モルブス編 第八話 援護
≪ベノム視点≫
「……多分、助けに来たよ?」
俺は目の前にいる狐面を、鋭く睨んだ。
やっぱり来たな、この野郎。とても俺が言えた義理じゃないが、奴らの目的は最上位クラスなんだ。今お前が来たんじゃ、分が悪すぎる。切り札どもも揃ってんだから……
「あははっ、まさか自分からやってくるとは! ドロシーさん、貴方も馬鹿ですねぇ。僕達相手に勝てるはずがないというのに!」
そう言いながらビィトは、両手を宙に翳した。それから、ヒュンという風切り音。それと同時にドロシーが飛びのき、抜刀した。ドロシーがいた場所が大きく抉れる。
何が起きたのか、俺にはよくわからなかった。だが、ビィトが『見えない武器』でドロシーに攻撃したのだろうということぐらいは予想することができた。
「危なかった……?」
「まだまだ終わりませんよっ!」
ビィトが笑った。それから部屋中の壁、地面がまるで巨人が暴れたかのように大きく抉れる。対してドロシーは、それらの攻撃を軽々と避けて……
……はいなかった。彼女が武器の気配を察知できないのは俺達と同じらしく、手探りで避けているような印象である。その証拠に動きがおぼつかなく、時折服を掠めている。
「あはははは! 最上位クラスって、この程度なんですね! 勉強になりました!」
「……もしかして、あんまりよくないかも?」
今更ながらにドロシーが言う。
「あんまりどころじゃなくて『最悪』なんだ馬鹿!」と俺は叫びそうになるが、踏みとどまった。
ここで馬鹿みたいな戯言吐いた所で、状況は悪化の一途を辿るだけだ。それこそ『馬鹿』という物である。
俺は指をくわえて、この状況を見ているしかない。だって動いたら……
「僕達も援護しないと!」
ボアが動いた。彼女に加勢するつもりか、素早くビィトへと迫っていく。顔面蒼白って、きっとっこういう事の事を言うんだろうな。俺の顔から、サッと血の気が引いた。
「……!? バカ、辞めろ!」
「あららー、残念でしたねー」
ビィトが意地悪く笑ったかと思うと、突然ピタッとドロシーへの攻撃が止んだ。彼女は紫色の瞳をカッと見開き、それから走り出す。
今、すべての攻撃がボアに迫っているのは明々白々だった。そして、彼がすべてを凌ぐ手段を持ち合わせていないことも。
「【陽炎】──」
俺も抜刀して動き出した。このままドロシーに死なれてはならない。最低限彼女だけでも避難させなければ……
だが、間に合いそうにない。俺よりずっと早く、ドロシーはボアに到達していた。ドロシーの手が彼に触れ、彼女はボアを守るように抱え込む。
俺は目を瞑った。
「──【蜃気楼爆……」
「【鉄の鈍器】!」
……突然、壁が突き抜けるような音がした。全てを諦めて目を瞑っていた俺は、即座に目を見開く。目を見開いてすぐには、何も確認できなかった。沢山の砂埃が舞っている。ポツリポツリと、雨が降っている。
屋根に穴が開いたんだなと、俺は状況も理解していないのにも関わらず考えた。
そして、それは当たっていた。砂埃がある程度落ち着くと、そこには一人の少年が立っていた。茫然と黒い目を見開いて、ペストマスクとあたりの惨状を見つめている。パクパクと口を動かしているが、その口から言葉が紡ぎ出されることは無い。
特徴的な右手に、ロクに他人に興味を持たない俺でさえ見覚えがあった。
俺は彼の名を口に出す。
「リョウ……」
***
≪リョウ視点≫
薄々、感付いてはいた。だからこそ俺は、鉄の右手で応戦体勢をとっていたわけで。でも……
まさか、殴った相手がコイツだったとは。俺は呆然と、血に濡れた自分の手を見つめた。
「……嘘だろ……?」
「……嘘だと思うなら、頬っぺたをつねってみて下さいよ。むにーって。ふふふっ! あはははははっ!」
俺は目の前に広がる光景を前に、唖然としていた。なんだ、何があった。なんでコイツがここにいるんだ。金輪際会いたくなかったあの顔が、どうして俺の目の前にあるんだ。
そして何より、どうして沢山の血がここにあるんだ。
「その右手、とっても無様ですね。右手を鉄にしてまで、貴方は生きたかったんですか! 滑稽……実に滑稽ですよ」
そのペストマスクから、憎悪と悪意に満ち溢れた緑色の瞳がのぞいていた。俺の右手から血が垂れる。
「……ビィト……」
俺は口に出すのもおぞましい、その名を口にした。俺よりもずっと小さな背丈のはずなのに、彼の背中からは隠し切れない程の悪意が滲み出ていた。
「あははっ! ハローですね、リョウさん」
即座に俺は大きく右手を振りかぶり、力一杯彼を殴りつけた。彼は俺の攻撃を避けもせず、ただ受ける。いやあるいは、避ける気力さえ残っていなかったのか。
「ガン」という鈍い音がしたかと思うと、彼はぐったりとなった。俺は虚しい気持ちでいっぱいだった。出来る事なら、このまま永遠と彼を殴りつけてさえいたいと思った。
だが、そういうわけにも行かないのが悲しい事である。ボアとドロシー、そしてベノムが俺の方を見つめていた。
「あれ、たしか君、リョウって人だったよね……無事だったんだ?」
「ええ、お陰様で」
俺は苦笑いを浮かべて返答する。彼女は服の上からでも分かる程に出血していた。所々服が破れており、特に腕が荒れている。貪欲な赤い口をぱっくりと開けている傷口と、清潔感のある真っ白な肌が垣間見えていた。
それに比べてボアとベノムは、全くと言っていいほど負傷していなかった。とりあえずは大丈夫だろうと、俺はほっと胸をなでおろす。
だが、安心したのも束の間。俺は天井にぽっかりと開いた穴を見つめて、胸に焦燥を宿した。
「今俺、某国兵士から逃げてきたんですよ」
俺は天井を穴があくほど(もう空いてるけど)見つめた。しとしとと降る雨の音が煩い。アイツはいつ来てもおかしくないのだ。今のうちに話し合っておかなければ。
……この襲撃を乗り切る、作戦を。
「アイツ曰く『最上位クラスを差し出せば、最上位以外の命は助けてやる』との事でしたが。どうしますか?」
沈黙は一秒たりとも訪れなかった。ベノムが鼻で笑って言う。
「『どうしますか』? ハッ、そんなもの決まってるだろ。裁ち切る鎖にとって最上位を失うという事は、某国に反抗する手段を一つ失うという事だ。俺達の命と最上位の命、どっちが大切かは火を見るより明らかだろう?」
正論だった。裁ち切る鎖というギルドにおいて、『クラスの差』は天界の太陽よりも大きい。一つのクラスに、天界の太陽二つ分ぐらいの差があるのだ。
たとえ中位クラス十人が束になっても、最上位には勝てないだろう。
「でも……」
その事が分かっていながら、俺は食い下がった。死ぬのは怖くないというのに、なぜ食い下がったのか。自分でもよく分かっていない。
「……ええ、分かっていますよ」
俺の言葉を、ボアが継いだ。彼は自身のペストマスクに手を伸ばし、外した。綺麗な白い肌と白髪を持った、【NO,12】と書かれた少年の顔が露になる。
「このまま黙って死ぬわけにはいきませんからね。僕に一つ、案があります。聞いていただけますか?」