裁ち切る鎖編 第十九話 感謝
──純白の蛇は凛々しい姿で僕たちの事を見ている。純血よりも赤い目に、背筋が凍るような感覚を覚えた──
≪カルマ視点≫
「なんだ、こいつは。蛇に噛まれて惨めに這いつくばっていた男を、デゼルトまで運ぼうとして挫折した勇敢な少年じゃないか。その挙句女に助けられて、全く恥ずかしくないのかね。裁ち切る鎖の中位クラスとはいえ、所詮はその程度なのか」
……うわぁお。え、そういう感じの人なの?
僕は彼の顔をじっと見つめた。黒髪に黒い目を持った彼は、僕たちの事をロクに見もせずに暴言を吐いている。あまり眠れていないのか、目の下には大きな隈が見受けられた。そのストレスから、僕達に暴言を吐いているのだろう。だが、僕が最も異常に感じたのはそこではない。
彼の、首元だ。彼は首元に白い蛇を巻き付けていたのだ。純白の蛇は凛々しい姿で僕たちの事を見ている。純血よりも赤い目に、背筋が凍るような感覚を覚えた。僕は何とか礼だけは言おうと口を開く。
「ありがとうござい──」
だが、僕の言葉は途中で遮られてしまった。
「黙れガキ。お前に礼を言われる余裕がある程の余裕、俺には無いんだ。そもそもさっきの嬢ちゃんから例は貰っている。必要ない事を何度も、何十回も繰り返すほどお前達は愚かなのか……いや、失礼。所詮『中位クラス』、世渡り術の「世」の文字すら習得できていない子供だもんな」
……うわぁお。え、そういう感じの人なの?
僕はさっきと同じことを思った。こう見えても僕は、いくつもの職業を経験しているので世渡り術には他大なり小なり自信があった。だが、彼はそれを「無い」と言い放った。何のためにそんな事を言ったのか、はたまた理由なんてないのか。「シュルルル」と下を鳴らしながら、蛇がこちらを見つめていた。
まぁ、世の中色んな人がいるもんね。あんまり気にしないほうが良いか──
僕が諦め始めた矢先、テーヤが槍のように鋭い言葉を言い放った。
「悪口雑言を吐き捨てるという愚行を、神は良しとしないぞ」
「知らない知らない、そんなもの。そもそもこの世界に、神なんているはずがない。論理的に考えろ、その足りないハッピィな脳味噌でな。本当にカミが見ているのであれば、俺達のような団体は登場していないはずだろう。そんな事すら分からないのか、この愚か者めが」
彼の傍若無人な様に呆然としている僕の耳元で、レイジが囁いた。
「彼は『ベノム』。僕たちの事を助けてくれた、命の恩人なんだ。リョウの毒を治療してくれたのも、カルマの脱水症状を直してくれたのも全部、彼なんだ。まぁ、ボロネアをも上回る程口が悪いっていう絶望的な欠点があるんだけどね。そこを除けば悪い人では無い……うん、悪い人では無い筈だよ」
彼女の発言は、かなりアバウトだった。確信に欠ける、あやふやなものである。彼女自身ベノムが良い人なのか、決めかねているからなのだろう。僕も、彼がどんな人なのか見えてこなかった。
僕たちの事を助けてくれたという事実と裁ち切る鎖に所属している事から察するに、少なくとも根っからの悪人ではない。だが、根っからの善人という訳でもなさそうだった。態度が絶望的に悪い。僕たちの事を常に睨んでいた璃、謎に高飛車だったりと言うのがその最たる例だった。そんなベノムの発言に不満を持ったのか、テーヤが反論する。
「神は確実に存在する。私達のようなものが信じ続ける限り、神は実在するのだ。だからこそ、神を唾棄してはならない」
「それはもう悪魔の証明、何を言おうが自由になってしまうだろう。少しでも完全無欠に近づけた意見をくれ。有象無象の空理空論に用はない」
「ならばいいだろう。神がいるという最高の証明をして見せる──」
そのまま二人は、頭を寄せて話し合ってしまった。議論は白熱しているようで、二人とも大きな声を上げて持論を展開している。僕はどうしても自分だけ置いてきぼりを喰らっているような感じが否めなくて、無理矢理二人の合間に割って入った。
