裁ち切る鎖編 第十二話 団欒
——某国襲来以来、ずっと欠けていた物が少しだけ戻ってきたようだった——
≪リョウ視点≫
「……ひさしぶりの外だ!」
俺は辛気臭い路地裏に出てすぐに、そう呟いた。陽光のあまりの眩しさに、目を細める。何せ一か月間、一度も外に出ないで訓練していたのである。朗らかに俺達を照らす太陽と、のほほんとした雰囲気が春の訪れを知らせていた。
もう、春なのか。俺が最後に見た景色は冬だったから、随分と新鮮に映った。道の端に溶け残った白い雪と冷たい空気だけが、冬の存在を示唆していた。
「ほら、何をしている。早く行くぞ」
一人ではしゃぐ俺に向かって、テーヤが呆れたように言った。「子供かお前は」とでも言いたげに、口の端を歪めている。「俺はまだ子供だってーの」と、俺は心の中でだけ反論した。現実の俺は無駄口を叩かずに、静かに彼の後ろ姿を追っていた。
『……あれ? なんか、おかしい気がする……』
(ん、どうした?)
俺は、何かに不思議がっている———に向かって尋ねた。
『ここ、リュミエールじゃないよ? 景色が全然違う』
そう言われて俺は、あたりを見渡した。周りの景色に特に何も変わったところはなく、ただの立春の時期の路地裏であるように見える。路地裏を照らす日光が、やけに神々しかった。俺は———に『具体的にどこが違うんだ?』と訊き返そうとして、気付いた。
リュミエールの路地裏は、もっと暗くてジメジメしているのだ。日光なんて建物の陰で隠されて、視認できないほどである。つまりここは……
「リュミエール……じゃない?」
『さっきっからそう言ってるじゃん!』
俺は考えた。一か月前、リュミエールが某国に占拠されていたから裁ち切る鎖が拠点を移動させたのだとすれば、辻褄が合うだろう。しかし、どうやって『拠点ごと』移動させたのかという部分が謎だった。あの大規模な地下拠点を動かすとなれば、俺達にバレないわけが無いし何よりそれだけの事をする手段がない。テントのような拠点であれば楽だろうが、ご生憎様。裁ち切る鎖は地下拠点だ、移動はほぼ不可能だろう。
そんな事を考えている間に俺は、路地裏から抜け出していた。途端にリュミエールそっくりの街並みが俺を出迎える。
「なぁ、テーヤさん。この拠点ってどうやって移動させたんだ?」
聞かれてテーヤは、少し迷ってから答えた。
「考えたこともなかったな、そんな事。裁ち切る鎖の拠点移動は度々起こっているが故、気にすら留めていなかった。私個人の考えではあるが恐らく、『地下を操る能力者』でもいるのではないか?」
それまた随分と、大規模な能力だこと。
俺はそう思った。地下を操って、丸ごと拠点を移動させる……確かに、あり得ない話ではない。事実リュミエールでは回復兵の回復力の高さを生かして『実践』などという無茶な行事を行っていた。それと似たような物だろうか。
「ちなみにここは、リュミエールの西に位置している『ナハト』だ。ここから少し南に行ったところに、デゼルトはある」
彼は歩きながら淡々と言った。街中ですれ違う人々は皆、俺と同じぐらいの背格好だった。本当にリュミエールとよく似た町だなと、俺は実感する。
「えーっと、具体的にはどれぐらい?」
「少なく見積もって……まぁ、一週間程度だろう」
俺はしかめっ面をしてため息をついた。その様子を、これまたテーヤがしかめっ面にも似た表情で見つめる。その瞳に向けて俺は、取り繕った笑みを向けた。
「もう、魔法陣使っちゃえばいいんじゃないですか?」
「楽な道を選ぶ者を、神は良しとしない」
……このカタブツが!
