#2
「如月君、それに弓月さんも。丁度良かったわ」
「夢那センパイ、例の案件についてですか?」
「ええ、そうよ」
「悠斗はまだ帰還から1週間しか経ってない」
「如月君の事情はもちろんわかっているけど、今回はそうも言っていられないのよ」
麗奈は僕のインターバルが十分確保できていないことを理由に案件から外すよう主張してくれているけど、榊会長はそれを承知した上で何か事情があって僕を呼び出したということだろう。
「麗奈、ありがとう。でも事情があるなら話は聞かないと」
「……悠斗がそう言うなら」
「気を遣わせてごめんなさい。既に弓月さんから聞いているかもしれないけど、今から10日前に失踪した人物が『案件』であることが判明したの」
失踪による『案件』というのはつまり、転移の女神による異世界召喚が行われたと言う事だ。通常、失踪者が発生してから1週間程度で案件かどうかの判定が行われると聞いた記憶があるから、今回のケースは平均よりも少しだけ時間が掛かっていることになる。
けど前回僕が担当した斎藤君のケースのように1ヶ月半経ってから案件判定が行われるケースもある訳だし、経過日数だけ見れば緊急事態であるようには思えない。
「夢那センパイ、もしかして時流係数?」
「ええ。今回のケースは時流係数が35.1なの」
「35.1!?」
時流係数というのは現実世界と転移先の世界で流れる時間にどの程度差があるかを示す数字だと聞いている。
日本で流れている時間の早さを1.0としたこの数値が大きい世界……例えば時流係数2.0の世界では日本で1時間が経過する間に2時間の時間が経過することになる。逆に時流係数が0.5の世界では日本での1時間は異世界の30分に相当することになる。
前回訪れたエセルニウムの時流係数は1.07だと言う話は帰還してから聞いた。初任務だから不要な情報をあえて説明されなかったのは榊会長の配慮らしい。と言うことは総合学部の任務にはまだ僕の知らないことが存在しているという事なのだろう。
僕の個人的な事情として、異世界で活動している間は講義を休まざるを得ないので時流係数2.0だと欠席日数が半分になるからむしろ歓迎したい状況だと言える。
けど一方でこの数字が大きければ大きいほど転移者が異世界で過ごす時間が長くなることになるから、時間と共に経験を積み成長しした転移者は手強い相手となる訳だ。
しかし今回僕が向かう可能性がある世界の時流係数は35以上……?ということは、失踪からの10日間で現地ではほぼ1年近くの時間が経過していることになる。
そしてこうやって話をしている間にも、現地では35倍の速度で時間が経過し、勇者は刻一刻と力を付け、さらにはチート能力を振るって僕達の世界からリソースを奪っていることになる。なるほど、これは確かに緊急事態だ。
「榊会長、その35.1っていう数字はどれぐらい珍しいんですか?」
「少なくとも総合学部が活動開始して以来、初めて見る数字じゃないかしら。過去に2、3回、20台の数字がでて騒ぎになった事があるけど……」
「なるほど。それで、ターゲットはどんな人物なんですか?」
僕の言葉に榊会長は座っていたデスクの端末を操作し、壁面の大型ディスプレイに転移者の経歴データを表示した。
まず目を惹かれたのは長い黒髪と涼やかな切れ長の瞳が特徴的な可憐な印象を与える美少女の顔写真。そしてその横に記された、「高坂 志織」「14歳」という文字だった。
14歳といえば未だ中学生の筈。
僕は……この子を殺すことになるのだろうか……?
