3話
時は僅かに遡る。
セシリアの指示を受け目標へ飛んだリーシュは、岩影に潜む者の姿をその目に捉えた。
「お前か!」
敵国シャルムの暗黒召喚士。老人と呼んで差し支えない年配の男で、他には誰もいない。
黒いローブに身を包むその男もまた、リーシュを認めて叫ぶ。
「〈魔神〉リーシュ!」
「誰が魔神だよ」
この男には聞きたいことがたくさんある。リーシュは空いた右手で男の襟首を掴むと、締め上げるように持ち上げた。
「うぐっ」
「さっさと召喚を解きやがれ。でなきゃ死ぬぞ」
召喚士自体に物理的な戦闘力は無い。まして召喚魔法の発動中であるから、別の魔法で応戦することもできない。
発見され距離を詰められた時点で敗北は必至──のはずだったが、男は苦しむどころか笑みさえ浮かべて、異界と現世を繋ぐ言霊を吐く。
「ガルムを返還。来たれ厄災、バルバスよ」
次の瞬間、リーシュの右手に灼けるような痛みが走った。
そして男の内側から放たれる、新たな召喚光。
「ヒントを与えたのは──そう、貴様だ」
顔が歪に崩れる直前、男は確かにそう告げた。
その言葉の意味をリーシュは──リーシュだけは瞬時に理解できた。咄嗟に距離を取り、悲鳴にも似た声を上げる。
「〈侵食〉──させたのか!」
光は男を喰い破り、バラバラに飛散した身体を呑み込みながら拡大していく。それと同時に、肌を逆撫でするかのように湧き起こる不気味な魔力。
リーシュは更に距離を取った。
「冗談じゃ……ねえぞ、全く!」
見上げる程に膨らんだ光はすぐに消え、代わりに巨大な何かが姿を現す。
それは一見すると甲羅のようであったが、亀と違って頭や手足は無く、代わりに無数の触手がうじゃうじゃと纏わりついていた。
そして甲羅の表面には──またしても無数の〈眼〉が。
「セ、セシリア様! あれは一体……」
その巨躯は通信兵ララからもはっきり見て取れた。
彼女は縋るようにセシリアの腕を掴み、まるで詰問するかのように訴える。
しかしセシリアはそれを振り解くと、ヒートソウルの先端を地面に突き立てた。
「炎幕!」
たちまち炎が立ち上り、セシリアや通信兵達を半円状に取り囲む。それは近付くだけで敵を呑み込む防御壁であった。
「上位種、恐らくCランクだ」
アウトサイダーはその強さに応じてランク付けがされている。
あくまでも〈焔〉の戦力を準拠として、単身でも複数に対処可能な最低ランクがE。例えば先刻の狼がそれだ。
Dランクはその中から稀に現れる強個体で、一対一で何とか撃破できるレベル。
そして複数名での対処を余儀なくされるのがCランクだった。それ以上の個体にはセシリア達であっても滅多に遭遇しないことに加え、感知できる魔力からの判断であろう。
「さっきの奴らとは違う。ララ、本国へ通信。今のうちに〈許可〉を申請しておけ」
「は、はい」
訳が分からないことの連続にパニック寸前だったララにとって、セシリアの強く確定的な指示は有り難かった。
彼女は目を閉じて魔力を高め、本国との通信魔法に集中し始める。
他の面々も魔法を活用して、映像として記録したり別の通信を試みたり、炎の内側が急に忙しくなった。
(私も出るか──しかし炎幕だけでここを防ぎ切れる保証は無い。リーシュ……)
心配は不要なはずだ。
並外れた身体能力とバトルセンスは強者揃いの〈焔〉でも間違いなく上位。リーシュは強い。
過去の討伐実績からしても、それ以外の理由からしても。
だがセシリアは化物と対峙するリーシュの背中から目を逸らすことができない。
「──駄目です。〈許可〉、下りません!」
「何!?」
セシリアは耳を疑う。
Cランク以上のアウトサイダーと遭遇する可能性は、低いながらも当然考慮されていたはすだ。
その際採るべき策は二つ。〈焔〉を複数名派遣するか、メンバーにリーシュを入れるか。
派遣されたのが僅かに二人ということは、後者だろう。つまり〈許可〉が必要になる場面を想定していた──そうではないのか。
「馬鹿な。あの女、何を考えている。現戦力だけで何とかしろと?」
セシリアが唇を噛む。確かに相性次第では何とかなる可能性もあった。
しかし裏を返せば全滅の可能性もあるということだ──リーシュ以外は。
「リーシュ!」
思わず叫んだセシリアの視線の先で、リーシュは既に敵と交戦していた。
本体と見られる甲羅は微動だにしない。対して触手は、鞭を想起させる俊敏さで若き騎士をつけ狙う。
幾重にも連なる触手を躱しては斬る──そんな攻防が数分に渡って続いた。
(触手が──減らない──?)
遠目に見守るララの頭に浮かぶ疑問。そしてジワジワと大きくなる焦燥。
リーシュがどれだけ触手を切り捨てても、次の瞬間には倍するそれに囲まれ、一向に状況が変わらない。これは一体どういうことなのか。
「〈再生〉するんだ。Cランク以上は」
彼女の意を察してセシリアが答えた。
「それも驚異的なスピードでな。だが無敵というわけじゃない」
Cランク以上は個体差が激しくなる一方、共通点も確かに存在し、最大のそれが再生能力であった。
しかしセシリアの言う通り、〈再生限界〉を超えるダメージを与えれば倒すことができる。但し圧倒的な火力が必要だ。
「触手は駄目だな。本体を攻撃しなければ」
「あっ──」
その時、躱し切れなかった触手がリーシュの右頬を掠め、視力の良いララには鮮血が散る瞬間が見えた。
リーシュは動じることなく身を反転させ、セラフクライムで触手群を払う。が、なかなか本体まで近付くことができない。
こうして攻防を繰り返すうちに、頭部を狙った触手の先が再び右の頬を切り裂いた。
「ああっ、また──」
言いかけて、ララは気付く。また?
傷一つない端正な横顔が、二度傷付いたのだ。
そして今──二度目の傷も消えてしまった。
「〈再生〉……するんだよ、あいつも。あの程度なら一瞬で、まるで何事も無かったかのように」
セシリアがそう解説したが、それはおよそ味方の強みを語っているとは思えぬ口調であった。
そして眉を顰め俯きながら、絞り出すような声色で彼女はこうも続けた。
「リーシュは──〈侵食〉されているんだ」