12話
「ちょっと待──」
「待ってください!」
リーシュに被せて声を上げたのはリーザであった。
テーブルを乗り越えんばかりに身を乗り出し、向かいの聖女へ詰め寄る。
「何故リーシュを? 説明をお願いします!」
「だって、戦争をやめるならリーシュの力はもう必要ないでしょ?」
「で、ですが……あくまでも停戦ですし」
「じゃあ終わりにしなさいって言う」
「な……幾ら聖女様でもそれは……」
リーザは負けじと反論を試みるものの、その先がなかなか出てこない。
すると逆にイリアの方から畳み掛けられた。
「私はリーシュが好き。大好き。他の何を犠牲にしてでも一緒にいたい」
(どうしてそこまで……)
違和感が拭えないリーザ。
イリアは本当に過去、または未来でリーシュを見ただけなのか。それでここまでの好意を寄せられるだろうか。
例えそれを認めても、国家の命運を大きく変えるに相違ない決断を、恋愛感情だけで下そうというのだ。明らかに聖女の振る舞いは常軌を逸していた。
(リーシュが……居なくなる? 帝国から……)
「ここで」「ずっと」一緒に暮らすということは、クレセント教国の民になるも同じ。
ぐちゃぐちゃになった感情の中で、みるみる膨れ上がる焦燥感。そして喪失感。
イリアの登場、そして先程セシリアについて交わされた会話もあって、一人置いてきぼりを食ったような寂しさがリーザの中に込み上げる。
(そんなの嫌です。私だって……)
私情を挟むべき立場でないことは分かっていた。何より多くの国民が平和を望んでいるのだ。
しかしどうしても「はい」と言えない。広間は再び、今度は長い静寂に包まれた。
(ここで即断できる話でもない。やはり無理だったか)
結局は仕切り直しになると予想したセシリア。
しかし意外なことに、それはすぐ覆された。何かを決意したように姿勢を正し、凛とした眼差しで聖女を見据えるとリーザが口を開く。
「できません」
明確な拒絶。しかも感情故ではない。
むしろそれを押し殺し、外交特使としてこの場をまとめる覚悟を決めても尚、不安が払拭されないことに彼女は気付いたのだ。
今度ばかりはイリアも少し驚いたように、間を空けて問う。
「……どうして?」
「暗黒召喚は普通の召喚魔法とは違います。私達が召喚した精霊は魔力が尽きると同時に消えてしまいますが、アウトサイダーはそうではないのです」
最も懸念される存在に触れたことで、急に場の空気が変わる。
「そうとは知らず召喚士を倒してしまった事例が幾つもあり──アウトサイダーは何体もアルカディアに残ったまま。他の術士で帰すことができるのかも分かりません。
停戦が実現しようとも、しばらくはその対処が必要になります」
それは用意した答弁ではなかった。しかし事実だ。
「更に帝国が勢いを失っている今、他の属国にも不穏な動きが見られると報告が上がっています。それも恐らくシャルムの扇動によるものでしょうが……このような状況でリーシュをお渡しする訳には参りません」
(あの……俺の意見は……?)
聖女と皇女の迫力に気圧され、当の本人は何も言えず心の中で訴える。
一方セシリアは、普段は温厚なリーザの強い発言に驚いていた。
(持ち帰れば確実に意見が割れる話──まさかここまではっきり拒否されるとは)
思わぬ反論を食らって納得いかないのか、イリアがぷうと頬を膨らませる。
「そんなのヴィクトール達で何とかできるでしょ?」
〈焔〉団長の存在まで──いや、天下に轟く勇名だからそれは〈時読み〉とは無関係かもしれないが──しかしもうリーザは引かない。
「そこまでお見通しなら、これもご存知でしょう。リーシュの中にいる者について」
その瞬間、カミルやランドルフ、教国の面々が一斉に肩を震わせた。
皇女はやや早口になって更に続ける。
「リーシュは今、参謀本部〈威〉、及び魔法開発局〈昊〉の監視下にあります。それを解くとなれば、私達は元より貴国にとって重大なリスクとなるでしょう。
停戦で得られるメリットを全て無に帰す可能性さえ生じるのです」
リーシュが視線だけをリーザに向けたが、彼女は目を合わそうとしなかった。
つい先程までの喧騒が嘘のように、重苦しい空気が広間を支配する。
どのくらい沈黙が続いたか──やがて弱々しくそれを破ったのは聖女イリア。
「ダメだよ……それだけは絶対にダメ……」
「せ……聖女様……?」
イリアは泣いていた。
零れ落ちる大粒の涙を拭おうともせず、ぎゅっと目を閉じて声を絞り出す。
「ここで暮らさなくていい。戦争を止めるようにも言う。だからお願い……もうリーシュを戦わせないで……」
クレセント教国はほぼ無条件で停戦調停を受け入れた。
そして僅か数日のうちに、開戦以来初めて、メタトロン、シャルム両国は和議を結ぶこととなったのである。