19話
「どうなってんだ? 何でエデンに」
「シャルムに謀られたか。停戦に合意しておきながら──卑劣な」
風のような速さで宮殿内を駆けるリーシュとセシリア。
パニックに陥った人々の間を縫うように、階段すらも一息に駆け下り、やがて巨大なホールへ。大きく口を開けた門をくぐれば、広場はそのすぐ先だ。
「よっ、お二人さん。久しぶりに戻って来たら、何やえらいことになってるやないの」
急ぐ彼らへ、石柱にもたれかかる青髪の青年が声を掛けた。
彼らには見知ったその顔。〈焔〉の騎士、ジェイ・オースティンである。
身の丈以上の槍を絡ませた腕組みを解き、彼はキザに手を振ってみせた──が、リーシュ達はその前を素通り。
「ちょ、ちょ、待てや。無視かい」
「お前に構っている時間は無い」
目さえ合わさないセシリア。ジェイは仕方なく、二人の後を追いかけながら訴える。
「久しぶりに会った同期にそれはないやろ」
「他のメンバーは? 団長、それに〈五芒星〉も」
「いや、戻ったのはワイだけやで。皆、まだ前線で警戒任務中のはずや」
走りながらでも、前を行く二人の騎士が肩を落とすのが分かった。ジェイはムッとして、
「あからさまにガッカリすんなや! ワイが来たからには──」
彼らが宮殿を出てすぐ。視界がさっと暗くなる。
陽の光が雲に遮られたような──しかしそうではなかった。思わず空を見上げたジェイは一瞬固まり、そして絶叫する。
「な──何やあれ!」
結界の内側。エデンの上空を悠々と泳ぐ竜。
全長三十メートルはあるだろうか。ユニコーンを彷彿とさせる一本角に、獰猛な目つき。鋭い牙も口元に覗く。
右に一枚、左に二枚のアンバランスな翼を持ち、ギザギザした尾の先は刃のように尖っている。
そしてさも当然のように、無数の〈眼〉が体中を覆っていた。
「竜種のアウトサイダーだと!?」
「まさか──ベリアルか!」
かつてそれが襲来したのは彼らが生まれる前のことだ。伝聞や資料の中でしか知らない存在──だが数万にも及ぶ死傷者を出した者として、未だに最大級の警戒対象であった。
「今頃になって、何故……」
「冗談じゃねえ」
宮殿へ逃げ込もうとする者達でごった返し、辺りは大混乱である。
それでも何とか広場の中程まで進むと、彼らは動きを止め空を仰ぐ。幸い敵は旋回を繰り返すだけで、まだ何も仕掛けていないようだ。
「なあ、竜族って、確か……」
「単独で一万の兵に匹敵する、そう言われているな」
アルカディア西方の山奥には、普通の竜族も生息している。しかし臆病なことで知られる森人族以上に、他種族とは交流が無かった。
それこそ知識としてしか知らないが、あらゆる種族の中でも最高の戦闘力を有する存在であることは確かだ。敵がそんな竜族の能力とアウトサイダーの特異性を併せ持つとすれば、その脅威は計り知れない。
「三十年前、奴が口から吐く咆哮攻撃によって、エデンは成す術も無く崩壊したらしい」
「そんなん、どないせえっちゅうねん……戻って来るんやなかったわ」
ベリアルがまだ何もしてこないせいで、彼らもどう動くべきか判断がつかないでいた。
だが程なく、辺りに展開する全ての部隊に対して、鋭く矢のように魔法通信が飛ぶ。
「軽装兵一、二番隊は広場にいる住民を宮殿内へ誘導。三番隊以降は市街地へ向かい、なるべく広場から離れるように避難を。
攻撃系魔法士は東西の塔に分かれて屋上へ。治癒魔法士は中庭、弓兵はアロースリットにて待機。重装兵は門前に二列で迎撃体制を取れ」
淀みなく強い指示。メタトロン帝国参謀長、ソフィア直々の采配である。
それによって混沌の中に規律が生まれた。各部隊が彼女の手足であるかのように動き出す。
「リーシュ、セシリアは敵の動きを注視、まだ動かないで。ジェイ──そこに居るわね? 貴方も二人のサポートを」
帝国の頭脳であるソフィアに対して、誰もが実績に基づく強い信頼を持っていた。完全に冷静さを取り戻し、リーシュ達もそれぞれ重心を下げて身構える。
「Aランクが相手でもやるしかない。覚悟を決めろ」
セシリアは〈焔〉の正装である赤鎧、続けてヒートソウルを召喚。緋色の髪とも相まって、全身を美しく朱に染めた。
「ええい、もうヤケクソや」
一方戦地から戻ったはかりのジェイは、赤備えでは目立たないという理由で選んだ、オリジナルの青鎧を既に着用していた。セシリアとの対比を意識しているのか、手にした槍、〈魔装具〉のノーザンブルーに至るまで全てが青い。
「〈解放〉は最小限だぞ?」
「分かってる」
そして軽装のままセラフクライムだけを召喚し、左手にしっかりと握ったリーシュ。
「まずは奴を地上へ引きずり落ろす。上空から無差別に攻撃されたら防ぎようがない」
セシリアの言葉にリーシュ、そしてジェイが無言で頷く。
方針は決まった。後はソフィアから指示が出るのを待つだけ──のはずだったが。
「なに──!」
大きく息を吸ったかと思うと、ベリアルは口腔に魔力を溜め始めた。
その所作が何を意味するか──三者が同時に、同じイメージを頭に描く。
「咆哮!」
「い、いきなりかい!」
遥かな高みから蟻の群れでも見下すかのように、ベリアルは口から光を放った。