「じゃあまず状況を説明するわね。見ての通り、今回のターゲットは彼女、高坂志織さん。14歳で都内の中高一貫校に通う……まぁ一言で言えばお嬢様ね。たぶん現時点の外見はこの写真とは少し変わっていると思うけれど」
「……?見た目通りではないということですか?でもそんな良いところの子が失踪したら、すぐにニュースになりそうな気がしますけど……」
「彼女はね、3ヶ月前に一度ニュース沙汰になっているの。悲惨な交通事故だったそうだけど」
そう言うと榊会長はディスプレイの画面を切り替えた。表示されたのは首都高での多重追突事故と、その犠牲者について報じるニュース記事だ。そこは高坂という男女の名前が事故の犠牲者として記載されている。
「これは……もしかして志織さんの?」
「ええ、ご両親。そしてこの事故車には志織さんも同乗していたわ」
「……痛ましいことですね」
「まだ終わりじゃないわ。彼女はこの事故で重傷を負ったのだけど……中でも酷かったのは目の傷。追突時に砕けた窓ガラスの破片で……。それで、両目とも視力を失ったそうよ」
つまり先ほど表示されていた顔写真は事故前のものなのだろう。光を失った瞳はおそらく彼女の印象を大きく変えているに違いないし、場合によっては顔に傷が残っているかもしれない。麗奈が何も言わないところを見ると、どうやら彼女は志織さんの事情を把握していたようだ。
「それで、ご両親が亡くなられて彼女も負傷したということは、病院から失踪したということですか?」
「いいえ。彼女は退院したわ。失踪の前日にね。他に身寄りも無いらしくて、一度自宅に戻って心の整理を付けてから児童養護施設へ入ることになっていたそうだけど……。職員が迎えに行った時には彼女の姿は無かったそうよ。失踪した10日前は丁度彼女の15歳の誕生日の前日だったようね」
榊会長の語る高坂志織という少女の辿った運命はあまりにも過酷だった。事故で両親と視力を失い、1人迎える誕生日。その直前に異世界へ召喚された……?
「では失踪が大きな騒ぎにならなかったのは?」
「まず失踪者の捜索依頼を行う身内がいないということ。それと……彼女の事情を慮れば、世をはかなんだ彼女が自死を選ぶ可能性を誰もが想像してしまったから……かしら」
つまり志織さんは誰にも顧みられず、本気で心配してくれる人もおらず、ただ孤独なまま異世界へと連れ去られたということだ。転移の女神が本物の神かどうかは判らないけど、もし神が実在するのなら何故この子にこんな過酷な運命を与えるのだろう。
僕が内心憤っていると、これまで黙っていた麗奈が口を開いた。
「じゃあこの子、もうすぐ16歳になるのね」
「……そうか、時流係数35ってことは僕達がこうやって話している間にも彼女はもう一つ歳を取ることになるのか……」
「取れていればいいのだけど」
麗奈と僕の言葉に、榊会長は少し憂鬱そうに付け加える。取れていれば……というのが年のことだとすれば、その言葉が意味するのは1つだ。つまり榊会長は、志織さんが異世界で死亡している可能性を考慮しているんだろう。
それもそうか。プロフィールを見る限りでは高坂志織という少女は身体能力が高いわけでもサバイバル経験がある訳でもない、ごく普通の――いや標準よりも大事に育てられた箱入り娘だろう。そんな少女が生きる希望と視力を失い、異世界へ1人投げ出されて逞しく生きて行けるとは到底思えない。
そもそも彼女を勇者として召喚したであろう者達が、盲目の少女を役立たずと見なす可能性すら考えられる……。
「如月君が想像している通りのことを私も懸念しているわ。だから今回は『狩り』というよりも、彼女が異世界へ転移しそこで……死亡したことを確認してきて貰うことになると思うの」
「夢那センパイ!それなら、悠斗じゃなくてもいいですよね!?」
「タイミングの悪いことに手すきの狩人達は研修か、案件調査に出てるの。これが時間に余裕のある場合なら帰還を待ってから別の人を派遣しても良いのだけど、なにぶん時流係数が過去最高の値だから」
「生きていればリソースの流出が拡大し、死亡していれば痕跡を追い辛くなる……ってことですね」
「ええ、そうなるわ。如月君のケアが不十分なことは承知しているけど、お願いできないかしら」
榊会長の言葉に、僕は思案する。事情が事情だけにおそらく僕が志織さんに直接手を下す確率は低いだろう。その点は少し心理的な負担は少ないとは言え……不運に見舞われた少女の死を確認しに異世界へ赴くという任務に違和感を感じるのも事実だ。
ただ、誰かが確認に行かなければ、彼女がどのような最後を迎えたのかを誰も知らないまま彼女の物語は終わってしまう。少なくとも僕が彼女の足跡を辿ることが出来れば、高坂志織という人物の記録は総合学部に残ることになるだろうから。
そう考えた僕は、榊会長にこの任務を受諾すると回答した。




