木の葉にご用心
「やあ、昨日はどうも……」
しょぼくれた声に顔を上げると、古書店主・真樹啓介はおや、と相手のしなびたドジョウひげへ目をくれた。近くの裏通りで手相占いをしている大垈という初老の易者が、真っ白い封筒を手に控えている――。
「ここにきっちり二万円入ってます。真樹さん、昨日は本当に助けられました」
大垈の言葉に、本の検品と値段付けをしていた真樹はああ、と手を打ち、
「いやいや、こちらこそもっと早くに店に来ていれば……。青タンの一つくらいは減らせていたと思うんですが」
「――どうも近頃の居酒屋は、屈強な店員が多くていけないですよ」
顔のあちこちに絆創膏や青タン、大きなところで額にガーゼを貼った大垈は、傷を撫でつつ昨夜のことを振り返る。
「早いうちからお客が来て、珍しいとは思ったんですよ。で、手相を見ながらいろいろ言っていたら、『こんなに当たって、いろいろ親身になってくれる人はなかなかいない。なけなしのお金だが受け取ってほしい』って、三万円をぽんと置いていったんです」
「差し支えなきゃ、どんなことを当てたか教えてもらえませんか?」
封筒の中身を確かめ、簡単な受け取りを書いていた真樹が大垈にたずねる。
「青い着流しを着た、銀髪の若い青年でしたね。悪いことが続くから見てほしい、っていうんで手相を見てみたら、頑張って貯めた大金を不幸な形で失った、とありあり出ているんです。破産とかそういう類じゃなさそうだったから、過ぎ去った金の事は忘れて再び貯めることに勤しみなさい、気を落としなさんなと励ましたんですが……」
「ところが早々店を閉め、その三万円を軍資金にしこたま飲んで勘定を済ませようと思ったら、財布に入れたはずのお金がない。代わりになぜか、楓の葉が三枚……」
「あそこでおもわず『お金がないっ』と叫んだのがよくなかったですね。レジにいた肩幅の大きな店員が詰め寄って来たので、つい驚いて仰け反ったら……」
「食い逃げと勘違いされて、その他大勢の屈強な店員に取り囲まれて袋叩き。そこへハシゴ酒をしていた僕が現れて事なきを得た……というわけですか」
「……適当なことは言うほうだが、嘘だけはつけなくてね。まあ、信じられないのは無理もないでしょうよ」
書きつけた受け取りを懐へ納めながら、大垈は真樹の目線に耐え切れず、そっと視線をそらした。しかし、真樹から返って来たのは好意的な言葉だった。
「いやいや、大垈さんが嘘を並べてるとは思っていませんよ。しかし、あの楓の葉には驚いたな。実はこの頃、我が家でもおかしなことがおきましてね……」
「と、いいますと?」
「秋でもないのに、裏口の側溝にやたらと木の葉、しかも楓のが詰まってるんです。色づき加減からして街中に自生しているようなものではないから、子供のいたずらだろうとは思うんですが……。勝手に焚火するわけにもいかなくって、掃除したやつを捨てかねてるんですよ、まだ店の勝手口に――」
と、真樹がそこまで話しかけた時だった。話題の裏口からきゃあっ、という悲鳴が上がったのに驚くと、真樹と大垈は急いで裏口のある台所へと回った。見れば、店のアルバイトの女子大生が丸い目をしてアスファルトの上に尻もちをついている。
「どうしたんだい蛍ちゃん……」
「店長、い、いまごみ袋を咥えて、た、た……」
「た……なんだいいったい」
「――狸が二匹、向こうに逃げてったんですっ」
「狸ぃ?」
後ろ手に蛍が指さす方向へ目をくれると、遠くに二つ、もふもふとした何かが楓の葉の詰まったゴミ袋を背に乗せて走ってゆくのが確かに見えた。
「――大垈さん、もしかするとあなたのところへ降りかかったのは、あの狸の憂さ晴らしだったのかもしれませんよ」
「な、なんですって?」
「僕が気まぐれに側溝を掃除して、お金に化かすはずの木の葉を失ってしまった。その行方に気付かずにしょんぼりしていたのを人間にあてられて、ちょっとカチンと来たのかもしれませんね。事実を突きつけられて不機嫌になるのは、人も狸も同じらしい――」
「しかしそれなら、元凶を作った真樹さんのところへも仕返しに来そうなものだが……」
「ほんとうだ、これは怖いな……。しばらくは大人しく、側溝も手を付けずに過ごすことにしよう」
さて、真樹と大垈がそんなことを話し合っているころ、とうの「二匹」はと言えば……。
「やっと回収できたよ。――三百万円相当の木の葉を燃やされるとこだった」
「その虎の子をゴミ扱いして……あいつにこそ仕返しをしてやらないと」
「いや、そいつは止そう。うっかりするとこちらがやられかねない」
「それまたどうして?」
「――あの真樹とかいう人間、易者が来る前に読んでただろう。『野生動物のさばきかた』って本を……」
「……しばらく山奥に潜んでようか」
黙って頷くと、人の姿になった「二匹」は、化かした札束を懐にゆっくりとけもの道を上って、山の中へと消えていったのだった――。
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