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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

群衆

作者: 塚井理央

――おい邪魔だ、押すなよ。あんたこそ、どきなさいよ。ちょっと、こんな狭い所で喧嘩しないでください。なんだお前、生意気だな。止めてよ、腕がもげてしまうわ――

 ゆっくりと目を開けると、濃い墨色の空が見えた。背中に硬い感触があり、どうやら地面に仰向けで寝転がっているらしかった。

 上体を起こすと、大勢の男女らしき人間が、道路脇で言い争いをしていた。男女らしき、と言ったのは、それが醜悪な見た目をしていて、男女の区別がつかなかったからだ

 腕や足が立ち切れて、欠損部分から黄色い皮下脂肪や白い骨が覗いている者。トラックのタイヤに腹をすり潰され、ざくろのような内臓を腹からこぼして引きずる者。文字通り首の皮が一枚繋がったまま、ぶち切られた髄や神経を垂らしたまま闊歩(かっぽ)する者。様々な姿形の人間たちが、真夜中の交差点で、口汚く罵り合っていた。

 異様な光景を目の当たりにしても、僕の中に恐怖心は芽生えなかった。ただ、どうして自分がこんな異形な者の側で寝ていたのか、それだけが不思議だった。

「おう、兄ちゃん。やっと起きたか」

 こちらに呼びかける声の方に顔を向けた。声の主は五十代らしき小柄な男だった。道路の縁であぐらをかき、酒の入った一合瓶を片手に持っている。そして男は左肩から先が無かった。

「あの、ここはどこですか?」膝を曲げて屈みながら、僕は男に尋ねた。

「あんた、何にも覚えていないんだな」男は赤ら顔でにやりと笑い、僕の方を見た。「まあそれも仕方ないか」

 男がそう言った時、僕の横を大型のトラックが驀進(ばくしん)していった。信号は黄色く点滅していたが、そのことには関心がないといった感じのスピードで、走り去っていった。

「ここは国道五十九号と市道の交差点だよ。兄ちゃんはな、事故で死んだんだ。スピード違反の車に激突されて、ガードレールに頭から突っ込んで、そのままお陀仏(だぶつ)さ」

 舌足らずな口調で語る男の話を聞きながら、僕は自分の後頭部に手をやった。泥の中に手を差し込んだみたいな感触があり、引き抜いてから手を見ると、脳漿と血でべっとりと汚れていた。

「確かに、頭を怪我しているみたいですね」男の横であぐらをかきながら、僕は言った。

「怪我というか、そいつが死因だよ」男は酒を一口飲んでから、ふうと息を吐いた。「ここは交通事故の多発地点だからな。事故で死ぬ奴が後を絶たないんだ」

 僕は緩慢な動きで辺りを見渡した。この交差点には見覚えがあった。自宅のアパートからコンビニに行くときによく利用していた場所で、確かに事故が多発する場所として有名だった。

 横断歩道が無いため、コンビニへ行くには歩道橋を渡る必要がある。しかし歩道橋を使うとかなりの遠回りになってしまう。なので、車が来ないタイミングを見計らい、横断する人は多い。一応、歩行者横断禁止の標識が立っているものの、それを律儀に守る人は少なく、僕もたびたび斜めに道路を横切っていた。

 そのせいで、この付近にはいつも献花が道路脇に置かれていた。献花の他に、酒や煙草など故人が好きだったものを置いていく人もいる。男の手にある一合瓶の酒を目にやり、この人もここで亡くなったんだな、と思った。

 ばらばらだった記憶の断片が、急速に形を作っていく。確か夜中に小腹が空いて、何か食べ物を買うために、コンビニに向かったのだ。スウェットの恰好(かっこう)のまま、適当にサンダルを履いて家を出た。そしていつも通り道路を横断しようとして、急に車のヘッドライトの明かりを浴びたのだ。あまりの眩しさに顔をしかめながら、振り向こうとしたところまでは覚えている。その後の記憶は、ナイフで断ち切られたように途絶えていた。

「そうか、死んだんですね、僕」呟くように僕は言った。

「人生、いつ終わるか分からないもんだ」男はそう言って髪の薄い頭を掻いた。「まあ兄ちゃんは外傷があまり無くて良い方だよ。あいつらみたいな見た目になると、あんまり気分の良いものではないからな」

 僕はあらためて自分の身体をまじまじと見た。破けたスウェットから擦り傷の跡が見えているが、四肢が欠けていたりはしていなかった。

「ところで、あの人たちはいったい何を……?」

 言い争いを続ける人たちに視線を送りながら、僕は言った。人々は先ほどからずっと狭い路側帯で、お互いに至近距離で声を荒らげている。献花として置かれた花々が、彼らの足元で踏みつぶされていた。

