5話
例えるなら拙く描画された竜巻、とでも言うべきだろうか。
暗黒召喚士によればバルバスというらしいそのアウトサイダーは、戦況を不利とみたのか新たな形態へと進化した。
幾つもの線が渦を巻くように重なり合い、一秒と同じ姿を保っていない。みるみるうちに姿が大きくなり、しかもそれは止まらず、更には魔力までもが膨れ上がっていく。
「何だよ──こいつ」
その問いに意味など無いことは分かっていた。
いつもこうだ。上位種のアウトサイダーは、それが本当に生物なのかと疑うところから始まり、生態、行動原理の他、結局は全てが謎のまま終わる。
それでもこれ以上巨大化させてなるものかと、リーシュは臆することなくセラフクライムを振り翳した──が、甲羅の時とは一転、何の手応えもない。剣どころか身体ごとすり抜け、思わぬ事態に体勢が崩れる。
一方で渦巻きがリーシュに向かって輪を縮めると、それはまるで刃の如く彼の身体を切り刻んだ。
「ぐわあっ」
全方位からの切れ目ない斬撃。それは回避、防御ともに不可能で、瞬く間に騎士の全身を赤く染めた。
攻撃が途切れた僅かな一瞬、リーシュは堪らず大地を蹴って後方へ飛ぶ。
「再生するって言ってもな──ちゃんと痛えんだよクソが」
その場に蹲るリーシュの身体から溢れ出る蒸気。するとたちまち出血が止まり、ジュウ……と音を立てて幾多の傷が一斉に修復を始めた。
「さすがに……まずいか」
後ろを振り返ると、揺らめく炎の先でセシリアが大声を張り上げている。
「もう一度あの女に連絡を取れ! 私が直接話す」
それはもはや金切り声に近い。ララによって本国と繋がると、更に勢いを増して怒鳴り散らした。
「いい加減にしろ、我々を死なせたいのか!」
苦い顔のリーシュ。どうやら本国は何があっても〈許可〉を出さないようだ。
鎧や服はボロボロだが傷は癒えた。セラフクライムを握り直すと、再び巨大な竜巻へ突撃する。
だがやはり結果は同じ。ダメージを与えるどころか触れることさえできない。
こちらが何をしようとも透過する無数の刃──それでいて敵の攻撃だけはしっかりと当たる。これではセラフクライムの能力があっても意味を成さない。
「ああ……あ」
まるで一生分の恐怖を集めたかのように、ララが言語を忘れて立ちすくむ。
巨大化しながら座標も変えているのか、黒い渦は彼女らの目前まで迫っていた。炎幕さえも軽く吹き飛ばし、気が付けばすっかり彼らを取り囲んでいる。
背後は岩壁。馬はいつの間にか逃げ出し一頭も残っていない。
死を悟ったララはポロポロと泣き出し、声を震わせながらも懸命に訴えた。
「逃げて……ください。セシリア様とリーシュ様だけなら……」
怖くて堪らないはずの、ハーフエルフがこぼした願い。
彼女は分かっている。自分の代わりは幾らでもいるが、この二人はそうでないことを。二人が生き長らえることで、救われる命が多くあることを。
セシリアとリーシュの目が合った。
確かに訓練された二人の騎士なら逃亡は可能かもしれないが──それは初めから選択肢に無い。逃げるとすれば全員で、だ。
通話の相手がまた何か言いかけたが、それを遮るように切ったセシリアは、ララに手を伸ばすと彼女を包むように優しく引き寄せ、ぎゅっと抱き締めた。
「私達は騎士だぞ。絶対に見捨てたりするものか」
それを聞いて少しだけ口角を上げるリーシュ。彼は覚悟を決めた。
「無事に帰すって──約束したからな。しょうがねえ、後で怒られてやるよ」
軍令違反は時として死罪に値する。しかし全員の無事を前提にするならもう他に手はない。
「──〈解放〉!」
その瞬間、世界が黒く塗り替えられた。
全てを蹂躙する力の顕現。
あらゆるものを等しく無価値と蔑む、神または悪魔の領域。
無尽蔵の魔力が支配的に拡散し、巨大化したバルバスでさえ、羽虫か何かのように一瞬で呑み込んだ。
バルバスだけではない。黒き衝動はその場にいる全ての者から思考と行動を奪う。
やがて視界が開けた時リーシュは──リーシュではなくなっていた。
その髪は黒く、瞳も黒く。手にしたセラフクライムでさえ黒く変貌している。
圧倒的な魔力の源泉は間違いなくリーシュだ。しかし彼は不気味なくらい静かな佇まいで、僅かに空を仰ぐ。
「リーシュ……様?」
何もかも別人のようだった。何が起こったのかまるで理解できないが、ララは一つだけ得心のいったことがある。
最終兵器の解放。その為の〈許可〉だったのだと。
「しつこいんだよ、お前」
頭上高くセラフクライムを掲げると一瞬の溜めを作り──リーシュは無造作にそれを振り下ろした。
すると魔力の刃が剣本来の間合いなど無視してバルバスを捉え、その巨躯を真っ二つに切り裂く。
どうやって相手の攻撃を透過していたのか。また反撃していたのか。
そんな仕組みや理屈は、遥か上の次元から放たれた一撃の前ではまるで無意味だった。
バルバスの〈再生限界〉が破れる。
「グワァ……アア……」
何処に声を発する器官があったのか、渦のようなアウトサイダーは確かに断末魔の声を上げた。
そしてゆっくりと形が崩れていき──魔力そのものに戻ったそれは、異国の空へと霧散していく。
「リーシュ!」
世界に色が戻る。
それとともに魔神も騎士へと戻る。
張り詰めていた黒い空気は次第に和らぎ、それと入れ替わるように、今度こそ終わったのだという安堵で満たされた。
しばらく呆然としていたセシリア、そしてララや他のメンバー達。
やがて我に返った彼らが一斉に駆け寄ると、一つ息を吐いて騎士が振り返る。
「一緒に言い訳考えてくれよ」
リーシュは少し困ったように笑った。