2025/12/31 24:22
先に気付いたのは彼女の方だった。
公園を出て、東京の街並みに囲まれた彼女は不思議そうに辺りを見回していた。
「どうかした……?」
今更ながら自分も違和感に気付く。
この時間帯で。
この場所で。
この風景は、あり得なかった。
「人が、1人もいない……?」
身近なところでコンビニにも、駅の出入り口にも、大企業が入っているだろうビルの入り口からも人の気配は消え失せていた。
「え? 東京ってこの時間帯はお店閉めるの? 私の地元と同じだねー」
「いや、いつもと明らかに違う……」
確かに遅い時間帯だが人1人いない事に説明がつかない。
何かニュースになってないか?
僕はポケットからスマートフォンを取り出し、確認した。
「え?」
そこには圏外表示が映し出されていた。
それに、日付が12月31日のままで時間が経過し続けていた。
日付が、変わってない?
明も僕の真似をして、自分のスマートフォンを見て聞いてくる。
「東京って圏外なりやすいの? 私のもダメみたい」
「いや、そんなこともないはずなんだが……」
いよいよ、何も否定しきれなくなっていた。
頭がくらつく。
東京の眩い夜に包まれながら、僕は立ち尽くした。
明日からどうするんだ?
学校は?
会社は?
経済は?
国は?
どうなる?
そもそも、世界全体がこうなのか!?
1人頭を抱える僕を脇目に明は、どんどん東京の夜景の中へ溶け込んでいく。
「ちょ、ちょっと!?」
状況を分かっているのかと叫びたくなる気持ちを抑えて、呼び止める。
「ん?」
軽い返事をする明。
「いや、今電波が届かなくて、いやそもそも人がいなくなってて……」
自分で言うたびに混乱に飲まれそうになる。
「いいじゃん、人がいなくても! 私今すごいすっきりした!」
確かにネット使えないのは困るけどね、なんて続けて彼女は言う。
どうして、あっさり彼女はそんなことが言えるんだ?
すっきりした気分って、さっき泣いていたことと何か関係しているのか?
それに、と彼女は続ける。
「レイだって、本当は望んでいたんじゃない?」
この風景に。
見透かすように、突き刺すように彼女は言う。
「な、何でさ?」
僕は精一杯声を振り絞る。
その虚勢は、自己防衛のためだったのかもしれない。
僕の触れられたくない、本当の部分に刃物を宛てがわれているように思えたからだ。
「レイ、人嫌いでしょう?」
彼女は、言った。
僕の心臓にすっとナイフを滑り込ませるように。
「え……、いや」
いや、何だよ。
言い返すことなんて、無かった。
今日のこの散歩だってそうだ。
人になんか会いたくなかったから夜に縋った。
それでも、誰かに会わなくちゃいけないし、朝は待ってくれないしーー
「いいじゃん! 人嫌いでも! 私も同じ、気が合うね!」
自身の心にナイフが落ちていく寸前で、彼女の声が聞こえた。
彼女は僕のダメな部分を受け入れるように言う。
彼女はそう呟くと、多くの建物から溢れる光の波を浴びながら歩んでいく。
「ま、待ってくれ! 本当に誰もいないとは限らないだろ? 僕も行く!」
あえて、その話題から逃げるように僕は彼女へ追いつくように走った。
不思議と、僕は僕の心の急所を抉った彼女に対して嫌悪感を抱かなかった。
――むしろ、その逆。
彼女に興味が湧いてくる。
いつも何事なく適当に生きていければいい、トラブルが嫌だから愛想笑いの仮面を張り付けて生きていた僕の仮面を彼女はすぐさま剥いだのだ。
何故泣いていたのか?
心を見透かすあの観察眼は何なのか?
そして、彼女が追ってきた夢とは?
巨大なビル群が頭の四隅に紅い目玉を付けて僕たちを見下ろしている。
車も電車も、全てが停止し、店も店内の明かりだけを煌々と維持していた。
そんな異常事態の中、僕は意を決してもう一度聞いてみる。
「そ、そうだ。君の夢って一体何なのさ?」
僕の心に踏み込んだんだ。
僕だって、彼女の心に踏み込んでもいいだろう?
そんな仕返し染みた思考が一瞬過ぎったが、そうじゃない。
そうじゃないんだ。
僕に随分と懐かしい感情が芽生えていた。
それに今、突き動かされている。
知りたい。
彼女のことが。
僕は久方ぶりに、人に興味を持てたのだ。
「まだ覚えてた? その話題」
彼女は惚けて聞いてくる。
「覚えてるよ! だから、その、教えてくれないか?」
はぁ、とため息をついて彼女は軽く口を開いた。
「東京タワーまで案内が終わったらって約束でしょ? がっつくとモテないよ?」
うっ。
今度は図星をそのまま抉られた。
「分かったよ……。着いたら教えてくれ」
彼女は黙って飄々と前にいく。
焦って彼女について行く。
東京の夜は眩い。
それは人の消え失せたこの東京でも変わりは無かった。
いや、それはより一層輝きを増していた。
人の代わりにマネキンが華やかにショーケースの中で着飾り。
ガラス越しに見えたレストランの中では豪奢な料理とワインが今か今かと食されるのを待っていた。
本当にこの東京に何が起こったのだろうか。
いろいろあり過ぎた頭も、疲れたせいか逆にクールダウンしてきた。
夜の街並みはそのまま、人だけが消え失せている。
幻覚なのか?
