恵みと綻び その10
「近くで見ると、大きすぎてよく分からないな」
バーネスベッグ通信を後にしたミリク達は、道中に立ち寄ったセボークお薦めの菓子店で購入したティースタバレー銘菓“うなぎパイ”に、「さくさくー!」「全く豪精鰻の味はしないが、余計なクセがない分、豪精鰻粉末の加工品としての可能性を色々検討させられるな」「これならシンプルにパンに混ぜ込んで栄養価を上げるのもありでしょうが、やはり単価が厳しい気がしますね」とやや職業病気味に舌鼓を打ちつつ、ようやく“スラックレリ大時計塔”に辿り着いた。
“大時計塔”と銘打つだけあり、その姿は中央領都の外からも見える。
建立されてから既に三十年経っているためか白亜とまでは行かないものの、それでも周囲の建屋の十倍以上の高さはある白い尖塔が領都全体を見下ろすように悠然と聳えている。
そんな塔の四分の三程の高さには巨大な時計盤が四方に取り付けられ、時刻を周囲に指し示す。
作られたのが三十年前であることも踏まえれば、その脱進機はアンクルとガンギ車による振り子式であってしかるべきだが、この時計はそうではない。
水晶薄片を中心に魔力を良く通す魔銀と逆に反発させる魔金剛を組み合わせた、遺跡の遺物を元に考案された魔法陣。魔力が規則正しく行き来する様子から“魔力振り子”と呼ばれる機構だ。
高い清浄度と温度・湿度が一定に管理された“振り子室”に安置されたそれは、一か月で一秒前後の誤差という、現在製造されている研究向け高精度計時器とも遜色ない精度を保っている。それはある種当然で、小型化こそ進んでいるものの基本的な構造は今も変わっていないからだ。
ちなみに以前ミリクがシャモン教授に提示した光格子時計には、秒単位で19桁分の精度。大体三兆年に一秒程度の誤差だ。ふざけている。
それはともかく、そんな時計よりも上部には時刻情報を同期し更に遠方の“子機”へと中継する子時計塔に向けて通信魔法を放つ設備がある。
魔道具と言うには少々巨大すぎる魔法装置、或いは無人化された儀式場。
子時計塔との同期システムも含めれば本体の時計よりも金がかかっているともっぱらの噂だ。
魔法の起動そのものが時計と連動するよう自動化され、定期的なメンテナンスと魔石補充によって維持されているこの機構は、実のところバルバザー・バーネスベッグの祖父が主導したもの。
建設当時、教会から公開されて間もない通信魔法を何かに応用できないか、とぼちぼち隠居を考えていた先々代の会頭が、大時計塔への出資ついでに口出しをして実現化させた。
決して、完成する頃にはかわいい年頃になっているであろう生まれる前の孫に自慢するためではない。自慢はしたが。
それが後にそんな孫を通信魔法研究の道に歩ませる契機となったのだから、単なる孫バカなどと馬鹿にできない。
何せ王国の魔法研究の最高学府にて教授の座まで上り詰め、今や祖父を超える規模の通信網を領内どころか国内全土に張り巡らせているのだから。
しかしそんな時計塔にまつわる歴史ドキュメンタリーに、ミリクもタルザムもさっぱり興味が無かった。
ライザと共に目の前の石板に記されたそんな経緯に一通り目を通して出てきた感想は、「そんな希少な魔法金属素材使ってることを堂々と謳うあたり、“振り子室”の警備には自信があるのだろうな」ということだけだ。
そんな石板の飾られた柱の向こうは、高い天井と解放感のある外部空間が広がる。
「どうやらここは一般にも貸し出されているようですね」
管理事務局に利用料を支払うことで出店や催事場として利用できるフロアだ。
ちなみに二階以上は事務室や時計塔の機械室となっている。
