ローズ編 第一話 花園
──この章の始まりは、モルブス編が始まった時刻まで遡る──
≪カルマ視点≫
「ふわぁー……」
僕はベッドの上で、うーっと伸びをした。チュンチュンと雀がさえずり、日光が優しく差しこんでいる。
裁ち切る鎖のリーダーが厳戒態勢を敷くと明言してから、実に二日。僕は今、アスペンさんの故郷である『ローズ』の宿に宿泊していた。
「あー、起きた起きた~。おはよーカルマ」
「おはよう」
つねに一緒にいる僕とレイジは軽く挨拶を交わし、ざっとあたりを見渡した。
この部屋にはスザンナとロザンナ、それからエルセアルがいる。今回ここにきているメンバーはこの僕の知人ら五人+六人で構成されていて、人見知り同士別の部屋にて宿泊をしていた。
「……僕達が一番早く起きちゃったみたいだ」
僕は正直びっくりしていた。あまり早起きの自信は無かったのである。
……いや、それも過去の話か。裁ち切る鎖の訓練の時ずっと早起きしてたから、それが染み付いちゃってるんだ。
「折角だし、素振りでもしといたら?」
「そうだね」
僕はそこからおよそ五分程度で着替え等を済ませ、「ちょっと素振りしてきます」という書置きを残して宿の外へと出て行った。
ローゼは『華』と『花』の国だ。人々は皆上品な体裁で、髪の毛の一本一本に至るまで丁寧に手入れされている。ここの町の特産品が『花』という事もあって、人とすれ違うたび甘い花の香りがした。簪の代わりにバラの花を使っている人を、僕は昨日から今日にかけて何度も見かけている。
現在時刻は午前五時で、人通りはかなり少なかった。僕は昨日の時点で目星を付けておいた当たり障りない広さの広場に移動した。
案の定広場は伽藍洞で、人っ子一人いなかった。僕は軽く頷き、静かに抜刀する。
「1、2、3、4……1、2、3、4……追加一セット……」
日課となっている素振りは、四回を五十セットが一つとしての目安だった。
某国を倒すには、血反吐吐くぐらいの訓練でも足りない。実際他のメンバーだって僕と同じくらい、もしくはそれ以上の重圧を自身に課しているのだ。素振り一億回でも足りないくらいである。
「……お、やっぱりここにいたのか」
僕が素振りを始めてから大体十分くらい経過したところで、僕の背中にポンと手が置かれた。振り返るとそこには全身赤の服装で統一された紳士、エルセアルが立っていた。
「朝から訓練とは、流石はシルラ君の息子だね」
彼はにっこりと微笑み、一輪の赤薔薇を差し出した。僕は棘に気を付けてそれを受けとり、胸ポケットにしまい込む。この人、昨日もおんなじ薔薇を差し出してた。
「……父の事を、知っているのですか?」
僕は『シルラ』と言う言葉に反応して尋ねた。
「そりゃ勿論。差別反対組織の頃から面識があるよ。今度機会があれば、本人にも聞いてみると良い」
「え……?」
そう言われて僕は、目を大きく見開いて絶句した。この人もしかして、知らないのだろうか。僕の父親はもう……
「エルセアルさん」
僕が言おうとしたのを遮ってレイジが影から現れ、冷徹な口調で言った。
「あんまりそのことについて、触れないで欲しいです。シルラさんは死にました」
彼女は表情一つ変えていなかった。それに対してエルセアルは、こっちまで伝わってくるほど真っ青になり、言葉を紡ぎだせぬまま口をパクパク開いた。
「……!? 嘘だろう!?」
その表情を見るに、知らなかったらしい。驚愕の表情と悲しみを見せた彼だったが、一瞬僕の顔を見ただけでスッと元の顔色に戻った。
「それは気の毒だったね」
僕の前だったから、僕以上に悲しむのは良くないと判断したのだろう。しかし……
……よく、そんな一瞬で顔色を変えられるなと思った。よく確認すれば、悲しみが滲み出ているのが良く分かってしまう。
