16話
「ところで、どういうつもりかお聞きしても? キルシュナー閣下」
前置きはもういいと言わんばかりに、挑戦的な目を向けたのはセシリア。
「ソフィアでいいわ。何のことかしら」
「勿論、先日の遭遇戦について。何故〈許可〉されなかったのかな、キルシュナー閣下」
リーシュが魔神化するには参謀本部の、つまりソフィアの〈許可〉が必要であった。
窮地と言っていい状況で、頑なにそれを許さなかった理由をセシリアは問い詰める。
「交渉が中止になるのを避けたかったから」
「ふざけるな! 部下の命は二の次だというのか」
当時の光景がはっきりと脳裏に蘇り、セシリアは思わず語気を強める。
同じ貴族でも家の格としてはセシリアが、個人としてはソフィアが上。両者は複雑な関係にあった。
「あの事態を想定できていなかったのは認めるわ。だけど二人なら何とかしてくれると思って」
「Bランクだぞ? 〈解放〉無しではやられる可能性の方が高い」
「そうね。だけど貴女達はあくまでも先遣隊、本隊が後方に控えていた。近衛騎士団と──世界最強の〈武神〉が。
あの時、私はウォルト様に支援をお願いしていたの」
「何だと?」
そんな話は──と言いかけて、セシリアは会話を遮って通信を切ったことを思い出した。
「それまで持ち堪えるだけなら〈解放〉は必要ない。そう判断したんだけど──それも厳しかったかしら?」
「ぐっ……」
確かに、落ち着いて状況を考えれば他にも選択肢があった。それに気付けなかったのは他でもない自分──セシリアは繋ぐ言葉が出てこない。
「貴女は〈焔〉の副団長に任命されたのでしょう。もう少し冷静に対処してくれるとこちらも助かるのだけど」
「待ってくれ、セシリアのせいじゃない。あの時は俺が勝手に」
見かねてリーシュが口を挟んだ。実際に命令を無視したのは彼の方だ。
ソフィアは大きくため息をついて、
「全くもう──無茶ばかりするんだから」
怒りより心配。参謀長ではなくソフィアとして。それは言葉以上の何かを感じさせた。
セシリアが歯を噛み締め、イリアもまた少しだけ不機嫌になる。
「悪い。ソフィアなら何か考えがあるとは思ったんだけど」
「そう思ってくれるなら、次こそはお願いね。また人体実験されたらイヤでしょう?」
「げ……もしかして?」
「貴方が〈解放〉したと聞いて、〈昊〉が大喜びで調査に向かったわ。魔力の残滓を調べるとかで」
魔法開発局〈昊〉。リーシュがアウトサイダーの力を有したことで、彼らはごく身近に研究対象を得た。
〈侵食〉を抑える魔法を開発する一方で、それを一時的に進める〈解放〉を生み出したのも彼らだ。
当初は対アウトサイダーの切札になり得ると騒がれたが、余りにもリスクが大きいため許可制となった経緯がある。
「あのジジイ──」
「〈解放〉を使えば〈侵食〉はより早く進む。これだけは絶対に忘れないで」
それを聞いて俯いたまま押し黙るセシリア。勿論それは彼女も分かっていたのだ。
但し理屈として知っていただけでその実感は薄かった。今回に限らず、その圧倒的な力を当てにした作戦も多かったのである。
改めて現実を突きつけられたことで、後悔に似た感情が激しく彼女の胸を締め付けた。
「させないよ?」
そこでたった一言、しかし真顔で強く断言したのはイリア。
「もう二度とリーシュをあんな化物になんかさせない」
はっとした息遣いとともに視線が集まる。停戦交渉が纏まったのも、イリアがそれに拒否反応を示したからだ。
(この言い回し……報告にもあったけど、未来視と呼ぶにはちょっと不自然ね。実際に体験したという印象だわ。
でも過去にそんな事実は無い。この矛盾の答えは──)
「大丈夫だって。俺はずっと俺のままだよ」
ソフィアの思考はポジティブなリーシュの言葉で遮られた。
不安を取り除くためか、はたまた深く考えていないだけか。恐らく両方だ。
「そのためにはなるべく戦闘機会を減らさないとね。軍令違反のこともあるし、これからしばらく、貴方達は私の指揮下に入ってもらいます」
ここにきてようやく本題。異を唱えるわけにもいかず、二人の騎士は背筋を伸ばした。
〈焔〉は皇帝直轄の騎士団である。即ち彼らへ命令を下せるのは皇帝のみで、本来ならどこか別の組織の下に就くことはない。
しかし唯一の例外がソフィアという個人であった。
彼女は他ならぬヨハネス皇帝の命で、戦略的指令においてのみその代行権が与えられている。
「で、俺達は何を?」
「こんな事情だから、対アウトサイダー以外の任務をお願いしようと思って」
リーシュは首を傾げた。
確かに調停の結果得られたのは、終戦ではなく五年間の停戦であった。だがシャルムへの戦闘行為が禁じられたことに変わりはない。
野放しになったアウトサイダーの対処以外に、彼らを必要とする場面とは。
「ちょっと内側の大掃除をね。だから何が何でも今、停戦が必要だったの」
本当に宮殿を清掃させるだけのような、落ち着いた口調でソフィアはそう告げた。