26話
例えば明日、世界が滅ぶとしても。
私は今日、お前を殺す。
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アルカディア北西の深い森を抜けると、まるで隠れるようにひっそりと佇む石造りの建造物がある。
名を〈常闇城〉。博物館程度の規模だが、これでもシャルム王国の中枢である。
それは機能の大部分が地下に集中しているためであり、地表は外交や商い等、渉外に絡む最低限の設備しかない。
この地を統治するのは黒森人族で、尖った耳に褐色の肌、高い魔力が特徴の種族だ。
黒魔法を好む攻撃的且つ排他的な者達が、大昔に穏和な森人族から分岐したと言われている。
「して、帝国は何と?」
「停戦協定に反すると──それはそれは猛抗議です。少し考えれば分かりそうなものを」
光を嫌う性質故にどの部屋も仄暗い。そのある一室で、一様に濃い紫色のローブを纏った者達が会合を開いていた。
シャルムの最高意志決定機関、元老院。各地域の長老達から構成され、内政、軍事、外交全ての権力を集中的に握る。
「勿論、全て否定しましたが……相変わらず低能な連中で骨が折れましたよ」
宰相イヴァン・ラングレーは大袈裟にため息をつきながら両手を広げて見せた。
彼は女王に代わり実務を取り仕切る立場である。
この中では最も若いが、長命な黒森人族にあって、既に四百年の時を生きていた。
「しかしベリアルとは驚きましたな」
「確かに……もう消滅したものと思っておりましたが」
ベリアルが再びエデンを急襲した事実は、シャルム側にも衝撃を与えた。
何しろ三十年前、ベリアルは逃亡したのだ。異界に戻さず──つまり一連の契約が終了していない状態で、それを再度召喚する事は出来ない。
「よもや〈再臨〉の情報が流出した、などという事は」
「それは無いでしょう。あれは我が国の最高機密で、資料やサンプルの所在は勿論、関係者の動向さえ逐一監視されています。
何より我々はエデンの結界を突破出来ない。敵は自らの技術で、我々の無実を証明してくれたのですよ。そんな単純な事にも気付かず、奴らは──」
「敵の言い分などどうでも良い」
嘲笑の色を浮かべながら饒舌に語るイヴァンだったが、その声で途端に身を固くした。
「ベリアルが現れた事より、それが撃退された事実の方が重い。我らが停戦に応じたのは何のためじゃ」
上座から鋭く口を開いたのはアルド・ラングレー。イヴァンの父で先代の宰相。現在は最高顧問の地位にある、シャルムの実質的な最高権力者である。
齢千年を軽く超える彼はまさに歴史の生き証人と言えよう。
右目を貫くように古い縦傷が走り、そのため隻眼であるが、残る目は見る者を射抜くような光を放ち、威厳を些かも損なっていない。
「〈再臨〉が完成しても、呼び出す対象がおらねば意味は無い。呼び出せたとて、容易く撃破されるようなら更に意味が無い。違うか?」
「いえ……仰せの通りにございます」
イヴァン、そして他の長老達も慌てて面を引き締めた。
傍から見れば、シャルムが停戦に合意したのはクレセント教国に配慮する形で仕方なく──だと思われている。実際、彼等は帝国をあと少しという所まで追い詰めていた。
しかしシャルム側にも課題があったのだ。
召喚対象の枯渇。特に上位種において、召喚に失敗する事例が増えた事でそれは表面化した。
このまま押し切るには手駒が足りない。その問題に対処するため、シャルムにとっても五年間の停戦は好都合だったと言える。
「確かに新たな暗黒世界の住人達を呼べぬなら、再利用するしかありません。停戦を逆手に取って〈再臨〉の完成を急ぐ算段だったものを──」
「〈魔神〉ですか。やはり奴は危険すぎる」
帝国が招かれざる者達と呼ぶグレートオールドワンは、リーシュの登場で一気にその数を減らした。
更に今回、理由は不明だが、突然現れた貴重な最上位種までも討たれた。
「〈侵食〉は確実に進んでおり、五年もあれば十分と我らは踏んだ。奴が自滅するまでただ待てば良いと──停戦理由にはそれもありました。せっかく敵が自ら逆転のチャンスを捨てたのに、閣下の言われる通りこれでは意味が無い」
「やはり勝手に出て来てもらっては困る。何としても野に下ったグレートオールドワンを確保しましょう。魔神がいなくなった後、〈再臨〉による最終決戦に臨めるように」
過熱する議論をしばらく黙って聞いていたアルド。
しかし突然右手で顔を押さえると、苦しげに口元を歪ませ低く呻いた。
「父上──?」
「……やはり其方らは何も分かっておらぬ」
右目の古傷がズキズキと頭の中にまで響く。
見えないはずの目が、それを刻んだあの日を鮮明に映し出した。
(此度は退けるだけでなく破壊したか……何処までも忌々しい)
その奥には、決して他に馴染む事のない深い憎悪の色が滲んでいた。




