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青春讃歌  作者: 鍋谷葵
13/20

奏でられる騒音

 梅雨が明けたころ、遂に彼は学校へ来なくなった。


 クラスメイト達ははじめ、「自分たちのせいで来なくなった?」と考えていたが、三日後には「あいつの勝手か」という考えに変わった。谷口も「あの態度で、あの成績で、あの人付き合いの悪さだ。不登校になるのも仕方ないよ」と我関せずの表情で唯一の空席を見つめていた。


 中学と高校の同級生の中で、彼とかかわりを持っていたのは私だけだった。その理由から担任は「家が近いし、中学も同じで顔馴染みなんだから、部活終わりにプリント届けてくれ」と依頼してきた。


 私は『彼の友人』という一種の誇りからこれを承諾した。


 彼のぞんざいな扱いを許容するクラスメイトと教師は、あの時の私にとって愚かしく見えた。だが、その認識が私の生活に逸脱を与え、生活を苦しめることはなかった。


「大介。これ、今日のプリント」

「そこに置いとけ」


 初夏の部活終わり、彼の家に訪れても家には部屋に籠る彼しかいなかった。


 私は大抵の場合、インターホンを鳴らしてから玄関扉を開け、二階に上がって彼の部屋に入り、赤いジャージ姿でエレキギターを弾いている彼の背中を見つめていた。


「勉強はしてるの?」


 散らかり放題の部屋はカーテンが閉め切られ、明かりと言えば彼のデスクトップPCが放つ青白い光だけだった。


「してねえな。音楽聴いて、ギターを弾いて、ネットサーフィンしてるだけだ」


 学習机の上には私が届けた続けた真新しいプリントが山積していた。


「その頭があるのにもったいない」

「こんな頭、何の役にも立たねえ。薬を飲まなかったら何にもできないポンコツなんだ」


 ゲーミングチェアに座る彼は、ストロークを強め、軽はずみな私の発言を皮肉交じりに批難した。


「ポンコツなわけないだろう」

「前提に副作用のある薬があってもか?」


 振り返った彼の長い前髪に覆われた双眸は憎悪と羨望に淀んでいた。


「ごめん」

「謝るなよ」


 批難から逃れるための謝罪は素っ気なく拒絶された。パソコンに向き直った彼は再びギターを弾き始め、部屋にはエレキギターの生音だけが響いていた。


「それよか、これ聴いてくれよ」

「これ?」

「良いからさ」


 人の機嫌というのは瞬く間に変化していくものらしい。


 拒絶の態度は一変、彼は嬉々として使い古された黒いヘッドフォンを渡してきた。


 突飛な彼の言動に動揺したが、機嫌をこれ以上損なわせたくないために私は従順にそれを装着した。彼の表情と言えば、期待と緊張が混ざり合って強張っていた。


 マウスのクリック音が微かに聞こえた。


 そのあとには、耳障りの悪いノイズに塗れたギターの音が聴こえてきた。乾いたドラムの上には、軽いベースの音が載っていた。


 濃度の薄い音が鼓膜を震わせた。


 期待に満ちた視線を彼は私に注いでいたが、私は答えることができなかった。私は彼の作った音楽に対して、「理解できない」という感想しか抱きえなかったのだから。


 彼は才能を称賛する言葉を望んでいた。淀んだ双眸には俗的な欲求が浮かんでいたのだ。


 私は彼に嫌われたくなった。


 彼の機嫌を悪化させたくなかった。


 だから、欺瞞の態度を取った。


 私は微笑を作り、「良い曲。天才だよ」と穏やかに紡いだ。


「本当か?」


 普段であれば斜に構えて物事の裏を考える彼も、この時は純朴な少年だった。


 彼は目を丸くして、淀んだ瞳を輝かせて、私をジッと見つめた。


「うん、本当だよ」


 私の詭弁に心を躍らせた彼は満面の笑みを浮かべた。


 三年弱の付き合いの中で初めて見る表情に私は痛みを覚えた。


「もっと曲あるからさ、聴いてくれよ!」

「うん」


 私は行き場のない痛みを抱えながら、年相応の喜びを無邪気に発露する彼の曲を聴き続けた。だが、ノイズに塗れた轟音が響く楽曲は理解できなかった。

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