天才との出会い
彼の席は私の隣だった。
これを知った当初、私は一年間の学校生活に不安を抱いた。所属していたサッカー部の先輩から伝えられた彼の突飛な行動に巻き込まれ、不都合を被る可能性に私は慄いていた。
「公彦。よろしく」
恐れを抱いたまま迎えた新学期初日。
耳と目元を覆う黒髪と中学生にしては骨ばった体を携えた彼は、ほっそりとした手を私に差し出した。大きなガラス窓(いま考えれば、それは私が小さかっただけであろう)から注ぐ春陽と、校舎二階の高さ達する大きなソメイヨシノの薄紅色を背景にする彼は屈託のない笑みを浮かべた。
私は恐る恐る彼の手を握り、「よろしく」と一言返した。
私の手を力強く握った彼は首を何度も縦に振った。その無邪気な彼の様に私は噂を忘れた。
学校中に波及していた噂はある面では事実であり、ある面では虚偽であった。
実際、彼は中学校一年まで授業中に教室を歩き回っていが、その年の秋から実施した服薬療法でそれは改善されていた。ただし、それでもなお、彼の多動は度々現れた。
中二の春、彼は数学の授業中に脚をぶらぶらと動かしていた。暇を持て余すかのように動かされた脚とは裏腹に、彼のシャーペンはノートの上をひたすらに走っていた。
私はその様に興味を持ち、彼のノートを覗き込んだ。
彼は「この授業、退屈だ」と私にしか聞こえない声でつぶやいた。その鋭い視線は、抑揚のない声音で説明しながら一定の筆跡で板書をする四十代の男性教師に向けられていた。他方、私の視線はと言えば彼にしか読み取れない文字と数字に塗れたノートに向いていた。私はそこに凡人には持ちえない輝きを見出した。
この天才の言動は見てくれだけの行為ではなかった。
彼の数学と理科の成績は五段階評価のうち、常に『五』であり、他の主要教科も同様の評価を受けていた。それは学生からすれば栄誉であり、担任も彼に通知表を渡すときに「優れている」という意図を含んだ言葉をかけていた。他方、彼本人はその度に「くだらない」と呟いていた。
成績が凡であった私からすれば、隣の席から聞こえる彼の言葉は理解できなかった。私は「成績良いのに、どうしてそんなこと言うの?」と凡庸な問いを彼に投げた。
彼は「自由が評価されないから」とたった一言返した。
私は彼の返答が理解できなかったが、彼の視線の先の『音楽、三』という記載に強烈な親近感を覚えた。
ただ、その親近感も普段の行為が持つ異常性によって上書きされた。
彼は常々「授業がつまらない」と教師に面と向かって言う問題児の側面も持っていた。教師はその度「君にとってつまらなくても、みんなにとっては面白いかもしれないだろ」と返した。このありきたりな返答をし、それで満足してもらおうとする教師に彼は黙さず、「みんな、頭が悪いんだから面白いわけない」と癇癪に似た声音で反駁した。そして、クラスメイトの前で説教されるのが常であった。
中学生の私たちからすれば、教師に反発する彼の姿は英雄のように思えた。自由を束縛する諸規則に誰しも微かな不満足を持っていながら、恐れのためにそれを発露できない状況下で、環境に臆することなく言葉にした彼の姿は輝いていたのだ。一年前まで奇行のために周囲から疎外されていた彼も、中学二年生においては尊敬の念を集める偶像となった。換言すれば、彼は中学二年生の一学期において奇人から人気者となったのだ。