「大丈夫ですよ。さ、それよりそろそろ戻りましょう。みんな、そろそろ起きてますよ」
「そうだね」
僕は抜刀した時と同様静かに納刀し、歩き出した。
レイジは即座に僕の影に戻って、僕と共に歩みを進める。
僕はこの国、ローズの空気をお腹いっぱいに吸い込んだ。
***
「兄ちゃん、みんないなくなってるよ……。早く起きて……」
「ふぇー、オレはまだ戦える……」
僕とエルセアルが部屋に戻ると、スザンナが起きて兄の体をゆすっていた。兄より妹の方がしっかりしているという事が、このワンシーンだけでうかがえる。
「おはよう、スザンナちゃん」
エルセアルは僕より早く動いて、スザンナの背中にトンと手を置いていた。
「あっ、エエエ、エルセアルさん! ごめんなさい、兄ちゃんがまだ寝てて……」
「大丈夫だよ」
彼は優しく微笑み、ゆっくりとその場から離れた。それからソッと僕に耳打ちする。
「……スザンナちゃんとロザンナ君は、今回連れてきたメンバーの中でも最強クラスの杖使いだ。魔法に関する訓練がしたいときは、彼らに相談すると良い。能力は魔法で補えるから」
「ありがとうございます」
彼の発言から察するに、能力無しの僕に対するアドバイスだったのだろう。確かに魔法なら、能力の分を十分に補える。
訓練の方法はイマイチ分からないが、やってみるのも手かもなと思った。
「兄ちゃん、起きて……!」
スザンナがどれだけロザンナの体をゆすろうとも、ロザンナが目を覚ますことは無かった。とうとう堪忍袋の緒が切れたスザンナは、右手を宙に翳した。
緑色の光が部屋を満たしたかと思うと、彼女の手には杖が握られていた。
「【マエストロオブエア】!」
スザンナが鋭い声で叫ぶと、ロザンナの金髪が触れてもいないのに動き出した。髪は大きくねじれ、ロザンナの頭皮を締め付ける。
……これが魔法。
「イデデ、痛い痛い! 起きる、起きるから!」
「本当に?」
スザンナが肩の力を抜くと、ロザンナの髪は元通りに戻った。寝ぼけ顔の彼は僕達の顔をしばし見つめ、それから「あっ」と呟く。
「もしかしてオレ、寝坊した?」
「うん、そうだね。ロザンナ君は寝坊したよ」
***
それから僕達は支度をして、宿を後にした。エルセアルに追従する形で、僕たちは歩く。
「これからどうするんですか? 某国の拠点がここにあるって、ボスは言ってましたけど……」
派遣された仲間の内一人が、そんな事を尋ねた。エルセアルは困ったような笑みを浮かべ、答える。
「それがね、『某国の拠点がある』って事は分かるんだけど、拠点の位置は分からないんだ」
「「「「えー!?」」」」
僕達は異口同音、驚愕の声を上げた。ただ一人声を荒げなかったスザンナが、「こっ、ここ街中ですから……」と遠慮がちに注意をする。
年下からの注意は効果絶大で、僕たちは冷水をかけられたみたいに静まり返った。
「……つまり、どういうことですか?」
僕は静かな声で質問する。エルセアルは唇を舐め、声を落として答えた。
「ここの国『ローゼ』は、腐敗しているんだよ。間諜の報告によれば、某国に兵器の材料などを輸出しているらしい。そう言ったコネから、ここに某国の拠点があると割り出した」
僕達は近くに路地裏を見つけ、そこへ入っていった。ローゼの人にこの話を聞かれたら、きっと嫌な顔をされるだろう。
「……つまりオレ達は、何をすればいいんだ? 拠点の場所が分かんないなら、何もしようがないだろ?」
ロザンナが苛立ちを露わに声を荒げた。その横でスザンナが「落ち着いて……」とまた注意している。
この兄妹は、二人そろって初めて真価を発揮するようだった。
エルセアルは言った。
「場所が分からないなら、聞き出せばいい」
「というと?」
僕は訊き返した。いや、今ので大体は分かった。一応の確認だ。
エルセアルが大きく息を吸い込む。
「聞き込み調査、開始だよ」