閑話2.第四王子の側近たち、末王子の事を知る
自室に向かうフィレデルスが、騒がしい声に足を止めた。後ろを付いて歩いていた執事のイェレも一緒に足を止め、扉の方を見ながら小さく笑った。
「ラウレンス様ですね。家庭教師と従者で今夜中にアカデミーの課題を終わらさせると息巻いていましたから」
昼間の事を思い出し告げると、珍しくフィレデルスが興味を示した様に、騒がしい部屋へ向かうのでイェレも驚きつつ後を追う。
「もう休憩しようぜ~」
「ご夕食を召し上がってから一刻も経っておりませんではありませんか!」
「まだまだ半分も終わってませんよ!」
過熱していく中の者達はこちらには気付いておらず、傍で控えていたメイドがギョッとしていた。その空気を察したのか、逃げ道を探していたのか、ラウレンスの視線がフィレデルスをいち早く見つけた。
「あ、兄様!」
「えっ!」
慌てて家庭教師たちと従者も振り返り、礼の所作を取るのをフィレデルスが手を挙げ戻させる。
そうして、ラウレンス達のいる机に近付き、広げられている教材のひとつを手に取りパラパラと目視し、机に戻した。
「私にもお茶を」
静かに言われた言葉の意味を一瞬理解出来ずにポカンとしたメイドが、慌てて礼をして茶の用意しに行くのを他の者も驚いた顔で見た。
それらに構う事をせず、フィレデルスは椅子に腰かけた。
主塔の中でも第二夫人であるエデルミラが管理する階の書斎は広く、真ん中のテーブルの前でラウレンスを拘束している椅子の他にも、いくつも椅子もソファもある。その一か所でフィレデルスは持っていた本を開いた。
「フィ、フィレデルス殿下もこちらで読書されるのですか? 少し騒がしくなると思いますが……」
戸惑った様に言うラウレンスの従者のドミニクだったが、家庭教師であるヴィルデマールにつつかれ、ハッとする。
もしやこれは、『自分がここで読書をするので出ていけ』という事かもしれないと気付いたからだ。
フィレデルスが静寂を好み、他者とのやりとりを煩わしく感じている事は皆知っていた。
しかしフィレデルスとラウレンスは母親も同じ兄弟である。これが別夫人の王子相手であるならば、「そっちが出て行けやオラ(要約)」と出来るのだが、そうもいかない。ここは弟陣営である自分たちが引いて、ラウレンスの私室に移るべきなのだろうか。
戸惑い顔を見合わせる従者たちだったが、当の主人であるラウレンスはお構いなしだった。
「兄様がこの部屋を使うなんて珍しいね。今日は公務だったの?」
「ああ」
椅子に縛り付けられた状態の弟には言及せず、フィレデルスは頷いた。
どうやら出て行く事も出て行かせる事もせず、同席して良いらしいとほっとする一同。その様子を眺めながら、イェレはメイドが用意したお茶を受け取り、就寝前なのでと、ミルクとブランデーを少量入れて差し出した。受け取ったフィレデルスが一口飲むのを見て、ラウレンスが「俺にもくれ」というので、ミルクだけを入れた物をメイドが用意する。
どうにも休憩時間に入ってしまった様子に、ヴィルデマールもドミニクもため息を吐いた。
「今日温室に行ったんだけどいなかったから、そうかなと思った」
ラウレンスの言葉に、フィレデルスは本から視線を上げた。
「温室に? 珍しいな、お前はあそこはつまらないと近寄らなかっただろう」
幼少期、何度か後を付いて来てちょろちょろと温室内を駆けまわった後、ラウレンスは「ここつまんねー。他の所で遊んでくる!」と駆けだして行ってからは本当に近寄らなかったはずだ。
「アカデミーの課題で必要な資料でもあったのか?」
「ううん、エアハルトが入った事ねーって言うから連れて行ってやったんだよ」
「エアハルトが?」
ぴくり、とフィレデルスの秀麗な銀色の眉が動いたので、イェレがすかさず説明に入る。
「本日の午後、ラウレンス様とリエト王子と一緒に参られました。エアハルト王子は建築に興味がおありの様で、温室内を少し見て回られていました」
エアハルトと言うと、第三夫人の次男なのでフィレデルス達とは母親が違い、つまり違う陣営の王子となる。