外縁の柱から内外を隔てるように展開されている、砂塵侵入防止目的の“風の帳”をふわりと抜けて近寄れば、その広々としたピロティに立ち並ぶ無数の什器の上の輝きが、あちこちのポスターで喧伝されていた通り確かに銀製品であると分かった。
よく見ればそれなりの手練と思われる者達がそこかしこで警備をしている。万引きでもしようものなら即座に捕縛されるだろう。
さらにミリク曰く、窃盗防止の探知魔法も張られているらしく、正しいキーを品に付与してもらわないまま持ち出すと昏倒する程度の電撃が奔るらしい。そこまでやるならそれなりの審問士も会場に居るのだろう。他人を使おうが、即座に黒幕も暴かれる筈だ。
「それにしても……銀食器展、銀製品メンテナンス講習会、補修受付、自作銀細工……本当に銀ばかりだな。
どこかの貴族が要らなくなったのを換金しようとしてるのか?」
かつては黒ずむことで無味無色の砒毒を検出できる、食べ物の腐敗が抑えられ食中毒が起きにくい、と上位貴族の間で重宝されていた銀食器。
しかし今では教会が一般に公開している神聖魔法である“浄化”や“鑑定”の普及により、それらの理由は形骸化している。
結果として多くの上位貴族は銀にこだわらなくて良いならと、より美しく華やかな、あるいは食事を見た目からも引き立たせるような、陶磁器や硝子器、変わり種では漆塗りの木椀と、競うように家ごとの趣味が反映されるようになった。
元々ただの銀はすぐにくすむため、日々の手入れが如実に顕れる。だがその程度のことを自慢するのはもはや時代遅れという風潮だ。
結果、余った銀製品は庇護下にある下位貴族や上位使用人家族へ下賜するものというイメージが定着し、翻って庶民にとっては、手に入れられうる最高級の食器の一つとなった。
「使用人達には苦労をさせているし、こういうのを買うのも悪くないかもしれんな」
「そうですね。わざわざサングマから王都まで付いてきてくれた方もいましたし……ですが銀製品だと毎日磨く必要があって手間なのでは?」
「確かに、それでやる事を増やすのは避けたいな。金属器なら、白鑞か不銹鋼の方がいいか」
「不銹鋼で食器……下手な銀食器より高価になりそうですね」
白鑞は錫をベースに熔鉛などを配合した低融点の柔らかい合金。その加工の容易さ、銀よりグレードは落ちるものの美しい輝き、銀とは逆に黒ずむことが無く貴金属同様に錆びにくいなどの利点から、比較的裕福な家庭のテーブルウェアとして普及している。
対して不銹鋼は鉄をベースに彩鉄、翠鉄などを配合した防錆性に優れた特殊な鋼。熟練の鍛冶と錬金魔法を駆使した繊細な温度・組成管理で内部の結晶構造を調整し、用途に応じた剛性・靭性を実現できる。
王都のサングマ邸の浴槽にも使われ、王室にも献上されたことで有名な超高級合金素材であり、サングマと王都の一部でしか生産されていないが、逆に言えばサングマではそれなりに流通している。実は材料だけで言えば白鑞より安価だ。
しかし比べ物にならないほど生産に高度な技術と手間暇がかかるため、結果として極めて高価になる。
高級武具の材料を想定して開発されたものなのだから当たり前なのだが。
「ミリクは……全然興味ないか。そうか。そうだよな」
数々の銀細工達が視界に入っているのか疑わしいほどに無反応のまま、握られた手にただ従って隣を歩いていたミリク。
盲目の子供を介助しているような気分にさえさせられる。
そしてその口からは、凡そ予想通りの返答が返ってきた。
「おいしくないです」
「ふっ、食べ物じゃないからな」
「すっかり食いしん坊になりましたね」
ライザが少し呆れながらもどこか喜ばし気に微笑みその小さな頭をそっと撫でれば、ミリクは心地良さそうに目を細めた。
衒学的すぎて全く話が進んでない……