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蜂須賀正勝

作者: 漆垣内 京

「ロクさんやい」

まどろみの中、あいつの声が聞こえた気がして、のそりと半身を起こした。日が落ちているのかいないのか、閉めきったこの部屋ではよく分からない。

「気のせいだわな」

ひとりごちて、枕元の水差しから一杯汲み、口に含む。

目は覚めたが頭の芯は定まらず。体の節々は重い。

どうやら俺はもうすぐ死ぬらしい。

覚悟はとうに決めているが、できることならあまり苦しみたくはないものだ。

流行り病であるといけないので、皆下がらせている。何かあれば鈴を鳴らすのだ。

強い風が木戸をガタガタと揺らす。


「いいな、ロクさん。今宵俺は日吉だ。間違っても秀吉だのサルだの呼ばないでくれよ」

あいつは偉くなっちまったから、色街に遊びに行くにも難儀していた。それでも、嫁御の目を盗んでは俺のところにやってきたっけな。

毎度楽しいバカ酒ってやつさね。あいつがいるととにかく盛り上がる。参加した皆が、自分が面白い人間になったような気がするのさ。


一度だけ、帰り道であいつが泣いていた事がある。ようやく授かった子が逝っちまった時だ。なにも言わずに道端で座り込んだか、とおもうとすごい勢いでえずきだしたから、俺は仕方なくちびちびと隣で飲っていた。つまみがねえからヨモギをちぎりながら、さ。

半刻はそうしていた。急にすっくと立ち上がったら、すっかり晴れ晴れとした顔になってやがって。

「眠いなロクさん。帰ろうや」だとよ。二人して黙ったまま、城まで歩いたっけ。


昼間のあいつはどんどん変わっていった。というよりおかれた立場が勝手に上がっていく。日吉は日吉で、日に日に酒の量が増えていった。


一緒に墨俣で丸太を運んでいた頃、俺たちは同志だった。けど今は違う。あいつはサルから藤吉郎になり、殿になった。今はもはや天下人だ。飲みになんていけやしない。


俺が初めて「秀吉様」と畏まって呼んだ時、あいつは少し寂しげな顔をした。けどすぐに、「なんじゃ小六、むずがゆいわい」と大声でちゃかしてきた。俺だって、小六と呼ばれたのはその時が初めてさ。


俺はあいつと並び立てなかった。あいつを誰よりも買っているし、応援している。だからこそ、主従のけじめをつけるべき時が来たってわけだ。

半兵衛や官兵衛ら、あるいは優秀な新参衆の指先ほども役に立たない俺だよ。そんな俺が長たるあいつに軽い口をきいちゃいけないって思ってな。

思い定めれば強いもんでね。中国でも四国でも、俺はあいつの宿老として、少しは役に立てたかと思う。


あれから一度も、日吉は遊びに来ないけれど。


友か主従か。信長様並の大器を前にして、俺にはあの時、それ以外選べなかった。家臣として尽くそう。それ以外、俺があいつのためにできることは無いと思えた。そしてあいつはもう、夢にまでみた天下が目前だ。最早、俺に手伝える事など何もない。寿命もうまくできたもんだな。ちょうどいい潮だ。


花は散る。男蜂須賀、ここに眠るってな。



もし来世でめぐりあったとするなら。やっぱりお前は女好きなんだろうな。で、フラれてもケラケラと笑ってやがんだろう。辛い天下取りなんてやめて、来世は炭でも焼きながらずっと飲んでようか。ああ、お前は商売人の方が向いてるか。


俺は再び横たわって、小刻みに揺れる木戸を眺めている。風は一段と強い。やたらと昔を思い出すのは、走馬灯って奴なんだろう。


風に混じって馬蹄の音がする。徐々に大きくなっていく。ついに耳まで悪くなったか。


いや。


あいつの声がする。馬蹄に混じって。

息を切らせて。涙声で。


「ロクさんやーい」


「わしじゃー」


馬鹿野郎。たかが家来一人。

そんな事で天下が取れるかよ。


ひとしきり笑った。

今日はどこに飲みに行こうか。日吉。


素敵な夢を生きた、とつくづく思いながら、俺は目を閉じた。

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