天界の太陽編 第十八話 五日
≪カルマ視点≫
「……ふぁ……あ」
僕は暗い部屋で目を覚ました。えーっと、何をしていたんだっけ。確かレイジの元へ帰ってきてから、見張りを続行して……
「あー、途中で寝ちゃったのか……」
僕は独白した。そうか、通りで体が重い訳だ。九時ごろにアスペンから「交代しようか?」と声をかけられたのは覚えている。それを断って、さらに一時間ぐらい見張りを続けたのも……でも、そこから先の事は覚えていない。やっぱり、途中で寝てしまったようだった。
「あ、起きた……おはよう、カルマ」
優しい声に振り向くと、そこにはレイジが立っていた。下半身を影に溶け込ませているので、上半身しか確認できない。彼女は僕が見たことのないような、優しい笑みを顔に刻み付けていた。
「……ああ、おはよう……って、レイジ! 記憶は取り戻せたの!?」
すると彼女は、こくりと頷いた。
「うん。全部、思い出せたよ。カルマのお陰だね。ありがとう。もう、幻影も見えないよ」
レイジは僕に向けて頭を下げた。普段一緒に暮らしている中で、ここまで丁寧に彼女から感謝されたことは無い。僕は驚きで眠気が吹き飛んだ。
「……本当に? 本当に治ったの? 天気雨を見ても、もう大丈夫なの?」
「うん。全部、思い出したから……」
僕は思わず、レイジに抱き着いた。
「よかった……もう、レイジは幻影に苦しまなくて済むんだね」
「……カルマ……」
レイジは優しく僕を引き剥がし、手に巻かれた拘束用ロープを刀で切った。それから、彼女は自由になった両手で僕の事を撫でた。
「……心配してくれて、ありがとう。私……いや、僕の為にここにいてくれて……全部、カルマのお陰だ」
「そんなことないよ。途中でアスペンさんと交代したり、寝ちゃったりしたもん。アスペンさんにも、お礼を言ってあげて」
「うん」
彼女はより一層笑い、僕の影に戻って言った。
「ねぇカルマ、ちょっと外に出ない? 僕、外を見たいんだ。カルマの邪魔にならなかったらいいけど……」
遠慮がちな提案だったけど、何を隠そう、それは彼女の明確な意思だった。これまで彼女は、必要最低限の会話しかしてこなかった。それなのに今は、自分から話しかけている。彼女のカバーストーリーがはがれ、『記憶』を取り戻した影響なのだろう。
無論、僕は肯定した。
「いいの? ありがとう」
僕は歩いて扉に寄ると、ドアノブに手をかけた。ドアノブを回す小さな音が広くて静かな部屋に、不気味なほどに大きく響き渡る。何か嫌な予感がして、僕は開けることを躊躇した。が、何を迷っているのかと自分に言い聞かせ、ドアを開ける。ドアは、まるで黄金でできた玉座のように重かった。
ドアを開けた途端、異様な臭いが鼻についた。何かが燃える匂いに、形容しがたい毒物のような匂い。そして一番は……
……鮮血の匂いだ。
それらが絶え間なく、下の階から流れてきていた。僕は思わず鼻を塞ぎそうになった。なんだ、何が起きている!? まるで足が鉛になったようだったけど、すぐに力を振り絞って下へと降り始めた。
「何か……僕たちが中にいる間に、何かが起きたんだ……」
「わかんない……でも、下で何か起きているのは間違いないみたいだ。レイジ、起きている間に何か異変は起きなかった?」
「いや……何もなかったと思う。一体何が……」
階段を下りていくと、段々と異臭が強くなってきた。匂いになれたはずの僕でさえ、吐きそうになった。ここまで来るともう間違いない。下で殺人が起こったのだ。それも大規模な奴。でも、具体的には何が? 何が起きているんだ?
四階に降り立つと、そこには変わり果てた姿の廊下があった。一面血だらけで、そこかしこに死体が浮いている。その中に僕の知人の死体は無かったが、かわりにペストマスクを被った死体がいくつか見受けられた。ペストマスクなんて、ここら辺じゃ殆ど使われていない。というか、使う必要が無い。リュミエールでペストなんて、流行ったことが無いのだ。第一、ペストが一日でこんなにも人を殺すなんてありえない。じゃあ考えられるのは……
ペストマスクを被った人たちが、天界の太陽を襲った……?
僕はとにかく廊下を駆け抜けた。生き物の姿は何処にもなかった。多分これは、敵軍襲来だ。それも、とびきり強い輩の。最上位のレイジと、上位の僕ができるだけ早く参戦すべきだ。手遅れじゃないと良いのだけど。
「ねえカルマ……」
焦り始めた僕に、レイジが声をかけた。不安そうな声だった。
「何?」
「ペストマスクを被っているのは、某国の兵士だと思う」
僕は驚いたが、意外とすぐに納得した。そういえば、某国の人たちはペストマスクを着用していたんだっけ。自分の冷静さが、恐ろしかった。足を止めることはしなかった。今の僕を動かしているのは、使命感だ。上位としてのプレッシャーが、僕を突き動かしている。僕自身の意思でどうにかなるものではなかった。
「なんだって……? つまりこれは……」
『某国襲来……』
僕とレイジの声がシンクロした。
やがて僕は床の血が少なくなっているところを見つけた。その代わりに、大量の炭が落ちている。炎使いがここで戦っていたという事なのだろうか。僕は屈みこみ、そこを観察してみた。炭が落ちている以外、特異な点はない。
「……あ、これ……」
屈みこんでから数秒、レイジが何かを見つけて僕に差し出してきた。それは、何かの欠片のように思えた。炭を纏っているのでとても汚く見える。炭を払ってみると、茶色の本体が確認できた。欠片というよりこれは、種だろう。
「……カルマ、これはアスペンの持ち物の一つだと思う……アスペンっていう植物の種だよ」
それを眺めていたレイジが、声を上げた。アスペン……あの人がここにいたのか?