「今日は、ありがとうございました!」
適当なお金(3ブロンズぐらい)を無理矢理ベノムに渡して、そのまま立ち去ろうとした。テーヤには気の毒だが、ここで足止めをしてもらうほかない。ベノムとあったのは初めてだが、もう早速「僕の嫌いな人リスト」に彼の名が乗りつつあった。ある意味で快挙である。
「それじゃぁ、地上に出て様子を探ってきますねー」
と、レイジがテーヤに話しかける。テーヤは軽く頷き、またベノムと話し込み始めた。多分、宗教関連の話なのだろうと思う。
「ねぇ、ベノムさんって何クラス?」
僕はランタンだけが光源となっている通路の中、レイジに尋ねた。彼女はすぐに返事をする。
「上位だよ。口は悪いけど、実力は確かなんだ」
と。僕は「ほんとうかなぁ」と訝しんでいた。あの感じだと、友達も少ないんだろうなぁ……なんて考えてしまう。
まぁ「友達がいない=悪い」ではないから、一概には語れないのだが。兎角、少なくと彼は人付き合いが下手なのだろうと感じた。
僕は外に出た。
むせ返りそうになるほど乾いた空気、目を焼くように眩しい陽光。こんな眩しい光じゃ、何も見えないな。僕は目を細めて目が光に慣れてくるのを待った。十秒、二十秒、三十秒──
まもなく僕の目は、明るい地上に適応した。眩しくて堪らなかったのが嘘のように収まっていた。僕は目をはっきりと見開き、あたりを見回す。案の定僕が居たのは路地裏だった。だが、リュミエールのそれともナハトのそれとも違う作りである。比較的密度が低く、かつ湿度もないため不潔な感じはしない。文字通り『清潔な路地裏』のように感じられた。
だが、居心地が悪い事に変わりはない。僕はこの路地裏から抜けるべく、前後を確認した。後ろには僕達が出入りに使用している『穴』が、前方にはあまり長くもない『道』が続いていた。その道の向こう、僕はデゼルトの喧騒を垣間見る。
僕は前に歩き出した。段々と近づいてくる騒音。人々が陽気に騒ぎ立てる声が反響する。
そして僕は、デゼルトの大通りに出た。溢れんばかりの人、人、人。何百、いや何千人も居そうなほど多く、そして不規則であった。誰もが雑多な方向に歩き、歩いては行商人から物を買っている。人種に偏りは無いようで、僕たちのようなリュミエール人(肌が黄色く、髪が黒い人々)もいれば白い肌、黄色い髪の人々も、そして黒人も確認できた。
湿度は低いはずなのに、人混みの中にいると不思議と蒸し暑く感じた。
(……ここには、差別とかって無いのかな……?)
僕は疑問に思う。父が夢見た理想郷。ここはその片鱗なのだろうか? などと、妄想を膨らませた。今更それを確かめる手段はないのだが、それでも良かった。考えること自体に意味があったのである。
「……僕たちの任務は、ここで貧困などの被害に遭っている人の“救済”だよね?」
レイジが尋ねたので僕は
「そうだよ。某国被害は殆どないらしいから、そっちの活動に専念するんだって」
と、返事した。彼女は「なるほど」と納得して影に戻る。にしても、こんなところにも貧困で苦しめられている人々がいるのかと、僕は疑問に思った。町は行商人の文句、値下げの交渉をする声、そして感謝を伝える「ありがとうございましたっ!」の掛け声で満ちていた。貧困など、影も形もない。リュミエールでは絶対に見られなかった光景だ。
僕達は、喧噪の街並みを歩いた。前後左右をよく確認しながら足を進める。任務対象が見つからないからと言って、油断は出来ない。いつ、どこで『ソレ』が姿を現すか見当もつかないのだ。細心の注意を払って行動しなければ。
「ねぇカルマ、あれ──」
レイジが、何かに気づいたように言った。彼女はわざわざ影から出てきて、遠くを指差した。人混みの中を縫うようにして、僕は彼女の指先を辿る。視線の先、特別何かあるようには見えなかった。あるのは只、壁のみ。
だが、すぐに僕は気付く。
「いや違う! 地面に人が倒れてるんだ!」