「エミリア」:ナチュラリズム
灰色の空が低く垂れ込める山岳地帯。エミリアは重い鎧を身にまとい、岩だらけの斜面を這うように登っていた。彼女の呼吸は荒く、汗が顔を伝い落ちる。
エミリアは小さな村の出身だった。そこでは女性が戦士になることなど、想像もできなかった。しかし、彼女は社会の規範に反して剣を取り、今では魔王討伐の旅の只中にいた。
岩場を登りきると、エミリアは一瞬たじろいだ。目の前には、巨大な熊の死骸が横たわっていた。その腹は裂け、内臓が露出している。エミリアは吐き気を抑えながら、熊の傷跡を観察した。
「魔物の仕業か」彼女は呟いた。その声には、恐れと決意が混ざっていた。
エミリアは先を急いだ。しかし、高地の薄い空気が彼女の動きを鈍らせる。彼女の体は、この過酷な環境に適応しようと必死だった。
夜になり、エミリアは岩陰に身を寄せた。彼女は乾パンを齧りながら、遠くに見える魔王の城を睨みつけた。そこには、彼女の故郷を滅ぼした張本人がいる。復讐心と正義感が、エミリアの中で渦巻いていた。
しかし、エミリアの心の奥底では、別の感情も芽生えていた。この旅で見てきた光景―貧しい村々、荒れ果てた畑、飢えた民衆―それらは、魔王だけでなく、この世界全体の問題を示唆していた。
翌朝、エミリアは再び歩き出した。彼女の足取りは重く、体は疲労に満ちていた。しかし、その目には強い意志の光が宿っていた。
突然、岩の陰から魔物が飛び出してきた。エミリアは咄嗟に剣を抜いた。しかし、魔物の動きは予想以上に素早く、彼女の腕に深い傷を負わせた。
エミリアは痛みをこらえながら反撃した。剣と爪がぶつかり合い、血しぶきが飛び散る。激しい戦いの末、エミリアは何とか魔物を倒した。
勝利の喜びもつかの間、エミリアは自分の傷の深さに気づいた。彼女は包帯を巻きながら、自分の弱さを呪った。同時に、この世界の残酷さを痛感した。それでも、エミリアは前に進み続けた。しかし、彼女の体は限界を迎えつつあった。高山病の症状が現れ始め、呼吸が苦しくなる。視界が霞み、足取りが不安定になる。
エミリアは岩に寄りかかり、遠くに見える魔王の城を見つめた。そこまであと少し。しかし、彼女の体は動かなかった。
「こんな...ところで...」
彼女の声は風にかき消された。エミリアは無力だった。彼女の夢、彼女の復讐心、そして彼女の正義感。それらは全て、この過酷な自然の前では無意味だった。
エミリアは岩陰に身を寄せ、震える手で毛布を引き寄せた。彼女の意識は徐々に遠のいていく。最後の力を振り絞り、故郷の方角を見つめた。
「ごめんなさい...みんな...」
彼女の目から一筋の涙が流れた。それは、彼女の夢と共に凍りついた。
エミリアの体は、やがて雪に覆われていった。彼女は、この過酷な世界の一部となったのだ。魔王の城は、相変わらず遠くに聳えていた。世界は、彼女の存在など気にも留めず、いつものように廻り続けるのだった。