「じゃぁ、アスペンさん本人は何処にいるんだろう。ここにいないって事はもしかしたら……」
多分、下に向かったという事だろうか。ここら辺に炭が沢山落ちているのは、彼が花火で戦っていたせいだろう。よく耳を澄ませると、下の方で叫び声が上がっているのを確認できた。「うぉぉぉ!」と言っているように聞こえる。それが悲鳴なのか咆哮なのか、今の僕には判断しかねた。
「早く下に向かおう。ボロネアやアスペンが待ってる筈だ。でも本当に某国が襲ってきたなら、彼らでさえ危うい」
「そ……そうだね」
僕は種をポケットにしまうと、立ち上がった。階段目指して走り出す。頭に過るのは嫌な想像ばかりだった。某国とは前に一度、関わったことがある。あの時見た奇怪な光景は、今でも脳裏に焼き付いている。あんな輩が相手なのだとしたら、かなり危ないだろう。上の階に仲間の死体は無かったけど、だからと言って安心はできない。
階段を一段降りるたび、僕の背中に悪寒が走った。
「……わ、笑えないのね! 全く、あなた本当に……」
「黙ろうか」
三階に降り立つと、何やら話し声のようなものが聞こえてきた。左右を見渡してみる。すると遠くに、人影のようなものが二つ確認できた。何やら戦っているらしい。片方はペストマスクをつけているようで、もう片方は……
「あれはリョウだと思うな」
「レイジはそう思うんだ? にしてはちょっと変だけど……」
いずれにしろ、関係なかった。今の僕がすべきことは援護だけ。状況が上手く呑み込めていないけれど、良くない状況なのは僕でも分かるんだ。
「……リョウ! 大丈夫?」
「ああ?」
彼はこっちに振り向き、にっこりと笑った。遠目じゃ自信無かったけど、やっぱりリョウだった。
「手伝うよ!」
僕はペストマスクの人に向けて斬りかかった。ペストマスクの彼女は少し身長が低くて、やりにくかった。それに手裏剣を沢山投げる攻撃もしてくる。僕は出来る限り刀で無効化しながら戦った。
「カルマ、邪魔だ! 一人で十分だから、とっとと下に行ってくれ!」
しかしリョウは、迷惑そうに顔をしかめた。イライラしているように見える。それに態度もどこかよそよそしかった。が、あまり気にならなかった。
「なんでさ! 僕も戦えるよ!」
「私……いや僕だって!」
「だから、十分だって!」
リョウは彼らしくもなく、僕たちの事を睨んだ。殺意にも似た強い視線に僕の背筋が凍る。
……なんだ、これは。リョウの目は常闇よりも黒い黒で、見ていると心を見透かされるようだった。彼はすっと移動して手裏剣を躱し(僕の目には見えないほどのスピードだった)、すかさずペストマスクに反撃した。
「え……っ?」
その速度の素早さといったらない。例えるなら獲物を狩る虎……いや、戦場を駆け抜ける一本の矢だ。一切の躊躇もなく風を斬り裂いている。今回は僕が話しかけた所為で首を斬り損ねたが、次は確実に命中させるだろう。
「……チッ」
彼は面倒くさそうに舌打ちをした。僕は確信した。間違いない、この人はリョウじゃない。リョウとは似て非なる何かだ。性質がまるで相対している。
「カルマ、やっぱ邪魔だ。早く下に行ってくれ!」
「……君、誰? 僕の知ってるリョウじゃない」
僕がそういうと、彼は白々しくしらばっくれた。
「ああ? リョウに決まってる」
わざとらしく口笛まで吹くという、筋金入りの大根芝居だった。
「いや、絶対に違……」
「まぁいいや、違うって事にしてもらって」
彼の動きが速いのと同様、彼は嘘を認めるのも早かった。嘘が下手な点で言えば、リョウ本人とも似ているかもしれない。
「でも、敵とは思わないでくれよ? リョウとは一方的だけど、面識があるんだ。味方だよ」
まぁ、某国兵士と戦ってるんだから味方なのだろうけど。僕は素直にその言葉を受け取り、戦ってくれることについて礼を述べた。
「へへへ。やっぱりカルマは正直だ……っと、こんな話してる暇はねぇ。とっとと下に降りて行ってくれ。繰り返すが、お前ら邪魔だ」
彼の傲岸不遜な態度に嫌気がさしたのか、レイジが苦言を呈した。
「……ところで、貴方はそんなに強いの? 僕が見る限りだと、そこまでじゃないように見えるけど……」
「おっとぉ、人を見かけで判断しちゃいけないよ? あの某国兵士の攻撃が来ないのは、絶えず防いでやってるお陰なんだから」
彼はさらっととんでもない事を言い、は「ハハ」と笑った。その発言の真偽のほどはよくわからなかった。手が全く動いていないようなので、多分冗談なのだと思うけれど。でも事実、某国兵士はこちらに近づけていなかった。
「ここで上から輩が来ないか、見張ってるから。安心して下に行ってくれ」
「……ありがとう」
僕は微笑み、そそくさとその場を後にした。そしてその背中に彼が優しく言葉を投げかけた。
「早く行った方がいい。だって……」
そこから先の言葉は、僕が階段に差し掛かったせいで聞き取れなかった。