正妃であるツェツィーリアとは同じ国の有力貴族という事で表向きは仲良くしている分、他国から嫁いできたエデルミラの事は気に入らないのを隠そうともしない。
それがエデルミラ陣営のマルガレータ妃ならびにヘルツシュプルング陣営への印象だ。
その王子がフィレデルスの領域である温室に入り込むと聞けば、穏やかではない。
しかしエアハルトを連れてきたラウレンスは気にした様子もなく、笑っている。
「アルブレヒト兄様の入れ知恵で、“温室は兄様の場所だから立ちいってはいけない”と思いこんでたみたいだったから俺がんな訳ね―って連れて行ったんだよ。リエトも出入りしてるんだから、構わないでしょ?」
その内容に事情を知らなかったラウレンスの従者たちはギョッとするが、リエトの名前にフィレデルスの眉が元に戻った。後を押す様に、イェレが一言添えた。
「エアハルト王子はお年に合わず聡い方ですから、恐らくアカデミーの新学期が始まるまでは温室にはいらっしゃらないと思います」
エアハルトは去年デビュタントしたばかりの年だが、妙に周囲の空気に敏感である事は他の従者たちも薄々勘付いてはいた。ラウレンスの従者たちも顔を見合わせ、一度ラウレンスを振り返ってため息を吐いた。
「オイこら、なんだその顔は。言いたい事があるなら言え」
「いえ……エアハルト王子でしたらこうやって椅子に縛り付ける事無く、課題を終わらせられるんだろうなと思っただけですよ」
「エアハルト王子の学習予定は大分進んでいると聞きましたよ」
「ああ、やっぱり……」
色々問題を起こす兄王子であるアルブレヒトと違い、素行も良い上に学習速度も速いと聞けば、羨ましくならない訳がない。
「お前らこの課題が終わったら鍛錬に付き合わせるからな」
「やめてくださいよ、ドミニクは力だけで運動神経が皆無なんですから」
「何で当たり前の様に俺だけ参加の流れになっているんです!?」
何だかんだで仲の良いラウレンス主従のやり取りを尻目に、フィレデルスはイェレを見た。
「リエトとエアハルトは、仲が良かったのか?」
「いえ、そういう訳では無いと思います」
実際、温室に一緒に来たのはたまたま会ってラウレンスに連れてこられたからだ。
「手は繋いでいましたけど」
「!」
「あのヘルツシュプルングの家の者が、リエト王子と仲良くなる事は無いんじゃないですか?」
イェレの言葉に一瞬固まったフィレデルスに気付かず、そばで聞いていたラウレンスの従者のひとりの言葉に、周囲も頷く。
血筋第一で外国の血筋である第二夫人陣営すら認めていないヘルツシュプルング家だ。未だ王の実子かどうかあやしいと言われている、田舎貴族の娘が産んだ王子を認めているとは到底思えない。
「それは第三夫人の家の考えで、エアハルトは関係無くないか?」
「無い訳がないですよ。そう教育されるでしょうし、エアハルト王子はまだ九つでいらっしゃるでしょう? 親の言う事が絶対だと思って然るべき年頃です」
ヘルツシュプルング家はがちがちの保守派で、高位貴族としての気位も高く礼儀作法にも厳しいだろう。
一方のエデルミラ第二夫人の陣営は、比較的自由なので従者たちも雇われたのが第二夫人で良かったと思っている。
「それにリエト王子は王室からも特に目をかけられる事も無く、ろくな教育を受けていないと聞きましたよ」
「家庭教師は就いていたかな?」
「マチェイですよ。マチェイ・デジレ」
「あ~あの……」
「永遠の首席卒業野郎」
フィレデルスがいるのを忘れて内輪で盛り上がる家庭教師陣に、イェレが小さく咳払いをする。すぐさま気付いて視線を逸らす家庭教師たちに、ラウレンスは怪訝な顔をした。
「いや、リエトは大分賢いだろ。5才で普通に図鑑の字を読んでいたぞ」
「字ぐらいは……専門的な物でなければ読めるでしょう」
「ラウレンス様は読めませんでしたけどね」
「家庭教師が付いていれば読めますよ」
口々に言うが、実は彼らはリエトと接した事はほぼ無い。
その中で、先日対面したばかりのヴィルデマールが口を開いた。
