30.転生王子、秘密の粉を飲ませる
「どく?」
ディートハルト兄様の口から出た言葉を、ボクは確かめる様にくりかえした。
どく…………毒!?
よ~く見ると、赤いスカートの踊り子さんが真っ青な顔で口から泡が出ている。
(え、何してんの!?)
彼らも旅をしているならそれなりに薬とかも持ち歩いているだろうし早く処置を、と思ったけどそうだった。ここは王族の食事の席!
旅の一座が芸に必要ない私物を持ち込む事は出来ないし、ましてや吐いたりなんて出来る訳がない。
使用人たちも異変に気付き始め、動こうとしたけどそれよりも先にボクはイスから飛び降りて叫んだ。
「ベディ!」
ベディはずっとボクだけを見ていたから、ボクが何を見て動いたのかもすぐに察して一座の元に走り出した。
他の使用人や騎士だったら王族の顔色を窺ったりするけど、ベディは躊躇いがない。良くも悪くも、ボクの言う事だけを聞く。今日だけは、その単純さに感謝だ。
ベディが踊り子さんを抱えあげ、控室へと走るのにボクも付いて走った。あんまり動かさない方が良いだろうけど、ここで吐かせるのは無理だし、何より控室にはボクの頼りになるメイドさんがいる。
恐れ多くも王族の見ている前でベディがドアを蹴り開ける。控室にいた騎士が何事かと立ち上がるが、その前にボクが走り込む。
「メリエル! 袋か器ある!?」
「はい」
メリエルも一瞬驚いた顔をしたけど、本当に一瞬で、即座にその場にあった布を袋状に結んで差し出してくれた。さっすがボクのメイドさんだ。
ベディが床に寝かせた踊り子さんの顔を見ると、呼吸はしているけど荒く、顔色も悪いし冷や汗がすごい。
「メリエル、お水をたくさんと毛布持って来て。ベディ、踊り子さんを横向きにさせて、吐かせて。出来る?」
そう言ってさっきメリエルが作った袋を差しだすと、横から手が伸びて別の人が受け取った。
「て、テツダウ、です!」
一座の人だったので、袋は彼にまかせた。
「まかせてくだせぇ。軍にいた時飲みすぎたバカで吐かせるのには慣れてます」
ベディは全然自慢にならない自慢を言って、ためらいなくその太い指を踊り子さんの口の中に突っ込む。なるほど、慣れている。
「リエト、何だどうした!?」
場にそぐわない明るい声と共に扉が開いたと同時に、踊り子さんが嘔吐く。
「ぅぐっ……」
踊り子さんが袋の中に吐くのを、目を丸くして見下ろすラウレンス兄様にボクはため息を吐きそうになった。
王族の前で嘔吐するのを見せないために控室に運んだっていうのに、タイミングが良いのか悪いのか。
「な、何だ? 食事が口に合わなかったのか!?」
「めったな事を言わないでくださいっ」
それはそれで食事を用意したヴァルテ王室に不敬に当たっちゃうでしょ!
だからと言って毒だっていうのも確定ではないから、ボクはとりあえず食堂にいた使用人の誰かが呼んでいると思うけど、一応と思って控室にいた執事にお医者さんを呼んできてもらう様に頼んだ。
「もうっ、今忙しいですからラウレンス兄様の相手してられません!」
絶対好奇心だけで来たのが分かるから、とっとと部屋から出てほしいが、追い出してる暇も無い。
「り、リエト? 大丈夫?」
おまけにディートハルト兄様まで覗きに来ちゃった。も~。
まぁディートハルト兄様は毒だって言っているのを聞いちゃっているから、気になっちゃうか。
「坊ちゃん、もう吐く物はねぇですぜ」
ベディから声を掛けられ、兄様達の相手は後回しにして踊り子さんに駆け寄る。
メリエルも水と毛布と、あと通気性の無い袋を持って帰ってきていて、吐いた物の入った袋を外側から包んで封をしてくれた。出来るメイドさんだよ本当に。
踊り子さんはぜえぜえ言っているけど、意識はあるしさっきより顔色がマシになった気がする。
「じゃあこれ」
ボクは服の中に隠していたメリエルお手製の首から下げられる小さな袋を引っ張り出す。
ボク用に作ってもらったんだけど、ちょうど良かったね。
「これを飲んで。飲める?」
ボクが袋の中の黒い粉を差し出し、メリエルがすかさずお水も出してくれた。
目元のメイクが少しよれてしまった踊り子さんは、怯えるような目でボクを見上げたが、仲間にも促されて意を決して粉と水を飲んだ。
「何それ?」
ラウレンス兄様が興味深々に聞いてくるのを聞こえないふりをして服の中に再びしまう。
「あ、見せろよ~」
「やですぅ」
ボクに出来る事はもう無いから、あとはメリエルの持ってきた毛布に包んで冷えない様にして一座の仲間たちで背中や手足を擦ってもらった。
「……終わったのか?」
「おい、何してんだチビども」
ようやく一息吐いたかと思ったら、今度は第一、第二王子のお出ましだ。
何でみんなそんなに野次馬なの~?
