ローズ編 第三話 探索
≪カルマ視点≫
夜の街並みは、昼間の賑わいが信じられない程静かな空間になっていた。人っ子一人として通りにはおらず、まるで街そのものが寝静まってしまったかのようである。
この不穏とも言える独特な空気についてエルセアルに質問すると、彼は闇の中でも分かる程明白に、僕に笑いかけた。
「この町の住民は、みんな夜には活動したがらないんだ。夜、花弁を閉じる花のようにね」
彼に続いて、僕は歩いた。彼は歩きながら、小声で説明する。
「今から僕達は、例の家に潜入する。あくまで家主にはばれないように、そーっとね」
そう言って彼は膝を曲げたかと思うと、大きく跳躍して家の屋根へとやすやすと飛び移った。僕らもそれに追って大きく跳躍し、青レンガに飛び乗る。
我ながら、中々運動神経が良くなったものだなと思った。
「目標の家は向こうですね」
「うん、そうだよ」
彼はそう言って、屋根の上を走り出した。彼がとても速く走っているにも関わらず、走る音は一切聞こえなかった。
足音を『消す』走り方をしているのだろう。僕もそれに習って、できる限り音を消すように走った。
星が静かに、それでいてとても優しくこの町を照らしていた。雲隠れの三日月も、雲を突き抜けるほどの光を放っていた。
「……到着だ」
エルセアルはにこっと笑い、立ち止まった。自分の足元の赤いレンガを指差し、声は出さず口とジェスチャーで『入るよ』と示す。
僕は親指を立てた。
侵入の仕方は、至ってシンプルだった。
単刀直入に言えば、サンタクロースのように屋根から入っていくのである。壁を手で押さえながらゆっくりと、音を立てないように。
この辺はもう、最初のうちに話して決めておいたことだった。煙突から煙が出ているのを見ていないので、それが最も安全であると至ったのである。
最初に降下したのは、エルセアルだった。彼は笑みを刻んだまま煙突に足を踏み入れた。数秒もすればもう、エルセアルの姿は底の見えない煙突の中へと消える。
……そして数秒後、もう一度エルセアルが煙突から顔を出した。さっきとは違い、彼の顔には大量の炭が付いている。
「どうしたんですか?」
訝しんだ僕が尋ねると、彼は炭を拭いもさえず答えた。
「私の見た限りでは、中に誰もいないみたいだった。ただの家に見えるが、何か隠れているかもしれない。一緒に来てくれるかい?」
「了解しました」
今度は僕が先頭になって、煙突を降りて行った。煙突の中は思ったよりかは綺麗(とはいっても手、顔が炭塗れになるのは避けられなかったが)で、言うまでもなく狭かった。エルセアルのようにスイスイと降りれるほど、この煙突は楽ではない。
それでも、距離が短いのが一つの救いだった。ものの一メートル程度で僕達は、地面に足を付けた。
そこにあったのは、ごく普通の一般的な家庭の風景だった。木製の椅子と机に、いくつかのクローゼット。机に乗せられた紙や鉛筆など、数分前まで誰か住んでいたのではないかと錯覚を起こさせるような部屋だった。
しかし、だからといって紙に何も書かれているわけでもないし、コップに液体も入っていない。机の上にも埃がかぶっていて、前言と矛盾するが同時に誰か住んでいたとは思えないような部屋でもあった。
「ただの民家なんじゃないですか?」
僕は思わずエルセアルに言った。ここに某国関連の物があるとは、とても思えなかったのである。エルセアルは「うーん」と少し唸ってから答えた。
「でも、何かあるかもしれないなら慎重に探さないと」
「なるほど……」
「まぁ、やってることは不法侵入だからね。早く終わらせてしまおう。
彼はそこまで言うと、この部屋の端にある木製のドアに向かって歩き出した。どうやら、この部屋は僕達に任せるぞという事らしい。
彼がドアを開けると、ギィィときしむような音がした。
