天界の太陽編 第十九話 天使
≪カルマ視点≫
「……うそ……」
五階、四階、三階と降りてきて、とうとう僕は二階に辿り着いた。見っともない事に、息が上がっている。だが、そんな事はどうでもいい。今は集中して、この現状を飲み込むんだ。落ち着け、僕……
僕は深呼吸をして、目を見開いた。途端に広がる地獄。二階のそこかしこに、大量の某国兵士が確認できた。少なくとも五十……いや、百は居そうに見える。僕は絶句してその光景を見つめていた。二階に、主だった施設は無かった。しいて言うなら大浴場があるぐらい。僕達上位と中位が生活しているのは四階で、最上位が五階。下位と最下位クラスは三階だ。だから、二階と一階の被害は少ないはず。
少なくとも今までの僕はそう考えていた。だが、現実はそう甘くはなかった。二階は四階に負けず劣らず酷いにおいが立ち込めていた。鮮血の匂いとか、腐敗臭とか。全部全部、戦場特有の匂いだ。大量虐殺があったのは、見なくても分る。四階と違ってここには殆ど某国兵士の死体は何処を探しても無く、代わりに大量のペストマスクを付けていない人々の死体があった。
当然だ。敵の数が多すぎる。多分、上の階層から逃げてきた人たちがここでつかまり、惨殺されたのだろう。
「……カルマ……」
「……大丈夫だよ、レイジ。僕は正常さ」
僕は必死で深呼吸をした。目を開けているだけでも気持ち悪かった。一刻も早くここから去りたい。でも、それはこの階層にいる輩を突破しないと不可能だ。
「……どうする、レイジ?」
「突破しよう。勝てない相手じゃないと思う」
レイジはいたって冷静だった。僕はこくりと頷き、刀を構えた。幸い、奴らはまだこっちに気づいていない。奇襲を仕掛けるなら、早い方が良いだろう。
「……罰斬ッ!」
僕は一声叫ぶと、駆け出した。スピード勝負だ。早い方が斬り裂き、遅い方が死ぬ。ただそれだけの事。ここまで単純明快な戦い、いまだかつてあっただろうか。少なくとも僕は一度も体験したことが無い。
「!??‽¿?❢‼」
意味不明な戯言が聞こえてきた。僕は無視して敵を斬り裂いた。僕の方が早いのは、昔の体験で知っている。負けるわけが無い。このまま一気に一階に降りれれば——
しかし、現実はそう甘くない。僕の接近にいち早く気づいた兵士達が、既に階段の前でたむろしていたのだ。勢いで階段を突破しようとしていた僕は慌てて立ち止まった。立ち止まった瞬間に立ち止まったのを後悔したが、すでに遅い。
僕の周りで、兵士共が包囲を始めたのだ。僕を円の中心として囲んでいる。恐ろしいほどに速く、的確な動きだった。全身で鳥肌がたつのを感じる。僕は精一杯周囲を観察しながら、範囲網に穴が無いかを観察した。
ダメだ、無い。人数が多いから、仮に抜け出せたとしてもまた包囲される。やっぱりここは捨て身で突っ込むしかないんだ。
僕は意を決して、大きく息を吸った。走り出そうと助走をつける。兵士共はいたって冷静に、範囲網を縮めていた。範囲網が大きいから、まだ行動はしないだろう。だからもう少し助走を付けられる。
「……!???❢‼!」
しかし、それは誤算だった。僕がさらにもう一歩下がると、突然奴らが叫び出した。と思えば、すぐさま僕に襲い掛かって来た。まだ包囲網は完ぺきではないのに、僕が行動しそうなのを察して奴らも行動したらしかった。
賢い……
僕はそう思った。単に強いだけじゃなくて、こいつらは頭が回るんだ。いつ、どう動けば敵を殲滅できるかよく心得ている。
「……くっ!」
僕は瞬時に助走を解除し、刀で防御態勢をとった。途端に襲い掛かる、尋常じゃないパワー。まるで像がのしかかったのかとさえ思った。マズイ、一人でこの威力は……
このままだと負ける。
僕は悟った。四方八方から奴らは飛んできている。だから受け止めるのは愚策だったのだ。しかし、今気づいたところで意味はない。刀を後ろに引いてから走り出そうとした。が、別の兵士が僕の事を固定して話さなかった。駄目だ、こんなに統率が取れてる。大勢に対して、こっちは一人だ。
「死…」
「まだだよ、カルマ。私がいる」
ふと、レイジの声が聞こえた。
「罰斬改征」