それよりお医者さんが来てほしいよ!遅すぎだよ!
「あ、兄様! リエトのやつが何か黒い粉隠し持ってて、見せてくれないんだよ」
「黒い粉?」
ラウレンス兄様に言われ、フィレデルス兄様がちらりと横になって浅い呼吸をしている踊り子さんを見て、またボクを見た。
「何だそりゃ? おい、チビ助見せてみろよ」
「やですぅ!」
「んだと、この……」
アルブレヒト兄様がボクの襟首を掴んで持ち上げる。
あ~~~。
「あっ、止めてくださいリエトはまだ幼いのですよ!」
ディートハルト兄様のお立場で第二王子のアルブレヒト兄様に意見するなんて勇気がいると思うんだけど、頑張って手を伸ばしてボクに負担が掛からない様にしてくれてる。
もちろんディートハルト兄様の言う事なんて聞くわけないアルブレヒト兄様だから、「あ?」と低い声を出して睨みつけて手は離さない。
しかし見た目的に半グレ年上が、お勉強を出来そうな年下に睨みをきかせているのってとっても見栄えが悪いな~。
しかしこの場にはもっと上の立場の救世主がいた。
「やめろ、アルブレヒト」
ボクを掴み上げているアルブレヒト兄様の手を掴む褐色の手。第一王子のフィレデルス兄様だ。
「……んだよ、コイツを庇うのかよ」
「どう見てもお前の行動が無作法で正当性がない。手を放せ」
「…………チッ」
しばらくフィレデルス兄様を睨んでいたアルブレヒト兄様だったけど、やがて視線を逸らして舌打ちして、ボクを放り投げた。
ベディにナイスキャッチされるボクを追いかけて、ディートハルト兄様が心配そうに駆け寄って来てくれた。
「リエト、大丈夫?」
「はい、慣れてます」
最近アルブレヒト兄様はボクを見ると、大体掴み上げるか投げるかしてくるから慣れてきた。
「リエト、もう問題ないのだな?」
フィレデルス兄様はボクが毒で死なない様に色々調べているのを知っているから、大体の事情は察しているんだろう。ボクは頷く。
「はい、あとはお医者さんにおまかせします」
「……そうか。行くぞ、ラウレンス」
「え~もうちょっといようぜ、兄様~」
「だめだ」
駄々をこねるラウレンス兄様にピシャリと言って、連れて出てくださった。さすがに、フィレデルス兄様の言う事はきくんだ。
タイプがかなり違うけど、この兄弟仲良いよね。
「チッ、しらけた」
アルブレヒト兄様もそう呟いて部屋から出ていく。
お医者さん遅いな~。
(大体王族に何かあったらいけないから、近くに待機しているはずなのに……)
首を傾げているとディートハルト兄様が近くに来て、こちらも首を傾げている。
「リエトはどうしてそんなに対応が早かったの? 毒は吐かせないといけないとか、横向きにして喉に詰まらない様にしなきゃいけないとか、どうして知っているの?」
不思議そうに訊いてくるけど、ディートハルト兄様も横向きにしなきゃいけない理由を知ってるね。本当に色んなご本を読んでお勉強しているんだね。
ボク?ボクは生き残るためだから。
「ちょっと前に毒で死にかけたので、自衛のために調べました」
「それは……」
「ディートハルト! いつまでそこにいるの、戻りますよ!」
何か言いかけたディートハルト兄様だったけど、それにかぶさる様に鋭く高い声がディートハルト兄様を呼んだ。アンネ様だ。
「あ……」
「そんな踊り子などに構うんじゃありません。あなたは王子なのよ!?」
さすが、元庶民のアンネ様。人一倍身分にお厳しいね!
これがコンプレックスの裏返し!
少し迷った顔をした兄様だったけど、ボクがニコって笑ったら小さく「ごめん」と言ってアンネ様の方に駆け寄っていった。何で謝ったんだろ?