その姿を見送った後、レイジが出てきて言った。
「カルマ一人に任せるのはかわいそうだから、僕も手伝うよ」
「ありがとう」
彼女はもう一度影の中に溶け込み、部屋のどこかへと消えていった。
手分けして探そうという事だろう。僕としてこの申し出は、とても有難かった。
単純に考えて、効率が二倍になる。正直言ってこの不法侵入は、とっとと終わらせてしまいたかった。いくら某国のためとはいえ、少し罪悪感がある。
僕はさてやるかと、一番何か隠してありそうな戸棚に近づいた。
戸棚には、かつては部屋を彩っていたのであろう枯れた花や、簡易式の時計などが置いてあった。パッと見た限りでは、何も無いように思える。
しかし、ここで探索を辞めてはいけない。僕は花瓶に手を伸ばして掴み、重さを確かめた。
それは、特別重いという訳では無かった。この感じだと、中に何か隠すのは無いだろうと思って花瓶を棚に戻す。
こんな感じの作業が、一時間程度続いた。依然として成果は得られない。やればやるほど募っていくのは、『何もないんじゃないか』という不信感だけ。
妖し気な袋の中身は給料だったし、しわしわ布団の中には大量の黴たちしかいなかったし。
僕は思わず、ため息をついた。
「……これから、どうする?」
「うーん、どうするって言われても……正直言ってここ、なんだか……」
あらかた部屋の探索が終わった僕とレイジは合流して、そんな言葉を交わした。これからどうすべきか、簡単な話し合いが行われたが……
僕達が辿り着いた結論はいたってシンプル、『ここには何もない』だった。これ以上探しても、無意味である。
どうしたものかと一瞬迷ったそのタイミングで、ドアがギィィときしむ音が聞こえた。
「カルマ君、レイジ君、何か見つかったかい?」
誰がドアを開けたんだと僕達が訝しむ間もなく、強張った微笑みを浮かべたエルセアルの顔が覗いた。僕はふーっと息を吐き出し、彼に告げる。
「何もありませんよ、ここ」
「やっぱりこっちも同じ、か……」
彼は強い落胆の表情を作った。その表情から、彼の探索で何も見つけられなかったのは明白だった。
「どうやらここは、ハズレみたいですね……何か手がかりがればと思ったんですが……」
レイジはエルセアルに頭を下げ、申し訳なさそうに謝罪した。彼は手で掴んで彼女の顔を上げさせ、悲しい気持ちを感じさせない口調で励ます。
「こういうときもあるさ。二人とも、お疲れ様。帰ろうか」
しかしどうしても、声色には無念が滲んでいた。彼はトボトボと廃れた暖炉へと向かい、しゃがみ込む。
「帰るよ」
それだけ言い残して、彼は煙突を上り始めた。僕は彼が登り切るのを、下で待っている。諦めきれず、まだ僕はキョロキョロとあたりを見回していた。
そして、僕の注意が完全にあたりに向いた時である。
「カルマ君!」
とてつもない大声が、僕の耳に入ってきた。それは上──即ち、煙突の上からの大声だった。
それがエルセアルの声であったというのは、言うまでもないだろう。彼の声は少しばかり、かすれていた。
「なんですか?」
僕はエルセアルの口調から滲む緊張をひしひしと感じ、彼に負けず劣らずの大声で返答した。彼は1秒のタイムログもなく返事をする。
「急いで登ってきてくれ、話はあとだ!」
跳ねるようにして僕は、煙突を上り始めた。降りた時と同様ないしそれ以上に手には炭が付いたが、不思議と気にならなかった。
彼の緊張から、何か良くないことが起きたということは良く読み取れたからである。
僕が煙突を上り切ると、そこには緊張で目を見開いたエルセアルが立っていた。その視線の方向を僕は追って、絶句する。
彼の視線の先にあったのは、僕達が宿泊している施設だった。だが、様子がおかしい。
施設から、火が上がっていた。
火事だ、と僕は心の隅で思う。
不思議と、頭は冷水を被ったみたいに冷静だった。