閑話3.第三王子、提案する
夏が短いヴァルテ国において、強い日差しは稀少だ。
「あ~くそ、アカデミーはあっちぃな」
「タイを解かないでくださいよ」
目の前でぶちぶちと文句を言う赤い髪の主人を前に、エリーアス・ヘルシェルは飽きれた様に注意した。
エリーアスも去年までは同じ制服を着ていた。
年齢が近い事と親がマルガレータ妃付きだったため、エリーアスは幼い頃からこの態度の悪い半グレ王子こと、アルブレヒトの従者となるべく一緒に育ってきた。
アカデミー在学中から既に従者のまねごとをしていたが、晴れてアカデミーを卒業して今年からは王子付きの従者として、ここに戻ってきた。
「この暑いのにキッチリ締めてられるか」
「まったく、こらえ性のない」
長い付き合いという事もあり、エリーアスはため息交じりに非難した。
普段からこの王子には散々振り回されているのだから、ぞんざいな扱いになっても仕方ないと思ってほしい。
先日だって、街に買い物に出ると言うので馬車を出したのに、街に着いた途端姿を消したのだ。護衛騎士達と貴族街を走り回る羽目になったことは記憶に新しすぎる。
「あの時は第八王子の馬車に乗せてもらったんでしたよね~。ああ、情けない兄君ですこと」
「はぁ? 別に何も情けなくねぇだろ。あいつだって、俺の事かっこいい、大人の男だって言ってたしな」
ふん、と鼻を鳴らしながら言うアルブレヒトは、隠そうとしているが明らかに自慢気だ。嬉しかったのだろう。
「第八王子はおべっかが上手ですね」
「はぁ!? おべっかなんか使われてねーよ!」
思いのほか大声で怒鳴られたが、確かに第八王子はまだ5才で大した教育もされていないと聞く。そこまで気は回らないか。
「じゃあ本当にアルブレヒト様を……? そんなバカな」
「おい、口に出てんぞエリーアス!」
幼なじみのエリーアス相手だから気を抜いているから実際は人見知りも相まって他ではここまでではないにしても、この通り、アルブレヒトはとてもじゃないが小さい子供に好かれる感じではない。
「だって同じマルガレータ様の御子であるエアハルト様にすら好かれてないじゃないですか。それなのに今まで関わりのなかった、もっと小さい第八王子に好かれるとは、とても思えないじゃないですか」
アルブレヒトには同じ母を持つ6才下の弟がいるが、兄弟仲は良くない。
それというのも、ヴァルテ王宮内の熾烈な王位継承権争いにおいて割を食ったアルブレヒトが第一次反抗期を拗らせた上に、第一王子にのみ目線を向けているからだ。
同じ様な立場であったというのもあるが、アルブレヒトは唯一の兄に当たるフィレデルスに寄っていって拒絶された事で、更に色々と拗らせてしまった様だ。
幼少期から傍にいたエリーアスはこの経緯を全て見ているが、アルブレヒトはフィレデルスに対して執着に似た想いを抱えている。
それは兄弟の情でもあり、兄への憧憬でもあり、仲間意識でもある。
そして兄弟としての交流を拒否された事への恨みとプライドもあり、自分からはフィレデルスに近付こうとはしない。それなのに意識だけはしているから、傍から見ていて苦笑ものなのだ。
兄への執着は、自分に弟が生まれた時に兄としての自覚と共に捨てれば良かったものを、割り切れなかった結果、弟側からも呆れられている様に見える。
「う……あ、あいつが可愛げがないのが悪ぃんだよ」
「ありますよ、ありましたよ可愛げ。アルブレヒト様よりずっと」
確かに、まだ9才であるエアハルトは少し大人びている。
周囲を気にしすぎるが故に、表面上の愛想はいいがどこか冷めている様に見受けられるが、それも別に生まれてからずっとではない。
アルブレヒトの傍からずっと見ていたエリーアスからすれば、アルブレヒトの態度含め周囲の環境を見て、少しずつ心を閉ざしていったように見えた。
「アルブレヒト様がもう少し兄らしく振舞っていれば違ったと思いますけどね」
「チッ、エアハルトと同じ事言うなよ」
嫌味を言ったらそう返ってきたので、今度はエリーアスが驚いた。
「え、エアハルト様がご自分でそう言われたのですか?」
あの空気を読んで場を乱すのを嫌うエアハルトが直接的な文句を言う姿は想像できない。
「そうだよ、こないだチビすけに構ってたら、アイツ俺に体当たりしてチビすけを奪った挙句に、兄が弟を構うのは当然だろって俺に言ってきやがって」
「チビすけ……第八王子のことです?」
「他に誰がいんだよ」
いや、小さい子なら他にもいるだろうし、仮にも王子である弟をチビすけ呼ばわりする方がどうかしている。いや、今はそれよりも。
(エアハルト様が第八王子を可愛がっている……?)
