某国編 第二十二話 ———
《リョウ視点》
一階へと続く階段は、戦闘が行われていないせいかあまり汚れていなかった。
汚れと言えば、靴の赤い跡程度で、臭いは感じなかった。吐きそうにもならない。部屋の角に蜘蛛の巣が見えた。でも、蜘蛛もからめとられた獲物もいなかった。
「こんにちは、『ユイ』さん」
一階には、死体の山の傍に二人の兵士が立っていた。
2mはありそうな巨大かつ全身がメチャクチャに荒れている兵士と、俺のよく知る小柄な兵士。手に持っている武器は、黒色の錆びた円月輪だ。
「ボア……」
冷たい空気を吸い込んだ。
奴の眼は俺を見ている。もう一人の兵士は、虚ろに白く濁った眼を死体の山に向けて何か呟いていた。
「……いや、【NO.12】」
「名前で呼ばれて、光栄です」
彼はペストマスクの鼻のあたりまで脱ぎ、俺に笑みを見せた。そののちですぐにマスクを被った。
マスクを被ったあとだと、まるで誰だかわからなかった。
「僕はね、知りたかったんですよ、ユイさん」
「……」
俺はユイじゃない、とは言わなかった。
「アナタがなぜ、某国から一人だけ脱出したのか……あの地獄のような空間から、のうのうと逃げおおせた理由が知りたかったんです。どんな強さをもってすれば、アナタみたいになれるんですか?」
俺は黙って首を振った。
彼の語気が荒くなった。
「僕には逃げられないって言うんですね……。アナタの脱走ののち、某国の脱走対策は厳しくなったと聞いています。アナタが逃げたせいで!」
———のため息が聞こえた。
ボアの声のトーンが少し下がった。
「怒り狂う僕に、某国から任務が言い渡されました。『外へ行き、ユイの生存確認をしろ』」
あはははははっ、笑い声。
「僕は飛びつきました。たとえ一時の自由であったとしても、僕はアナタに会い、真実を知れるならそれでよかったんです! ねぇ、ユイさん……」
俺は黒色の武器を左手に、いつもの武器を右手に構えた。まるで昔からそうあるべきだったかのように、手に馴染んだ。
「……教えてくださいよ!」
奴が、チャクラムを俺に投げた。
俺がそれを弾き飛ばすと背後には【NO.1】の荒い息がある。
「コイツ、速……ッ!」
俺が黒い刀を振るより先に俺は壁に叩きつけられていた。視界の隅に迫りくる【NO.1】の姿が映り鉄の盾を作るがそれにも間に合わず、俺は奴の打撃をモロに食らった。
ようやく完成したその場しのぎの盾の裏で、俺は血を吐いた。喉にイガイガした違和感が残った。
「ユイさん。一体何を犠牲にすれば、僕は自由になれるんですか?」
盾への追撃は来ない。
不思議に思っていると、「すいません、少し非礼でしたね」。
「……ユイさんの他にも、某国を裏切ろうとした人はいたんです。【NO.2】、【NO.7】」
それは、俺が全く注意を払っていない、欠員たちの番号だった。
「特に【NO.7】マウさんは、強力無比な移動の能力を活かして遠くへ逃げようとしましたが、結局、あの日、大切なモノを人質にとらえて死んじゃったんです」
俺は頭の隅に、何か引っかかるのを感じた。
「お前、それって……」
「彼とアナタの何が違うのか、教えて欲しいんですよ!」
俺が口に出しかけた質問には答えず、奴が『何か』をした。
直後、世界がおかしくなった。
一気に目の前が真っ赤に染まり、体中から汗が噴き出た。
『しまった、【NO.12】の能力──!』
突き抜けるような『おかしさ』はほんの一瞬で、俺は気が付くと暗い場所にいた。
目の前に一つのスクリーンがあり、そこにはさっきまでの俺の視界が映し出されている。そこに映る世界は紅くなかった。ただ、自分の生成した粗末な盾が見えるだけである。
それを見てようやく、さっきの感覚が『痛み』であると知った。
【NO.12】の能力は、五感操作だ。
その能力の異常さを、俺は身をもって体感し、痛いほどに思い出した。
「さぁな、でも実際、その『ユイ』って奴は何かしらの代償を払ったんだろう」
俺の声が勝手にしゃべった。
すると、奴が返した。
「……それが何なのか、知りたいんですよ!」
何を思ったのか、———が鉄の盾を解除した。
【NO.1】の鉄拳とチャクラムが同時に飛んでくる。と思った瞬間には、視界はボアのすぐ後ろにまで移動していた。彼の首元に黒い刀が当てられた。
「馬鹿な……。痛みに耐えながら、一体どこにそんな力が」
「……もう少し、頑張ってくれよ」