「リエト様、お医者様です」
ディートハルト兄様の後姿を見送っていたら、メリエルが教えてくれた。
やっと来たと振り返ってびっくり!
側室棟でも一番最高齢のおじいちゃん先生じゃん!
遅いはずだよ!
主塔なんだからもっと若くて優秀な医者が近くにいたでしょ、何で?
そりゃあ倒れたのは王族でも貴族でもなくて、異国の旅の一座の人だけどさ。客人なんだから何かあったら大変でしょうに!
「どれ、患者はこちらかね?」
おじいちゃん先生がよぼよぼと踊り子さんの横に跪き、あちこち触ってみる。
あっ!お勉強チャンスだ!
とボクはそそくさと近付いて行ったけど、助手の人に「殿下はお下がりください」と阻まれた。まぁ普通そうなんだけど、もう嘔吐する時近くにいたから今さらじゃない?
「ふむ……この症状はエンローエかのう? 吐かせたのかえ?」
「は、はい」
近くにいた一座のリーダーが訊ねられ、慌てながら答える。
エンローエ、エンローエ……むむ、図鑑で見た気がする。
赤い果実で、熟れる前に食べると吐き気や熱、頭痛、喉の渇き、神経過敏などの症状が出るが、大量に摂取しない限り致死率は低い。
(何に……あ! あのフルーツいっぱいのケーキ!?)
確かに、エンローエに似た果実が入っていた気がする。
「吐かせただけでこれだけ落ち着くかの?」
「あ、あの、ソチラの王子様に言われて、黒い粉を飲ませましタ」
はて、と首を傾げるおじいちゃん先生にリーダーが言い足して、視線がボクに集まる。
「リエト殿下に? 殿下、何を飲ませましたかね?」
え~しばらくは秘密にしておきたかったんだけどなぁ~。
ちらりと部屋の中にいる従者や騎士に目をやると、おじいちゃん先生も察してよっこらせとボクに近付く。
まぁお医者さんに患者の事を伝えるのは仕方ないか。
ボクは少し指に残っていた黒い粉をおじいちゃん先生の手のひらに擦り付けた。
おじいちゃん先生は、それをよく見て、においを嗅いで、ぺろりと舐めた。
「先生、大丈夫なのですかっ?」
助手の人がその様子に慌てているけど、失礼な。
そんな危ない物を5才児が持っている訳ないでしょ。
「これは……ふむ。どこで手に入れなすった?」
「うちのシェフにお願いして作ってもらった」
「それじゃあ間違いないですな」
うん、ボクじゃ作れないし、作っても不純物が混ざっちゃうからね。
これは、うちのシェフのジェフに頼んで作ってもらった、炭だ。
窯でしっかりと炭化した木炭を更に濾してもらったから、体に悪い物は入っていない大丈夫なやつ!
「これが毒の吸収を抑える事をどこでお知りになった?」
「本に書いてあったよ」
何せ毒で死にかけたからね。
解毒用のお薬の材料なんかも探したけど、もしまた毒に当たった時にすぐに出来る応急処置も調べたよ。そういうのって、わざと!?て位むずかしい書き方してあって探すのには苦労したよ。
でも一番簡単で効果がありそうだったのが炭だったから、これなら厨房で作れそうだと思ってジェフにお願いしたのさ。こんなすぐに出番があるとは思わなかったけどね。
「ふむ、これなら悪化する事はなかろう。薬を飲んで一晩寝れば元気になるじゃろうて」
そう言っておじいちゃん先生は、仲間の男性たちに指示をして毛布に包まったままの踊り子さんを抱き上げさせ、医務室へと運ぶように言い、助手さんには先に行って薬の用意をする様に指示した。
「この娘さんは、この場にリエト殿下がいて幸運でしたね」
そう言い残して、おじいちゃん先生はえっちらおっちら出ていった。
元々は自分の身を守るためだけだったんだけど、そう言ってもらえたら悪い気はしない。
これで“すてきな旦那さん”にちょっと近付けたかな!
「さ、ボクらもそろそろお部屋に帰ろうか」
何だか色んな事があって、もう眠いよ。
「…………はい!」
「参りましょう、リエト様。今日はお休みの前にホットミルクにハチミツをお入れいたしましょう」
何だかボクの護衛とメイドさんがすっごく優しかった。
フィレデルス兄様がいないとアルブレヒト兄様すぐ帰る。




