天才の微笑
夏休みが終わり、それまで何もしていなかった同級生たちも、受験勉強にいそしむようになった。授業を寝ていた者も現状に危機感を覚えて勉強に励んだ。
クラスの雰囲気は受験一色となり、それは冬に近づくにつれて一層濃くなった。
寒さが厳しくなり、それと同時に受験への焦燥感が極点に達しかけていた十二月のある日。空は透き通るほど青く、それは大気の冷たさを一層強烈にしていた。
大気は昼休みを迎えても、本質的に温くなることはなかった。教室は暖房が効いていたとしても寒かった。寒さの中、級友たちは塾や学校の課題に休み時間を返上して取り組んだ。もちろん、私も彼らの一員であった。
隣席の彼と言えば、勉強に励んでいる級友たちを、あご肘をついて眺めていた。その視線は驚くほど冷たかった。
「しなくても受かるでしょ」
彼は薄い唇を小さく開き、私にしか聞こえない声でつぶやいた。
「しないと受からないからに決まってるだろ」
顔をあげた私は彼の呟きに微かな苛立ちを覚えた。それは羨望を由来とするものだった。
「しないと受からないような場所に行ったところで、落ちこぼれるだけなのに?」
「本人の努力次第だろ」
「違うね。今までの環境次第だ。こいつらが志望してる私立に行く奴なんて、それまでずいぶんと良い環境で育ってきてた。習い事をして、塾に行って、何不自由なく学校に行って勉強してきた優等生どもだ。そんな奴らと同じ土俵で勉強しても、俺如きが一位の中学出身の奴なんて落第生にしかならない」
私は「その権利を持ってるくせに」と反駁しようと口を開きかけた。
だが、不健康なほどに白い顔に浮かぶ、彼の『無』の表情に閉口した。
「お山の大将ができる高校に行った方が良い」
言葉を飲み込んだ私を嘲るように、彼は微笑を浮かべた。軽薄な印象を覚えさせる表情であったが、その印象とは裏腹にぎょろぎょろとした双眸は私の顔をじっくりと観察していた。
「身の丈に合った高校を第一志望にしてるお前は優れてるさ」
私を見つめる彼は、ときおり漏らしてくれる愛しい言葉を紡いだ。
柔い音声は私の中にあった鬱憤を和らげた。悪辣とした感情を抱いた原因と同じものが、今度は私を快くさせたのである。
「どこの高校に行く予定?」
「お前と同じ高校さ」
軽薄な微笑と共に告げられた事柄は、嘘とも誠ともわからなかった。
ただ、彼の様な天才が(たとえ、それが嘘だとしても)私と共に歩むと発してくれたことが何より嬉しかった。私は無邪気に笑い、喜び、「じゃ、置いて行かれないように勉強するよ」と、彼しか聞こえない声で呟いた。
目を見開いて私を見つめた彼は、「ああ、頑張れよ」と、クスっと笑い声を漏らした。