23話
王宮の地下深く。ここには様々な結界が複雑に張り巡らされており、例え地上が吹き飛ばされようが無傷で耐える。
皇族や有力貴族達のために作られた避難場所であった。
「爺や……一体どうしたの? 何だか様子が……」
皇女を激励する老戦士の構図から一転、今度はリーザの方がウォルトを気遣っていた。
ベリアルが現れて以降、ウォルトは眉間にシワを寄せたまま険しい表情を隠そうともしない。
「リーザ」
皇帝ヨハネスが左右に首を振り、歩み寄ろうとするリーザを止めた。
ウォルトに詰問してはいけないのだと頭では理解したが、リーザも平静ではいられない。
「外では兵士達が敵と交戦しているのでしょう。恐らくリーシュ達も。爺やも加勢に向かった方が」
それを聞いてようやくウォルトは顔を上げた。
「ベリアルは突然結界の内側に出現しました。ここも絶対安全とは言えませぬ。じゃがご安心下され、この身に何があろうとお二人は儂がお守り致します」
そう言って口角を上げるも、無理に取り繕った笑みであることは明らかだった。
リーザはむしろ言いようのない不安に駆られる。
更に言葉を紡ごうとしたその時、何やら怒号のような訴えが室内に届いた。
「ここを開けろ! 我々も中へ」
「いけません、この部屋は皇族専用で──ひとつ上の階へお回り下さい」
「もう子供が立ち入る隙間さえ無いわ! 頼む、死にたくない……」
扉の前が騒がしい。
貴族達が避難エリアに殺到し、混乱が生じているようだ。
ため息を付くと、ウォルトは「様子を見て参ります」と告げて部屋を出て行った。
「どうしてこんな……あんな爺やを見るのも初めてです」
怯えた表情で父の方を振り返るリーザだったが、そのヨハネスも顔を曇らせている。
だが意を決したように、彼は愛娘へ静かに問いかけた。
「リーザよ。何故今、我々がこうしてここにいられるか分かるか」
「えっ……?」
「ウォルトが守ってくれたからだ。三十年前のあの日、奴がその身を呈して」
それは知っている。世界最強の〈武神〉として語られる武勇伝の中でも、最も有名なエピソードだったからだ。
「だがな……〈武神〉と言えど、その身はひとつ。エデン全土をカバーできるはずが無い。奴は──市街地の防衛を捨てたのだ。
メタトロンを、国家の存続を優先させるため。結果として、より多くの民を守るため。妻子の残る市街地を見捨てたのだ」
息が止まったかに思えた。実際、リーザはしばし息を吸うのも忘れて皇帝を見つめる。
「我ら皇族が臣下や民を守っているのではない。我々の方が彼等に生かされておるのだ。
だからこそ先頭に立ち、我らは国を、皆の安寧を守らねばならない。
矛盾しておるように聞こえるやもしれんが──それが国を治めるという事だ」
現れたのは英雄譚に登場する敵などでは無かった。ウォルトにとって、決して看過できない仇そのものだったのだ。
本来なら彼こそが先陣を切り、敵と戦いたいに違いない。しかし今回も、ウォルトは皇族の盾として自らを抑えている。
「申し訳ありませぬ。ここも一部、貴族用に解放致します。このようなむさ苦しい場所で心苦しくはありますが、今しばらくご辛抱を──」
「──爺や」
戻って来たウォルトにリーザが詰め寄った。
その瞳にはうっすら涙が浮かんでいる。
「外で戦っている皆を助けに行って。今すぐ」
「姫……?」
驚いたウォルトは皇女の顔を見つめたまま言葉に詰まった。背後で顔色を変えたヨハネスも立ち上がる。
「爺やなら皆を助けられる。そうでしょう?」
「しかし……ここを空ける訳には」
「いいから、行って。そして守って。行き場のない民を、戦っている兵士を、リーシュ達を。王宮やここにいる人達──勿論、父上や私も。
誰かを、じゃない。全部守って」
「これ、リーザ」
堪らずヨハネスが割って入るが、リーザはまるで怒ったかのように頰を紅潮させている。真っ直ぐに守役の男を捉えて離さない。
「出来ないなんて言わせない。だって……爺やは誰より強いもの。私の爺やは最強だもの。だから──お願い」
リーザの瞳から大粒の涙がポロポロと溢れ落ちた。
しばらくの間、ウォルトは何も言葉を発する事が出来ずに、それを見ているしかなかった。
だがやがて、僅かに口角を上げウォルトは恭しくその場に膝を付く。
「──御意」
そしてすぐさま立ち上がり、踵を返すと再び部屋を出て行った。
リーザが胸の前でぎゅっと拳を握る。一方ヨハネスも、呼び止めるように右手を前に差し出しただけで何も言えなかった。
(儂は……何を迷っておったのだ)
誰かを守るために他の誰かを見捨てる究極の二者択一。そんなくだらない思考実験に興じられるのは、決して自分がその場面に遭遇しないと分かっているからだ。
だが実際に、彼はそれを実行した。
その後も余多の兵士が目の前で散るのを見てきた。その結果、確かに今日まで国は守られた。
(バネッサ、ミナ……)
後悔かと問われれば、彼ははっきりと断じる。
その通り、後悔だ。
(じゃがそれは、王宮しか守れなかった不甲斐ない己に対してのもの。あれから血の滲むような鍛錬を続けたのは一体何のためじゃ。
憎き仇を討つためか。事実から目を背け、姫様を守る事で許されようなどと振る舞うためか。──違う!)
足早に地上へ向かいつつ、先程までとは違う意味でウォルトは面を引き締める。
(感謝致しますぞ、姫)
娘のミナは十代で命を落とした。
生まれた時からリーザの側にいたウォルトは、日々成長する皇女を娘と重ねて見ていたのかも知れない。
しかし紛れもなくリーザはリーザ。ミナでは無い。
彼女を守る事が贖罪になどなりはしない。復讐の刃で仇を討ったとて、それだけでは結局何も救われない。
リーザの願い通り、目に映る全ての人々を守れる位でなければ。
それを可能にするための三十年だったのだから。




