リュミエール編 第三十一話 悪魔
≪リョウ視点≫
「なんだろうね、突然呼び出しなんて」
「これまでこんな事、一度もなかったしな」
あれから随分と時間が過ぎ、ただいま一月一日。雪が積もって随分と涼しくなった頃、俺とカルマは五階に呼び出されていた。
「そういえばリョウ、昨日夜通し起きてた?」
「いや、寝てた」
ラメラの家にいたころは「あけおめ」ってやってたけど、流石に昨日はやらなかった。理由は単純明快、ギルドの朝が早いからである。逆に起きてる奴なんているわけが無い。
「僕も寝てたなぁ。やっぱり夜は寝ないと、体がもたないよね」
『僕は起きてたよ!』
———が眠そうにしているのを、俺は一度も見たこと(聞いた事、の方が正しいか)が無い。いつでもどこでも眠れるようなもんだし、眠気が出る方がおかしいだろう。
「『夜通し起きている』など……不快、極まりないです」
と、そこにグレイが割り込んだ。音もなく部屋から出てくる。自室から出てきたという事は、寝起きだろうか。にしてはピシッとした姿勢で、眠気を感じさせなかった。
「グレイさん! 今日、僕たち五階に呼ばれたんですけど、何の要件かわかりますか?」
彼を確認するが早いか、カルマが尋ねた。俺達の事をここに呼んだのは最上位クラスではなくて上位クラスの先輩なのだが、最上位ならそれ位の事把握しているだろう。
「私でなくボロネアに訊いてください」
しかし、グレイはなんの要件か把握していないようだった。クラスが上だからと言って全てを把握している訳じゃないのだろう。俺も下位クラスの事を把握していないし、当然っちゃ当然か。
「分かりました」
俺達はお礼をすると、階段を下りていくグレイを見送った。ボロネアに訊けばいいと分かったからと言って、睡眠を邪魔してまで聞く必要はない。俺達はいつもより三十分ほど早く起きているから、皆はまだ寝ている時間だ。
「ハァーッハァ☆ おはようリョウ君、カルマ君!」
俺達が黙してボロネアを待っているところに、今度は髪に植物の葉を付けたアスペンが出てきた。やはりあんな部屋に住んでいると、どうしても葉が落ちてきてしまうらしい。
「おはようございます」
「ハァーッハァ☆ こんなところで何をしているんだい? 要件なら何でも聞くY☆O」
アスペンは気前よくこちらに近づいてきた。ついさっきグレイに訊いて大体の事は分かったけど、念のため彼にも訊いてみる。
「なんか、先輩からここに来いって言われたんですよ……何の要件か、分かりますか?」
グレイとは違って、彼はある程度の事を把握しているようだった。
「あー、もしかしたら給料日って事かも☆ 君達、確か夏ごろに入っただろう? うちのギルドは半年に一度給料が出るから、君達は冬、つまり今日が給料日って訳さァーッハァ☆」
まだ皆が寝ているにも関わらず、彼の声は大きかった。
「僕の主な仕事は『訓練の監督』『訓練の相手』『実働部隊のリーダー』『一部の食事の提供』だから、僕は給料をわたせない。給料はボロネアの担当だよ」
「なるほど……」
俺は頷き棚が聞いた。そういえばグレイも「ボロネアに訊け」って言ってたな。グレイは俺達が何を目的としているのか分かってたのか。
「ボロネアさんの部屋に入っても良いんですかー?」
と、俺ではなくカルマが質問をした。アスペンもそうだが、彼も彼で声が大きい。注意したところでもう遅いだろう。丁度近くにいるボロネアとか、絶対に起きてる。
「いいヨ。彼は殆ど睡眠をとらないから、いつでも大丈夫なはずサ!」
そういうと彼は、下へ降りて行った。手を大きく振ってそれを見送る。彼はとうとう最後まで髪に付いた葉を取らなかった。
「……どうする? もう行ってみるか?」
アスペンが去った直後、ボロネアの部屋に接近しながら訊いてみた。接近している時点で何をするか決まっているようなものなのだが、まぁ一応。
「このまま待ってても意味がない気がするもん、行ってみよう」
「そうだな」
『念の為武装して……』
(いかねえからな)
ボロネア相手だし、抜刀しておくのが正解かもしれないけれども。
「コンコン」
カルマがボロネアの部屋をノックした。俺はアスペンの、カルマはグレイの部屋に入ったことがあるのだが、ボロネアの部屋に入るのは双方共に初めてだった。
一秒、二秒、三秒……返事が返ってくるのをじっと待つ。三十秒ほど待っても声が聞こえなかったので、俺はもう一度ノックした。と、今度は一秒もしないうちに返事が来た。
「うるせぇ! 何回も扉叩くなガキ!」
第一声がこれだよ。アスペンもそうだけど、ボロネアの声の大きさは異常だった。鼓膜が破れるんじゃないかと思う程の大音量が、扉の向こうから聞こえる。この感じだと、施設にいる人全員が飛び起きただろうな。
「なら返事してください!」
それに対抗するようにして、カルマが彼らしからぬ大声を出した。すぐ隣で声を出されたので、鼓膜にダイレクトなダメージが入る。ボロネアに比べたらかわいいものだが、それは彼が異常なだけ。十分鼓膜を破れるだろう。
「入れッ!」
俺は勢いよく扉を開けた。扉の向こうにはごくごく一般的なオフィスが広がっており、その中心にある椅子にボロネアが座っていた。机に向かって鉛筆を持ち、何かを書いている。
何で彼に限って部屋がまともなの?