その情報は知らなかった。
何せアルブレヒトとエアハルトの母親はマルガレータ様だ。
規律に厳しく血筋を第一とするヘルシュプルング家の陣営であるのだから、王の子であるかどうか怪しい、田舎男爵の娘が産んだ第八王子をよしとしない教育を王子たちにも植え付けていたはずだ。
いまだ反抗期真っ盛りのアルブレヒトは置いておいて、大人の言う事を素直に聞くエアハルトがその第八王子を可愛がるとは思っていなかった。
「頼りにならない兄を見て育ったから、兄としての兄性に目覚めたのか……?」
「おい、口に出てんぞ」
それにしても、よりによってヘルシュプルング陣営が一番嫌いそうな末王子にいかなくても、とは思ったが、考えてみればエアハルトより下の王子といえば、あとは第七王子のノエルしかいない。
アルダとヴァルテは昔から犬猿の仲であるため、アルダにあまりよくない感情を持っている貴族は多い。ヘルシュプルング家もそのひとつである。
しかし血筋だけで言えば、アルダ王家の血を引く第七王子の方が断然上なのだ。
それこそ、今まで歯牙にもかけない位の存在だった相手なのだが。
(そういえば、第一王子の温室に出入りしているという話も聞いたな)
つい最近まで、第八王子はどの王子とも交流はなかったはずだが、これはどうした事だろう?
「あ、いたいた。アルブレヒト兄様」
聞き覚えのある、しかしこのように気軽に話しかけてくる事など今まで無かったはずの声が聞こえ、エリーアスは先ほどまでの思考を投げて顔を上げた。
廊下の先から歩いてくるのは、間違えることなど出来ない、現在王位継承権第一位である第三王子、オリヴィエーロだった。
第三王子は正妃ツェツィーリアの子で、純ヴァルテ人でヘルシュプルング家よりも格上の公爵家の血筋である。つまり、ヘルシュプルング家陣営も認めざるを得ない完璧な王子だ。
その上、品行方正で本人も非の打ち所がない。
エリーアスは常々、アルブレヒトに見習えと思っているし口にも出している。
「オリヴィエーロ? 何だってこんな所にいんだよ」
アルブレヒトが怪訝な顔をするが、オリヴィエーロは構わず歩み寄ってくる。
その後ろから、オリヴィエーロの騎士、キャンターが付いて来ている。護衛騎士の中では比較的若く、明るい印象だったが、まるで苦虫を嚙み潰したような面持ちだ。
一方で、いつも冷静な態度を崩さない第三王子はエリーアスから見ても楽し気に見える。
「アルブレヒト兄様を探していたのです。少しお願いと言うか、提案がありまして」
「提案?」
「はい、他の人はみんな了承してくれたので、あとは兄様だけなのですが」
第三王子の含みのある言葉に、アルブレヒトの眉がピクリと動く。
アルブレヒトと並んで言う「他の人」と言うと、それはヴァルテの王子を指すのだろう事は明白だった。「みんな」と言うからには複数形、つまり第一王子と第四王子両方が入る。
「…………何の提案だ」
憮然としつつも興味を持ったアルブレヒトに対し、オリヴィエーロが微笑んで口にした提案に、エリーアスは目を丸くせざるを得なかった。
(一体……何が起こっているんだ?)
エリーアスは20話でアルブレヒトを追いかけて怒鳴っていた従者です。
ふたりは幼馴染みの従者兼友人です。




