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青春讃歌  作者: 鍋谷葵
18/20

贖罪の焦燥

 冬休みが明けると、そこには何ら変わらない日常があった。


 普段通り勉強し、昼休みには山田と谷口と駄弁り、放課後は心身が凍える中でランニングに励んだ。部活が終われば、山田と谷口が自分の彼女とそうしているように田部さんと手を繋いで帰った。


 私たちの友情と恋慕は春に向かって成熟していった。


 私対山田、私対谷口、私対田部さん、私対部活動の連中、彼らとの関係は深まり、私はそこに満足していた。そして、その満足は私の視界からたった一つの空席を奪い去った。


 意識に呼応するように、担任からの要請もなくなった。


 プリントを最後に彼の家に投函した日から一か月後。


 彼に届けるためのプリントを取りに行こうと、放課後に職員室に向かった。身震いする寒さが支配する廊下と、気乗りしない私の重い足取りは良く似合っていた。


「良いところにいた」


 階段を降りようとしたとき、偶然にも階下から担任が上がってきた。初老の男の頭はてらてらと光っていて、身に纏っているウィンドブレーカーには痛々しさを覚えた。


 担任は足早に階段を上がり、私の前に立つと「河野の家にプリント届けるのやめて良いぞ」と疲れ切った息とともに吐きだした。私をねぎらうように紡がれた言葉は忘れていた贖罪の意識を思い出させた。


 当時の私は復活した罪に気づくことができなかった。


 なぜ、焦っているのか。


 なぜ、冷や汗が止まらないのか。


 なぜ、精神がどん底に沈んだのか。


 私には把握できなかった。自分の状態を理解できず、顔を青くして、唇を震わせて、掠れた声で「どうしてですか?」と尋ねることしかできなかった。


 担任は私を心配するようなまなざしで、けれども、決して言葉を濁すことなく「『学級を管理するのが担任の仕事だ。なのに、それを生徒に任せるのは筋違いだ』と、学年主任に言われてな」と、忌々しそうに語った。


「これからは俺が届ける。いままでありがとうな」


 五十代の女性教諭への恨みを込めながらも、担任はねぎらいの微笑を私に向けた。


 疲れた笑みは記憶の隅において、私は山田と谷口が待っている教室に向かった。その足取りは異様に軽く、けれども恐怖で震えていた。


 教室には幾らかのクラスメイトが残っていた。その多くは帰宅部か、出ようが出なかろうがどうでもよい文化部の連中だった。


 暖房の利いた教室に入っても私の体は震え続けた。振動は私に吐き気を催させた。その様は彼らの目にも異常に映って注目を集めた。


 普段から向けられない注目は耐え難い不快感を含んでいた。内外両方の不快感にさらされた私は立っていることがやっとだった。


「大丈夫か?」


 私に歩み寄ってきた山田の腕は太く、その手は硬く映った。肌色は夏に得た太陽の陰りをそのまま持っていた。


「なんかあったの」


 傍らの谷口の身体は肌が白くとも健康的な細さだった。


 槍投げと棒高跳びの選手らしい二人の身体は、健康そのものであった。


 私が最後に見た大介の姿とは異なり、天才ではなく凡才であるのにもかかわらず、肉体的には彼よりも優れていた。


 私は二人を直視できなかった。


 私が見たのは彼の机だった。


 誰も座らず、誰からの興味も失われた彼の席は寂しくぽつんとそこにあった。


「帰る。田部さんにもそう伝えておいて」


 罪悪の意識に耐えきれなかった私は友人にそう告げた。


「さっきまであんな元気だったのに?」

「体調が急にわるくなるなんてあるの?」


 二人は私の機嫌を悟ることなくおどけて見せた。普段であれば笑って過ごせる他愛のないジョークも、当時の私には憎悪の対象となった。


 私は私の席の前に立ちはだかる二人を押しのけて、リュックを背負い、教室を後にした。背中には「ごめんて」、「揶揄っただけじゃん」という言葉を聞いた。


 しかし、私の心に湧き上がった憎悪はそれによって消し止められなかった。

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