某国編 第十九話 神父
《ベノム視点》
「クッソ、あーあいつら、なんで俺を一人にするかねェ……! よっぽどハッピィな脳味噌してる……」
「あー、お前、また捨てられたの?」
俺と彼は睨み合った。
ペストマスクをしておらず、顔に【NO.6】の文字も彫られていない。代わりに深い隈が見えていて、まるで俺の鏡みたいだった。
その上性格も似ているのだから、腹立たしい。
「だから無理すんなって言ったのに。最悪だ」
「随分とご立派な長広舌じゃねぇか、褒めてやるよ」
俺は彼に斬りかかった。
彼は戦鎚で防いだ。
火花は散った。
「褒めてもらえてうれしいですねー……でも、毒使いは一人で十分じゃねぇか。めんどうくせぇ」
「より有能な方が生き残るってだけだろ?」
火花の向こうで彼は笑った。
「俺の方が有能だよ、間違いなく。それはとっくの昔に証明されてるだろ?」
「……さて、どうだか。現に、俺はまだ生きてるしな」
俺の顔からは笑みの欠片も漏れなかった。
痺れてきた手を引っ込め、ナイフについた毒液を舐めとり、首を鳴らす。
首に巻き付けた蛇が低く威嚇した。
「ともかく、お前のせいで俺がアンハッピィな目に遭ったってのは、間違いなく言えることだ」
「それは、俺もそうだな」
俺が彼に向けて突進すると、今度の彼は容赦なく俺を吹き飛ばした。
頭が痛んだかと思えば視界が揺れ、その感覚は転んだ時の様だった。気が付くと、俺は彼から100m離れた廊下の隅まで吹き飛ばされていた。
すぐに100mとわかったのは、野生の勘とでもいうべきか。
遠くで、猫背な彼のシルエットが見えた。ネクが、呟いた。
「お前はあのリョウってガキと、テーヤって男が大切らしいな」
「……」
沈黙は暗黙の了承とみなすのか、彼は言った。
俺と彼の距離、およそ90m。
「……きっと、そいつらにそこまでの価値はない。お前はそいつらを買いかぶっている。どれだけ勇敢なふりをしても、奴らはきっと、死を前にむせび泣くだろう。その様を見てお前は、ただ絶望するだけだ」
「どうだろうな?」
俺が答えを濁すと、彼は「はー、なんでこんなこと言ってんだ、俺」と呟いた。
「……めんどうくせぇけど、思い出さずにはいられねぇな。なぁ、ベノム?」
「そうだな、【NO.6】」
彼は動けない俺に歩み寄りながら、話し続けた。
奴までの距離、およそ50m。
「【NO.6】には、毒使いが選ばれる。その毒使いを選定するため、俺の国──生みの親は、いっろんな実験を行った。知ってるよな?」
「……はー、随分自慢げに話すじゃねぇか」
俺は「続けろよ」と血を吐く。
「俺達の国は実験の果てに生まれた二つの命、『毒と薬を生成する能力者』と『薬のない毒を生成する能力者』のどちらを【NO.6】にしようか悩んでた」
「命つったって、某国兵士に恩情溢れる人間の血は流れてねぇだろ」
彼は唾を吐き、「ハッ、面白い冗談だな」。
「俺……薬のない毒を生成する能力者が【NO.6】になり、もう一人の能力者は無様に夜逃げした」
奴と俺の距離、30m。
俺は何も言わない。
「今じゃ、なんのアテもなく虚しく彷徨ってるらしいな」
「中々皮肉が上手じゃねぇか。もうハッキリ言えよ」
彼は面倒くさそうに目を細め、息を吸った。
「お前のことだよ、ベノム」
首の蛇が一層鋭く呼吸をしたかと思えば、意識が遠のいた。
ズレたフォントが直るように、再び俺の視界が明瞭になったとき、俺は頭に強い痛みがあった。触ると、真っ赤な血が流れている。
「お前も、お前のブラックジョークも中々面白いな。でも、一つ間違えてるぞ」
もう、立ち上がる程の体力を持ち合わせていない俺は、惨めに座ったまま言った。
「『なんのアテもない』のは、お前の方だ、ネク」
「めんどくせぇ遺言だな……。じゃ、とっとと死ねよ」
俺の脳裏に、走馬灯のようなものが宿った。
あのクソカルト神父が、俺に向かって何かを言っている。声は聞こえないが、何と言っているのかはわかる。俺が某国から逃れ、行き場もなく砂漠を彷徨い、自分の毒をコーヒーに入れて飲もうとしたとき。
奴はそのコーヒーカップを叩き割った。
……あー、そういや、まだ今日はコーヒーを飲んでいなかったっけ。
【NO.6】が戦鎚を持ち上げた瞬間、俺は体の異変を察知して笑った。
「やっとかよ、『切り札』……!」
俺は立ち上がり、ガラ空きの彼の胴体にナイフを突き立てた。
猫背の男は目を見開いた。
神は自殺をお許しにならない、だっけか。
でも、これは自殺じゃねぇからセーフだよな。
「とった」
***
《テーヤ視点》
私は胸騒ぎがしていた。
突然、リョウが膝から崩れ落ち、気を失ったことについでだけではない。
なんだか、もっと大きなものに対して胸騒ぎを覚えているようだった。
眩暈がするほど真っ白いペストマスクは、木刀を杖代わりに使い片膝をついた私を見下ろしている。
「神よ……」
「……神様、ああ、神様! 今、あなたのもとに善良なる使徒が一人赴きます!」
【NO.10】の声は底抜けに明るかった。彼女がナイフを投げようと振りかぶったその時、私は彼女の向こうに『彼』を見た。
それは、はるか110m先で座り込んでいるベノムの姿だった。
彼はもうじき死ぬだろう、予感がしていた。
私が勝手にこの【NO.10】に戦いを挑まなければ、彼は生き永らえたかもしれない。
かくいう私の脳内にも、走馬灯が走るようだった。
某国から逃げ出してきて、行くアテがないと泣く彼は自殺を望んでいた。それに対し「神は自殺をお許しにならない」と、なんの根拠もなく言ったのはいつだったか。
……もとより、私は神など信じていない。
しかし、アーメン、神よ。
私は貴方の力を借りて、一人の友を救うことができた。
今、貴方の元に二人の善良なる使徒と、二人の悲しき被害者が訪れることになるであろう。
私は抜刀した。
手に握られていたのは、木刀でなく金色のダガーだった。短剣符のような、あるいはロザリオのような大きさのダガーだ。
私は【NO.10】へと最後の特攻を仕掛けようとした。
そして、私は見た。
「……なんだ、お前は……?」
【NO.10】の白いペストマスクが、背後から黒色の刀で貫かれるのを。
奴の手からナイフが滑り落ち、「神様、ああ……」。
「……私は貴方の元に、行けるのでしょうか? これだけの業を背負ったまま、貴方の元へ……」
私は反射的に、十字を切った。
【NO.10】の白いペストマスクが紫色のヘドロに飲まれつつある中、刃こぼれの酷い黒刀が引き抜かれた。血が噴き出て、純白が赤く染まる。
私はそれを、呆然と見つめているしかなかった。