「上位クラスの先輩から、ここに来るように言われたんですけど!」
カルマが告げると、ボロネアは目にもとまらぬスピードでこちらに接近、乱暴に封筒を渡した。
「そりゃ給料日だからな、当然だろーがっ! オラ、コレ給料だ。少ねぇとか言わせねえから」
俺達がしっかりと受け取ったのを確認すると、彼は椅子に戻った。また鉛筆を持って何やら書き綴っている。普段の悪口雑言が嘘のように静かで、とても集中しているようだった。これが彼の『仕事』だろうか。給料の計算やらを夜通しで行ってたのか? 意外と彼は賢いのかもしれない。
「失礼しました!」
これ以上邪魔したら悪い気がしたので、とっとと部屋から消え失せた。
「……なんか、思ったよりまともな人だったね」
彼は部屋から離れたところでそっと耳元に囁いた。ボロネアに聞こえないよう、蟻のような声で。
「だな……。なんか、頭脳派感が凄かった。なんかの計算をしてるみたいだったし」
俺は自分で言いながら頷いた。グレイとかより頭良さそうに見える。
「それより中位クラスの給料っていくらなんだろうな」
が、今は給料だ。衣食住はギルドが揃えてくれるので、正直言って要らない気もする。が、報酬あっての仕事だ。貰えるものは貰っておこう。
「開けてみれば分かるでしょ」
彼は抜刀して封筒の上の方を切った。手で開けたほうが良いと思ったが、開けられたならオーケーだろう。かくいう俺も能力で鋏を生成し、それで切って開けた。
封筒の中には、この世界の金である銀貨と銅貨が数枚入っていた。
「うーん、銅貨五枚に銀貨一枚かぁ……衣食住を匿ってもらってるって考えると、これ位が相場かな」
前にも少し触れているが、銅貨一枚でカレー二人分が買えて、銀貨一枚でカレー二十人分が買える。つまり銀貨は銅貨の十倍価値があるという訳だ。ちなみに鉄の刀は安いもので銀貨二・三枚、服はだいたい銅貨三枚で買える。
「まぁ、悪くねえな……ってあれ、俺の方には銀貨二枚しか入ってねぇや」
あ、でも銅貨五枚より銀貨一枚の方が価値は高いか……
と付け足す。『しか』という表現は間違いだった。
「本当に!? 良かったね。給料は何が基準で決まるのかな……」
でもやっぱり彼は、嫉妬する様子など微塵も見せず、ただ笑って疑問を口にした。器の広い奴だ……
「ランクと功績だった気がする。『功績』っていうのは「どれだけ任務に貢献したか」「どれだけ上手く下位クラスに教えられたか」の二つの観点からみられるらしいな」
うろ覚えの話だから、信憑性に欠けるがな。
と、語尾につけ足しておいた。俺がうろ覚えの話をするとき、大体五十パーセントの確率で情報が間違っている。
「なるほどー」
そういうと彼は、下の階に降りて行った。給料日だからと言って訓練が免除されるわけがない。あのきっつい素振りは、今日も健在だ。
「なぁ、この金何に使うよ」
階段を下りながら俺は言った。衣食住を気にしなくていいので、この金は完全に自由に使える。それこそカレー粉を大量に買うことも出来る。
いくら俺でも、流石にそんなことしないけどな。
「うーん、服でも買おうかな。レイジさんみたいな、動きやすい服装を買いたい」
俺は自分の服を引っ張った。俺は服を数着しか持っていない。ここらで補充しておくのも大切だろう。それにこの服はラメラの手編みなので、いつ破けてもおかしくないのだ。
「服か……この服も小さくなってきたし、それが良いかもしれない」
『ラメラがわざわざ作ってくれた服なんだから、ケチつけないであげて~』
「ところで、レイジさんみたいなって具体的にはどんな服装なんだ?」