彼女は僕の影から出てきて、刀身の短い刀を一振りした。刹那の沈黙。一寸おいて、周りの兵士が合図も無しに倒れ込んだ。よく見ると全員、首と体が分離している。レイジが斬ったのだろうか。彼女は動いていないように見えたのだが。
「……え?」
「……カルマ、一人じゃないんだからさ、僕を頼ってよ」
レイジは僕に優しく微笑んだ。やつれているような笑みではなく、心の底からの笑みである。苦し紛れに出たものではない。
この笑みは、本物だ。
僕はそう感じた。僕はその笑みに見とれていたが、ふと我に返り、自分も刀を構えた。彼女も頑張ってくれているんだ。僕が頑張らなくてどうする。
「……罰斬……」
僕は手が痺れるほど強く刀を握り、駆け出した。自分の無力が情けなかった。
*
鮮血が、吹き上がった。
僕はふと、周りを見渡した。気づくと僕は、ここにいたはずの人たちを沢山殺していた。僕が通った跡に、大量の血が残っている。見ると、僕の服にも血は染み付いていた。自分の傷なのか、それとも返り血なのかは分からない。でも、人を殺した気がしなかった。もしかしたら僕は、一人も人を殺せていないのかもしれない。
だって、刀に殆ど血が付いていないから。
「……たすけ……て……」
遠くで、幼い子供の声が聞こえた。生存者だろうか。いや、天界の太陽では幼い子供を採用しない。しかもこの惨状だ、いずれにしても子供が生き残れるわけが無い。子供を助ける必要なんて、今の僕には無いのだ。放置しておくのが正しいだろう。
しかし、気付くと僕の足は声のする方へと向かっているのだった。
「……だれ……か……」
そこには、意外にもペストマスクを被った小柄な人物が床に倒れ込んでいた。随所に切り傷が確認できるが、特に腹部の傷が深くて今にも死にそうに見えた。苦しそうに喘ぎ、治療を求めている。素人の僕が見ても、彼がもう長くないのは理解できた。哀れみの感情が湧いてきそうになったので、必死で押しとどめた。
彼は某国の兵士だ。ペストマスクを被った兵士だ。僕たちの拠点を襲った、兵士だ。子供に見えるとはいえ脅威に違いはない。
「……カルマ、大丈夫? 酷い顔だよ?」
「……多分……大丈夫だと思う。でも……」
僕は無理に笑った。レイジがあんなに素直に笑えていたのに。今度は僕が笑えなくなってしまった。
僕はそっと抜刀した。
「な……に……?」
「……うぅっ」
僕は目を瞑り、刀を彼に振り下ろした。が、刀は途中で停止した。僕が止めたのではない。止まって知ったのだ。僕はさらに力を加えたが、刀は動かない。違和感を感じて、目を開いた。するとそこには……
手を僕の刀で貫かれた、レイジがいた。
「レイジ!? なんで……いや、それより傷は……」
彼女はまたにっこりと笑った。
「掠り傷だよ。死にはしないさ」
嘘だ。刀は確かに彼女の手を貫いている。確かに、死にはしないだろう。でも、相当な痛みのはずだ。現に彼女の笑みはこわばっていた。
「……なんで受け止めたの!? 子供とは言え、某国の兵士には違いない! 殺すべきなんだよ!」
彼女は刀から血塗れの手を抜き取り、顎に添えた。「うーん」と言いながら悩んでいる。
「そうかなぁ……だって、子供だよ? カルマに子供を殺させたくなかったっていうだけだから、別にやってもいいんだけど」
兎も角、彼女は小さな兵士を回収して抱きかかえた。まるで仲間のように優しく、丁寧な手際で。昔のレイジだったら考えられなかった。「敵に情けなど不要」をモットーに四肢を切断していた人だ。仲間から悪魔とまで呼ばれていた。それなのに、今の彼女は……
「天使みたいに……優しい」
口から、声が突いて出た。
「ごめん、切ったりなんかして」
僕はそっと謝罪した。これが免罪符になるとは思っていないが、謝罪の意だけでも伝えておきたいと思ったのだ。そっとその手に回復魔法をかける。相変わらず未熟で、殆ど意味が無かった。
「大丈夫だよー」
彼女は苦笑いし、僕の影に戻った。担いでいた小さな兵士も、一緒に影となって溶ける。僕は少しの間その影を眺めていたが、やがて前を向き、階段へと向かいだした。僕があんなに優柔不断じゃなかったら。レイジに怪我をさせることは無かったはずだ。僕が迷わずあいつを手にかけていれば、何も起きなかったはずだ。
……あと少しで出口という喜びよりも、罪悪感の方が大きかった。