「生き霊だよ」吐き捨てるように男は言った。「現世に心残りがある人が、いつまでもここにいるんだ」

 男は再び酒に口をつけて、喉を鳴らして飲み込んだ。そしてこの交差点について、滔々(とうとう)と語り始めた。


 この交差点の国道は、県の南部を縦断する主要な幹線道路で、交通量が多い。その割には道路照明が不足していて、道幅が狭く、頻繁に事故が起こっていた。

 交差点には故人に向けられた献花が大量に置かれている。献花はほぼ毎日欠かすことなく誰かが置いていて、白ユリや菊などがびっしりと並べられている。その光景は見ている者をいささか不気味な心地にさせるが、亡くなった者の死を悼む人々にとって、献花は心の拠り所だった。そのため、交差点に供えられる花の数は減ることがなかった。

 しかし、そんな死者への献花に最も手を焼いているのは、誰よりも事故に遭った死者本人だった。

 献花には、死者の魂をその花の周囲に繋ぎ止めてしまう作用がある。もちろん、献花する人の思いが弱まったり、献花の回数が減少すれば、繋ぎ止める力は弱くなっていく。だが、この交差点に花を供える人々は、不運な事故で人を亡くしている方がほとんどだ。それゆえ死者を弔う気持ちも強く、献花も途絶えることが無い。

 だからこの交差点に置かれた花の周りには、夜な夜な死者がひしめき合うことになる。だが、この情景がまさに阿鼻叫喚といった有様なのだ。グロテスクな見た目の死者が、狭い交差点で、押し合いへし合いしながら、お前が邪魔だ、いいやお前だ、などと罵倒し合っているのだから、まさに地獄絵図だ。

「俺はここに来て数週間経つが、あんなゾンビみたいな連中はいつまで経っても見慣れねぇな。さっさと早く成仏してほしいんだが、俗世に未練たらたらで、ずっとここにいるってわけよ」

 まあそれは俺も一緒だけどな、と言って男は笑った。笑うと口元に(しわ)が寄って愛嬌が出た。僕もそれにつられて笑っていた。不随意的に生まれた、空虚な微笑みだった。

 ふいに何処か遠くの方からエンジン音がした。目を凝らしてみると、それは猛スピードで蛇行運転するトラックだった。お互いに罵り合っていた生き霊の耳にもそのエンジン音は届いたらしく、彼らは皆一様にトラックの方を見た。

 死者たちの脳裏に、なにか悪い予感めいたものが覆いかぶさってきた。ボディ部分がアルミ製のトラックは、スピードを一切緩めることなく走り続けている。トラックはやがてガードレールに接触して横転し、道路脇の電柱に突っ込むと、爆発音と共に火柱を上げた。生き霊たちの何人かが火の粉を浴び、幽霊なので影響はないはずだが、ひゃあと情けない声を上げた。

「おいおい、これまた派手な事故だな……」男はゆっくりと立ち上がって言った。

 生き霊になった者は皆、呆けたような顔を浮かべたまま、燃え盛るトラックを見ていた。そしてトラックの荷台から、地鳴りのような声が聞こえた。その声は絡みつくように僕の耳朶(じだ)を打ったが、その声も炎に飲まれて次第に聞こえなくなった。

「あの、すみません」

 何処からともなく、作業着を着た男が現れた。作業着の男は右腕を失い、顔と胸にガラス片がいくつも突き刺さっていた。男は申し訳なさそうに、しかし人懐っこい笑みを浮かべて歩み寄ってきた。

「皆さんって、もしかして幽霊ですよね? この辺りって事故多発地帯だと聞いていたけど、まさかこんなにいらっしゃるとは思わなかったなあ」

 へらへらと笑う男の顔とは対照的に、他の生き霊はどんどん、塩の結晶を噛んだような苦々しい顔になっていった。

「いやあ、しかし、後悔先に立たずとはよく言ったものですね。運転中にうっかり居眠りをしてしまうなんて。俺だけならまだしも、こいつらまで巻き添えにしちゃうんだから、申し訳ないというか、参っちゃいますよ、本当に。たぶんこいつらもここでお世話になると思いますが……みなさん、よろしくお願いしますね」

 作業着の男は血をだらだらと垂らしながら、矢継ぎ早に言った。僕は男の背後に目をやりながら、背中に冷たい汗が伝い落ちるのを感じていた。男の後ろには、鼻を大きく鳴らし、ビー玉のようなつぶらな目でこちらを睨む、血まみれの豚の大群がいた。



<了>

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― 新着の感想 ―
[一言] いでっち51号様の企画より参りました。 その発想はなかった! 事故多発道路や自殺の名所を舞台にしたホラーは数々ありますが、死者たちが一箇所で渋滞しているというシチュエーションは怖くもあり、可…
[良い点] 拝読させていただきました。 ホラー調のブラックコメディという感じで、楽しく拝読させていただきました。「群衆」というタイトルと、最初のひしめき合いの様子から、先日韓国の梨泰院で起こった事故…
[一言]  とても怖いですね。交通事故で死んでも献花のせいで解放されない。  さらに交通事故が起きて益々人が死んでいく。  でも歩道橋を使えばいいのに、それを否定した人々も自業自得と言えますね。   …
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