服装を口で説明するのがかなり難しい事であると知っていながら、あえて俺は尋ねた。話で聞いたことはるけど、俺はレイジの見た目を知らないのだ。
「うーん、どう説明したらいいんだろう……」
カルマは困った様に顎に手をあて、考え始めた。
「任命」
知らない女の人の声がして、俺の笑みが凍り付いた。え、誰の声? 聞いたことのない声だったが、誰の声なのかはすぐに想像がついた。女の声ってだけでだいぶ限定される。
「あれ、レイジさん? どこに……って、僕の影にいる!」
カルマが自分の影を確認すると、そこから見慣れぬ女性の上半身が出てきた。下半分はまだ影に浸かっているようで、ここからは見えなくなっている。目には生気が、口元には笑みが宿っていなかった。『これは死体です』って言われたらすんなり信じてしまいそうなくらい。
なるほど、この人がレイジか。んで服装は身にピシッとくっついたバトルスーツで、露出少なめ。防御力は低そうだったが、機動性はバッチリに見えた。
「……い、いつから僕の影にいたんですか?」
カルマが「やばくない?」とでも言いたげな調子で尋ねる。
「約半年前」
約半年ってかなり長くね? んでカルマはその間、彼女の存在に気づいていなかったと。なるほど、それはやべぇ。
「半年って……俺らがギルド来た時じゃねぇか。それからずっとって……」
「その間、一時も離れずに付いて来てたんですか」
「肯定」
無表情で肯定しちゃったよ。ずっとって事はつまり、風呂に入っている時やトイレに行っている時も全部見られていたという事なのであろう。生前の世界でやったら立派な「プライバシー損害」である。
「え……?」
カルマは呆然としてレイジを見つめた。信じられないとでもいうような、暗いまなざし。怒ってるのか、それとも絶望しているのかは読み取れなかった。グレイにも勝る無表情。
『ここは中位・最上位の立場とか無視して、がっつり言っておくべきだと思うけど……』
(俺もそう思う、ってかなんでずっとカルマに付きまとってるんだ?)
やがて彼は、口を開いてこう言った。
「ありがとうっ!」
元気一杯の、明るい口調だった。曇りのない眼がレイジの事を見つめている。え、なんでお礼言ったの? ストーカーだよ? 被害届出せる奴だよ?
「今日までずっと、僕の事を見守っていてくれたんですね! 怪我をしないようにって……」
俺は彼を呆然と見つめた。それから数秒後、やっと事態を掌握する。
……ああ、そういえばコイツはとてもポジティブだった。コトの張本人であるレイジは瞳孔を開いてカルマを見つめていた。が、やがて彼が本気であることを悟ると一言「……嬉しいよ」と呟き、影に戻った。
「何だったんだ、今の人は」
「ん? 最上位のレイジさんだよ。首を落とされそうになった僕を守ってくれたんだ」
「それは聞いてるけどさ、でもここまで来たらストーカーの域だろ。アスペンさんにでも相談したらいいんじゃねえか」
俺は本気で心配して提案した。相談相手がアスペンなのは、他に適任が見当たらないからだ。いや、彼自身も適任かどうか怪しいが。
しかし、彼は何でもないといった様子で告げた。
「大丈夫だよ。レイジさんは良い人だから」
良い人、ねぇ。恐らくコイツの基準だと、人間全員が「良い人」に分類されるんだろうな、と思った。
『僕は彼女が人じゃなくて悪魔に見えたけれど』
(俺は人でも悪魔でも無くストーカーに見えた)
余談・最上メンバーの寝場所について
グレイ……自室。布団無しで床に直で寝ている。
アスペン……自室。植物で作ったベッドで寝ている。寝ている間に葉が落ちたり、蜂が差したりするので居心地は最悪。
ボロネア……自室。ベッドで寝ている。何年もずっと同じ物を使い続けている。
レイジ……寝ない。