失望の籠った言葉だった。
【NO.12】はチャクラムを手に持ち———を斬り付けたが、そのころにはもう奴の背後に回っていた。
俺は戦慄した。
—--は少なくとも、俺が見てきた誰よりも痛みに耐性があり、なおかつ非常に強かった。
『リョウ、代わるね』
(……ああ)
俺が俺の視点に戻った。
俺には、これまで———に対してずっと抱いてきた疑問があった。
俺が転生した直後。
なぜ彼は、俺の能力を俺に教えられたのだろうか。
それに、モルブスに行った時も。
あいつは、俺の能力でさらに強い鉄を生成できることを知っていた。
今思えば、妙な話だ。
そしてその『妙』と彼自身の強さが重なり合い、今、一つの事実を導き出した。
俺はいつもの刀を、強く握った。
刀が段々と黒く変色し、刀身に何かの模様が現れた。牛だろう。錆のついたユイの刀とは違い、一目で分かる綺麗な黒色だった。
……やっぱり。
「なんですか、それ……」
「あいつの刀だ」
———の嘆息が聞こえた。
『君ってば、ホント……』
(俺のセリフだよ)
俺は【NO.12】に武器を振るった。
当然———のようにはいかず、簡単に避けられてしまう。引き下がらずしつこく追従した。彼は俺のことを警戒している様子で、防戦一方だった。
でも、単に———を警戒しているだけではない。俺は自分の戦闘力が飛躍的に上がっているのを実感していた。
「……あなたはまた、僕を置いて行くんですか……!」
彼はチャクラムを投げてきた。
俺は弾き飛ばそうと武器を構えるが、手ごたえがなかった。
違和感を覚えた瞬間には既に、目の前にチャクラムを構えたボアの姿が。
チャクラムが俺にぶつかる寸前に納刀して、襲って来やがったのか。
俺は迷わず刀を構え、奴に突っ込んだ。ユイの刀の先端が奴の体に当たるのと、俺の心臓をチャクラムが一刀両断するのは、同時だった。
「う……っ」
漏れた声がどちらのものかはわからない。首元の下15cmが温かく、それ以外の感覚はない。チャクラムが砂になって消えるのが見えた。納刀とは全く違う独特の消滅である。
ユイの力だ。
【NO,12】が手を開閉して笑った。
「……ふふ……」
「なにがおかしい?」
自分で出した声は自分で思ったよりもはっきりしていた。
「『刺した相手の武器を奪う能力』……。身をもって感じる日が来るとは、思いませんでしたね……」
「……? どういうことだ?」
「ユイの能力は刺した相手をロストにする能力じゃないのか」と尋ねようとしたとき、俺は崩れ落ちた。膝が地面についたが、痛みはなかった。
【NO.12】がおかしく笑った。
「ほら……僕はやっぱり、ユイさんより優れていました。なのに、僕は某国から逃げられなかった……」
俺は唇を舐めて顔を上げ、「ユイって奴が、どんな野郎かは知らないが」。
「少なくとも、ユイはよくやった。彼の意思が連鎖したから俺達がいて、お前達を撲滅するんだ」
「……未遂ですけどね。ロストを唯一始末できるあなたが死ねば、ロストになった僕を止められる人はもういない……」
奴が俺を指差し、叫んだ。
奴はその指先から、紫色のヘドロへと変貌しつつあった。
「ユイさん! あなたのやったことは、結局、全部無駄だったんですよ! 僕を散々苦しめて……!」
「何が無駄だって?」
俺は立ち上がった。痛みは消えていた。
【NO.12】の、震える吐息が漏れた。
「嘘だ……心臓を貫いたはずなのに」
「……ああ、確かに危なかった。一秒でも遅れてたら、死んでたな」
俺は上を見た。黒ばんだ天井があるだけである。
【NO.12】は何かに気付いたようだった。
「『憧れは能力に影響する』……『リュミエールの回復兵』……まさか……」
瞳孔が開いた。
奴はペストマスクを脱ぎ捨て、何の隔たりもなく直接俺の目を見た。
「……僕は認めません! こんな、こんな……!」
顔面蒼白だったのが、段々とヘドロに浸食されて消えつつあった。
「こんな……何だ?」
「こんな……」
俺が冷静に問いただすと、奴は口ごもった。
そして完全に浸食される間際、口だけが残った時、それが動いた。
「……こんな大切なことを、忘れてしまっていたなんて……」
その言葉を最後に、彼の口は消えた。
俺は完全にロストと化した彼に近づき、優しく刀を刺した。
ロストは砂になって消えた。
振り返る。
「……さて、あとはお前だけだ、【NO.1】ネズ」