俺は心の中で叫んだ。そうか、歩いて移動しているのはこの人が原因なのか。俺はまた、ため息をつく。今度はテーヤも、しっかりと反応した。
「ため息などついていても、何も始まらない。早く行くぞ」
「はぁい」
「……はぁ。なんだ、その返事は……」
*
この会話からおよそ、十二時間後。俺達は宿屋にて休憩を取っていた。テーヤと俺は猫の額ほどの大きさの部屋で、しかも相部屋である。ベッドが一つあるだけの、部屋というよりかは『空間』だった。
テーヤは、俺に遠慮してかベッドに入らなかった。しかしそれは俺も同じである。というのも、一日中早歩きを続けた割には、疲れを感じていなかったからだ。これもまた、特訓の成果だろうか……などと一人、強くなった自分に感心する。
そんな静かな雰囲気を、ブチ壊す『音』があった。
「……兄ちゃん!」
「リョウ!」
言下に扉が「バタン」と音を立てて勢いよく開き、見慣れた二人が入ってきた。金髪の少年と、それよりも二回りほど大きな青年である。それから一拍ほど遅れて、控えめな少女が入ってきた。
「カルマ! ロザンナに、スザンナも! どうしてここに?」
俺はロザンナとスザンナに近づき、思わず抱き着いた。ロザンナはあからさまに嫌そうな表情を、スザンナは困惑したような笑みを浮かべている。ロザンナはすぐに腕から抜け出して、俺の目を見据えた。鼻をこすって、自慢げに言う。
「へへっ、兄ちゃんが心配だったから、わざわざ来てやったんだ! 感謝しろよ……な、カルマ兄ちゃん」
「いや、僕は普通に任務で来ただけなんだけど……」
カルマは居心地が悪そうに、自分の髪を指でくるくると回した。
「リョウも僕と同じ任務だったんだ?」
「デゼルトの奴だろ? ああ、同じだな」
「……あの……お、お兄ちゃん? は、離して頂けますか……?」
言われて俺は、慌ててスザンナの束縛を開放した。彼女はすぐにロザンナの元へと寄って行き、二人、横に並んでからこちらを見つめる。
「あれっ、そういやラメ……いや、母さんは?」
「なんかよくわかんねぇけど、留守番らしいぜ?」
「『やりたいことがある』って、言ってました……お兄ちゃん、あの人誰ですか……?」
スザンナが小さな声で呟いた。その真っ黒な瞳には、修道院服を着たテーヤ一人が映っている。多分、見知らぬ服を着て祈りを捧げているテーヤに怯えているのだろう。俺は彼女を安心させるため、出来るだけ優しい声で言った。
「ああ、この人か。この人は上位クラスのテーヤさん、悪い人では無いぞ」
俺はテーヤの評判を下げないようにするために、発言をオブラートに包んだ。彼はチラッと横目でこちらを一瞥、それから聖書を開いて祈りを再開する。かれが再開する直前に俺は、彼が小声で
「……お前達、うるさいぞ。騒然を、神は良しとしないだろう……」
と言っているのが聞き取れた。
「……いやー、にしても兄ちゃん! こうしてゆっくり話すの、中々久しぶりじゃねぇか! なんか、離したい内容ねぇか?」
子供のくせに、随分と上から目線だった。多分本人に悪気は無いのだろうけど、それでも癪に障る。スザンナが隣で「うぅ……」と呻いているのが聞こえる。俺は彼に話しておきたい内容が無いか、少し考えてみた。話したいことは、色々とある。どのようにしてロザンナがラメラに育てられたのかや、どういう風の吹き回しで某国襲来時に現場に鉢合わせていたのか。しかし、今一番聞きたいのは……
「お前が最上位クラスになったって、本当か?」
この、一点だった。俺は固唾を飲んで、ロザンナの表情をじっと見つめる。彼の返事は、やけにあっさりとした二文字だった。
「ああ、そうだけど」
……その返事に、俺は思わず戦慄した。隣にいるスザンナも同時に「うんうん」と頷くのを見てさらに鳥肌が立つ。
「でもま、最上位っつっても肩書だけだけどな。他の最上位と比べたら、かなり弱い方だぜ」
「そ、その通りですぅ…………最上位クラスは、私達なんか太刀打ちできないくらい……強いんです」
それを聞いたカルマが「えーっ!?」と驚いたように言った。この感じだと彼は恐らく「最上位クラスはみんな同じくらいの実力を持っている」と曲解していたのであろう。
「まぁ、最上位クラスは才能任せみたいな所あるからね。ところで、スザンナちゃん……」
カルマの影から出てきたレイジが、嬉々とした表情を浮かべてスザンナに近寄った。突如として現れた彼女に対してスザンナは、怯えたように数歩後ろに下がったが、俺とカルマが「大丈夫だ」というと安心してレイジに近寄った。
「えへへ、スザンナちゃんは可愛いね」
「あ、ありがとうございます……」
すっかり馴染んでしまったようで、スザンナは笑顔を浮かべてレイジに撫でられていた。そのわきで俺達男子勢は、別のグループを作って話を始める。
「なぁ、カルマ兄ちゃんは何クラスなんだ?」
「中位だよ。リョウと同じだね」
「ああ。だがロザンナ、今に見てろよ。すぐに追い越してやるからな!」
「へっへっへ、なら今すぐに手合わせするか?」
「望むところだ!」
「じゃぁ、審判員は僕だね……ってロザンナ、今すぐには駄目だよ!?」
「なんでだよ!」
「そりゃ、そうだろーがっ! それより、今から兄ちゃんが美味しいカレー作ってやるよ。たんと喰らうがいい!」
「おお、マジか! へっへっへ、楽しみだぜ」
「五月蠅いぞ、お前達」
その晩俺達は、本当に久しぶりに会話を楽しんだ。某国襲来以来、ずっと欠けていた物が少しだけ戻ってきたようだった。