だが、目覚める予兆もなければ、頬を撫でる風も僕を照らすネオンも全て現実の感覚だった。
じゃあ、本当に僕たち2人だけを残して、東京のそれとも世界の人が消え失せたのか?
答えはノーだ。
そんな非現実的なことがあるか。
いや、世界全体で考えてるから有り得ないのか?
そしたら、僕たち2人が逆に世界から切り離された、のか……?
答えのない思考の迷宮に迷い込んでいると、突然隣から声がした。
「まーた意味のないこと考えてる」
「わ!?」
明が呆れた風に僕を見てくる。
「どうせ何でいきなり東京が無人になったーとか考えてんでしょ?」
図星だった。
「そ、そうだけど?」
必死に平静を装って返事をする。
「もう、その意味のなさそうなことは辞めない? ほら、見てよ! この世界全て私たちが征服したんだ!」
彼女は街の明かりを浴びて、踊るように世界を見渡した。
「……いいの?」
「何が?」
満面の笑みで踏切へ進んでいき、全てが静止した世界で舞いながら聞き返してくる。
「何か君の夢があるなら、人の居なくなったこの世界でそれは叶えられるのか?」
観測者を必要としない夢は、あるのだろうか?
そんな疑問が口をつく。
明は少し、強張ったがすぐに元の調子で口を開いた。
「いるじゃあないですか、ここに! この街で、この世界で唯一の観客が!」
彼女は笑いながら、僕に手を差し伸ばす。
「だから、もう余計なことも辛いことも忘れて、私と一緒にこの世界で2人だけで生きてけばいんじゃない?」
元の世界のレールなんかから外れちゃいなよ?
近くまで来て、魅惑の言葉を囁く。
言葉とは裏腹に彼女はレールの上、僕はレールから外れた場所。
夢を追う彼女の方が人生という名のレールに上手く乗れているんじゃいか?
それに比べて、いつも僕ばその人たちのレールを見るだけの傍観者でーー
踏切の真ん中、あからさまな危険地帯。
彼女の瞳はその意思を映し出すように真っ直ぐで、そして危うく光っていた。
もしくは、何かを諦めてしまったかのような自暴自棄。
――けれど、確かに。
そうか、このままこの世界で生きてもいいじゃないか。
当たり前だった元の日常に帰るという思考が揺らぐ。
食べ物もエネルギーもこの世界には満ち足りているような気がした。
そうか、ここなら無理に仮面を付けて生きなくてもいいんだ。
強烈な誘惑が心に拡がっていく。
――本当に?
本当にその誘惑に溺れていくだけ、それだけでいいのか……?
夢の中にゆっくりと沈むように、静かな東京の夜景が優しい顔で僕を包み込もうとする。
「……ダメだ」
「え?」
誘惑に抗うように必死に絞り出した言葉に、明は驚いていた。
「ここはとても綺麗で、安心できる世界になったけど。ずっと、本当にこの夜だけに生きたいくらいだけど! ここにいちゃダメな気がするんだ」
明は黙って聞いていたが、口を開いた。
「何か、元の世界に未練でもある?」
不思議そうに彼女は聞く。
「それは……」
言葉の先を言おうとして、詰まる。
僕は元の世界に未練なんてあったか?
すぐに答えは出なかった。
そんなモヤモヤした僕の様子を見て、彼女は口を開く。
「レイには元の世界の綺麗なレールを歩いた方が楽かなー?」
挑発するように明かりは言う。
「レールを沿って歩くだけでも大変なことはいくらでもあると思うよ?」
しまった。
買い言葉のように答えてしまったことに自己嫌悪する。
――綺麗なレールだとしても、まともに歩けてないくせに。
一瞬の沈黙。
「まぁ、いいや」
ぎこちない空気を壊すように。
「東京案内してもらいながら、その気持ちもどうせすぐ変わるでしょ?」
彼女はあっけらかんと言って笑った。
道ってこっちー?
彼女は笑顔で急かしながら、光の波を泳いでいく。
慌てて僕も踏切を渡り切る。
僕は彼女に対しても、自分に対しても煮え切らない気持ちを抱えながら、東京タワーを目指した。
背後の踏切には結局、電車が来る気配は一向にありはしなかった。