「言われてみれば、受け答えなど確かに賢そうな印象はありますね」
先日ラウレンスを引き取りに行った際にも、取り乱す様子もなく落ち着いた対応をされた。あれで5才と言われれば、確かに賢い。
ろくな教育を受けていないとは聞いていたが、それであれなら元が良いのか。
とは言え、ラウレンスは置いておいて王子達は皆幼少期から躾けられており、落ち着いた物言いが出来る子揃いだったので特筆する程でも無いとも思う。
末席の末席で、特に存在感が無いあやふやな王子。それがリエトに対する従者たちの共通認識だ。
「それにしても、ラウレンス様は最近やたらとリエト王子と関わっていますけど、何かあるんですか?」
ドミニクに訊ねられ、ラウレンスはメイドに持って来させた茶請けの焼き菓子をバリバリ食べながら答えた。
「あー、最初はほら、アイツこないだ毒殺されかけただろ?」
その事は城で働いている者なら誰もが知っている事なので、皆頷く。
「その犯人を捜すってオリヴィエーロが言うから、面白そうだから俺も手伝ってたのよ」
「は!? あなたあれだけ言われたのに、まだオリヴィエーロ殿下と遊んでいらっしゃるんですか!?」
正妃の実子で、現在王位継承権が一番高いオリヴィエーロ王子とラウレンスは同年だ。
その事で、周囲は比べ競わせ、少しでもラウレンスが優位に立とうものならエステリバリ国の優位性を示していた為、当人達もそれは反目し合……わなかった。
まずラウレンスが気にしない。
何なら同じ年の兄弟がいるのを喜び、まるで親友の様に接した。
その上オリヴィエーロが先ほどの話ではないが、それはもう出来た王子だったのだ。
成績優秀品行方正。物心ついた頃には既に落ち着きがあり、感情的になるのを見た者がいない程に誰にも優しく謹厳実直、温厚篤実。まさに王子の中の王子だった。
そんなオリヴィエーロが、ぐいぐい来る兄弟を拒否するわけもなく、2人は周囲の気持ちもお構いなしに仲が良かった。
両陣営はもちろんそれを良しとはせずに、2人を引き離そうとしているが、アカデミーに通う様になってからは目が届かない事が多く、ますます仲良くなってしまった。
もちろん、2人は仲良し兄弟ではなく競う相手で別陣営である事は懇々と言い聞かせているのだが、この部分に関してはオリヴィエーロが頑固で、そしてラウレンスが言う事を聞く訳がなかった。
と言っても、苦々しく思っているのは両陣営の政治が関わる貴族連中で、従者たちは兄弟の仲が良い事に関してはどちらかと言えば微笑ましく思っていた。しかしそれを前面に出せないのが雇われの身の悲しい所だった。
「あんまり大っぴらにしないでくださいよ」
「うるさいなー。俺の勝手だろ」
「それで?」
いつもの小言タイムになるかと思われた時、第三者の低く通る声に皆その場にいた最高権力者に視線を向けた。
「それで、毒殺を企てた者のしっぽは掴めたのか?」
ひやりとする程冷たい声で問うフィレデルスは、さすがあのエデルミラの息子と思わしき迫力で、ラウレンスとイェレ以外の者は背中に冷たい汗が流れた気がした。
「ううん、色々探ってはみたけどまだ。それにリエトがさ」
「リエトが?」
「うん、リエトが『そんなの探しても意味無いですよ』って言うんだよ」
「意味が無い? 自分を毒殺しようとした者を特定する事が?」
あの時の事を思い出しながら、ラウレンスは続けた。
「うん。『ボクを毒殺しようとした罪だけじゃ捕まえられない』って」
周囲の大人たちが、先ほどとは違う意味で息をのんだ。
リエトの毒殺未遂は皆知っている。動機も想像がつく。
そして、首謀者も恐らく大体は……。
それを、5才の王子も察しているのだ。
自身の立場と共に。
「え、リエト王子ってもしかして……すごく、賢いのでは……?」
ヴィルデマールのつぶやきに、ラウレンスだけが「だからそう言ってんじゃん」と答えた。
閑話は色んな視点が入るから長くなってしまう。
仲良し第四王子陣営。
リエトと接する事で、心境の変化があった兄様、ラウレンスという弟の事ももっと気に掛けようと思いました。




