ってからシスターにでも塗って貰えば――」
「……駄目です」
「そうか、じゃあ残念だけどエリクサーの件は諦めて――」
「違いますっ!今、今傷を消して貰わないと意味がないんです!」
今でないと意味がない?どういうことだろうか。
僕は志織さんのその言葉の意味を問うたけど、返事は教えられないの一点張りだった。そして彼女は言った。
「エリクサーのお礼に、私の裸を見てもいいですから。……だから、今夜にでも塗ってください」
「となると野営場所には停められないかな」
「当たり前です!ユートさんに見られると思うだけでもこんなに恥ずかしいのに、他の人になんて……絶対ありえません!」
いや、僕が見るのもあり得ないと思うんだけど。でもどうしてそんなに傷跡を今すぐに消すことに拘るんだろう。黙り込んでしまった志織さんの気配を背中で感じながら、僕は彼女の考えを理解しようと思案した。
けど、旅の途中で僕に肌を晒してまで傷を消そうとする合理的な理由には、どうしても思い当たらなかった……。
「じゃあ最初はパッチテストをしようか」
「パッチ……なんですか、それ」
「薬品を腕とかに塗って反応を確認する検査だよ。元々はアレルギーの検査らしいけど、今回はエリクサーの効能確認しないといけないからね」
「異世界のエリクサーでアレルギーになったら、それはそれでレアな体験ですね」
「現実世界の薬品とは比べものにならないぐらい効果が強いから、副作用が出たら大変なことになるよ?」
結局その日は予定より早めに移動を切り上げ、陽が暮れる前に街道を少し離れた川の畔へ馬車を停めた。野営地を外したのはやはり志織さんへの配慮というのもあるけど、エリクサーの効果を誰かに見られると面倒なことになる可能性もあるからだ。
そして今ら僕がしようとしているパッチテストはエリクサーが害を及ぼさないか確認するためのものだ。さすがに異世界由来の薬品を、それも女の子の顔や体にいきなり使うような事はできないからね。
「わぁ……。ちょっと怖くなってきたんですけど。先にユートさんに塗ってみてくれません?」
「志織さん、割と良い性格してるよね……。でも志織さんの体質に合うかどうかを調べる検査だから」
「はーい」
「じゃあ左手に……」
「あ、どうせなら右手にして下さい。そちらに傷があるので」
志織さんは軽くそう言うと、右手にはめていた長い革手袋を外した。手袋の下から現れたのは綺麗な白い肌。
アケトアテンは日差しが強いこともあって志織さんの首から上は健康的な小麦色に日焼けしているけど、手袋をはめている手は全く日焼けしていない。そして……その白い手に残る、かなり目立つ縫合痕。
手が日焼けしていないということは、おそらく日常的にこの手袋をはめていたということだ。錬金術師という職業的な必要性と、それ以上に……やはり他人に傷跡を見られたくないという心理が働いているのだろう。
「前腕部の外側にある傷に塗るよ」
「……はい」
志織さんの声はいつもと違い、心なしか震えているような気がする。それもそうだろう。隠していた傷を見られた上に、これから未知の薬品を塗られることになるのだから。むしろ悲鳴を上げたり取り乱したりしないのが不思議なぐらいだ。
僕は細いフラスコ状になったエリクサーの栓を抜き、粘液質な液体を少しずつ傷に垂らしてゆく。
「きゃっ……なんですか、これ!冷たくて……なんだか肌をぞわぞわしたものが……」
「このエリクサーはゲル状になってるんだ」
「それ、本当にエリクサーなんですか!?」
うん、言いたい事は判る。日本人がエリクサーと聞いてイメージするのは豪華な細工が施されたクリスタルの小瓶に入った液体で、飲むなり掛けるなりして使うものだろうからね。
でもこのエリクサーは飾り気の無いフラスコに入ったゲル状物質で……。いや、グレイランスの錬金術師達の名誉のために言っておくと、もちろんあの世界でも本来高価なエリクサーは豪華なクリスタルガラスの瓶に入った液体だ。けど、この薬だけが特別なんだ。




