4
そう思っても、決して心中穏やかでない日々を過ごしていたある日、それは起こった。
「きゃっ」
リリアナさんとすれ違ったと思ったら、急に倒れこんだのだ。
「大丈――」
「ひどいっ。シャルロッテ様、突き飛ばすなんてっ」
「え?」
貸そうと伸ばした手が途中で止まった。
「今、私のこと、突き飛ばしましたよね」
「そんなことは――」
ただちょっと腕が触れ合ったかもしれないが、突き飛ばした覚えはない。
でも、彼女にはそう思えたのかしら。
「誤解よ――」
「私がアラスター様と仲良くしてるから、私のことが嫌いなんですねっ」
顔を伏せて泣き始めた彼女の肩に手をおけば、通り過ぎる生徒の視線が突き刺さる。
泣いて床に座りこんでいる彼女と、肩を掴んでいる私。
どちらが悪者に見えるかなんて、訊く前から愚問だ。さっと血の気が引く。
彼女が座りこんでいる間、必死に言葉を紡いだが、彼女は顔を伏せて首を振るばかり。教師が通り過ぎ様声をかけて、ようやく泣き止み立ち上がってくれた。
私はほっと息を吐いて、「ぶつかってしまってごめんなさい」とリリアナさんに再度謝って、その場を去ることができた。
けれど、安心してはいけなかった。
それ以降リリアナさんは何故か私とすれ違うと、度々転ぶようになった。決まって「私に突き飛ばされた」と言う。
いくら違うと言っても、彼女の中では確定してしまっているのだろう。聞き耳を持ってくれない。
そんな日々に疲れていたある日、ひとりになりたくて、人気のない校舎裏に足を向ければ――
「お前、平民のくせに生意気なんだよ」
「少し顔がいいからって、いい気になるなよ」
どうやら苛めの現場に出くわしてしまったらしい。
今は気力を振り絞るのがきついのにと、とりあえずそっと伺うつもりで見てみれば、そこにオレンジ色の髪を見つけた途端、体が勝手に飛び出していた。
「そこで何をしているの」
人がいるとは思わなかったのか、カイルを取り囲んでいた生徒のふたりがびくりと肩を震わせた。
「やばっ」
「あなた達、こんなことをして――」
「逃げろっ」
「あ、ちょっと待ちなさい!」
呼び止めるも、ふたりはあっという間に去っていってしまった。
「まったく――。――大丈夫?」
「はい。助かりました。ありがとうございます」
振り返れば、カイルが頭を下げた。
話すのは入学式以来ね。
学園では思いの外、カイルの姿を見ることが少なかった。
クラスが違うから当たり前なのだが、でも、同じ教室にいるヒロインに会いにくると思っていたのに。
ゲームではとても仲が良かったふたりが、一緒にいるところを一度も見かけないのは不思議だった。
今のリリアナさんは殿下といることが多いから、遠慮してるのかしら。
「こういうこと良くあるの?」
「たまにですけど。俺、孤児院出身なんで――。それで、余計目をつけられるのかも」
「そう……」
『学問の前では、皆等しく平等なり』と言っても、誰もがみんな殿下のように高尚になれるわけではない。
ゲームでも苛められていたりしたのかしら。
だとしたら、ヒロインの前では明るく振る舞っていたのね……。
「あの、すみません」
物思いに沈んでいたら、何故かカイルが謝ってきた。
「どうして、謝るの?」
「リリアナのやつが迷惑かけてますよね」
「それは……」
なんと答えてよいかわからない。
正直、困っているのは本当だけれど。
「あいつ、昔からそうなんです。気に入らない相手には容赦なくって……」
どういう意味だろう。
ヒロインは天真爛漫で、優しい性格のはず。
でも、ここ最近、正直それだけじゃないような気はしているけど――。
「とにかく、すみません」
頭を下げるカイルに、私は慌てた。
「ううん。あなたが悪いわけじゃないわ、気にしないで」
申し訳なさそうなカイルに元気になってほしくて、私は笑ってみせた。
「私なら大丈夫よ。それより、また苛められたら言って。力になるから」
「……シャルロッテ様は優しいですね」
カイルがふっと笑った。その笑顔が私の心の奥深くを揺さぶった。
ああ、今まで認められたくて頑張ってきたわけではないけれど、肯定してくれるそのカイルの言葉で、これまでの自分が報われた気がした。
「ありがとう……」
嬉しくて、胸がじんわりと温かくなるのを感じる。
少しだけ弱っていた心が私の涙腺を緩ませたので、慌てて瞼を伏せるとそっと微笑んだのだった。