恵みと綻び その8
ドノックは、その拙い口調で発せられた言葉を飲み込めず、思わずオウム返しする。
「ミリクトン……教授……?」
名前を知らぬわけではない。むしろよく目にしている。
何せ“光子通信”関連論文や通信器・中継器の設計書、その全てにバルバザー教授と連名で記載されている名だからだ。
その素性について、王都ではそれなりに噂になっているものの、あくまで学生や一部の教員からの口伝て。文字通り噂の域を出ず、信憑性があるとは言い難い。
誰が「初等部かどうか程度の男児が教授」などという言葉を信じようか。学園側も正式な情報開示を行わず、少し調べようものなら、見えてくるのはサングマ分家の工作の影。
あのサングマが本気で情報隠蔽しているなら、痕跡など残す筈が無い。牽制、或いは罠か。どちらにせよこれ以上の詮索がサングマの女傑達との智謀になると察せる。
まして国内の通信インフラと物流を握るバーネスベッグ商会からすれば、国外輸出入の唯一の窓口であるサングマに喧嘩を売るのは割に合わない。
故に辺境伯領中央領都の支店を任される程の親族であっても、ミリクトン教授の情報は知らされていなかった。それどころか会頭直々に勝手な素性調査を禁じる命令が出ていた。
これは実際の所、サングマの女傑達の智謀ももちろんあるのだが、ミリクの学園外での行動パターンが一見して生徒のそれと区別が付かないというのも大きい。
しばしばレイルウェイやシンジェルと共にしているお茶会やお泊り会のような行為も、初等部の中でも歳が近い同級生同士仲良くしている、というように見える。
単純に言って、ミリクトン教授の表面上の仕事量や成果と噛み合っていないのだ。
講義の準備や数々の研究、論文の執筆。ミリクはそれらを一瞬で終わらせているが、まともな人間では一日丸々使っても足りない。
その齟齬もあって、ミリクとミリクトン教授が本当に同一人物だと考えている人間はかなり少ない。実際に講義を受けている者の中にすら、何か事情があって姿を晒せない誰かが裏に居て、ミリクに指示を出しているのではと考えている者が居る程だ。
そんな謎に満ちた存在が今目の前に現れている。動揺を隠し切れないドノックの声は震えていた。
「誠でございますか……?」
「色は違えど、私も聖五色資格の認定者です。二級がどれ程の技量と経験を示すかは理解しております。そんな二級の審問士が居る席で子供に嘘を吐かせる程、私達は物好きではありませんよ」
ライザが暗に嘘ではないと凛とした声で答えると同時に、ミリクが「はい」と卓上に白金製のロケットを取り出した。
小さめの懐中時計ほどのサイズのそれをミリクが開くと、校章と“ミリクトン・ボープ・サングマ”の名が、美麗な魔法陣と共に魔銀の細線による象嵌細工で描かれている。
私立ティンダーリア魔法学園の教授としての身分証だ。
ミリクが魔力を流し込むと、幻影が空中に投影される。
そこに浮かんだのは──何故かミリクを模った猫耳のぬいぐるみだった。
もこもこのマフラーや帽子を纏った冬仕様である。
「しむりんさんのしんさくです」
「これはまた、随分とかわいらしい」
「相変わらずシムリン教授は手先が器用だな」
ミリクの説明もライザやタルザムの反応も頭に入ってこない程度に、ドノックの思考は停止した。
そのロケットに象嵌細工で誂えられた魔法陣は、目に見える表面以外にも刻まれ積層されており、多くの組合でも利用されている個人識別の機能を持っている。映せる幻影はカスタマイズできる──本来は自身の姿を設定するものだ──が、その投影と設定は教授本人と理事長以外にはできないようになっているのだ。
バルバザーが教授になった時の祝賀パーティで実物を見たことのあるドノックは、もはや言葉が出ない。これは一般に出回っていない、仮に出回っても本人と理事長以外に扱えない。そういう代物だ。
偽造しようものなら最低でも魔法技術の国内最先端を行くティンダーリア侯爵家を敵に回す。
かの侯爵はただの研究狂いではない。国に忠誠を誓い、国の為に尽くす、絶大な影響力と行動力を持った紛れも無い上位貴族だ。
その庇護の証の偽造など、国に仇なす行為として処刑すらありえる。
二級審問士であるネオラに視線を向けると、彼女は小さく頷く。『聖別』を通しても反応しない、“偽りはない”という結果伝えるものだ。
間違いなく目の前にいる少年は教授であり、“光子通信”を考案する側の人間なのだと、受け止めるしかなかった。
会頭に報告は──できない。
そういう“契約”を既にしてしまった。
“叛逆消去”という最高位の契約魔法は、契約違反事象を丸ごと無かったことにする。
ここで得た情報は他の誰かへは一切伝えられない。
「成程……これは、一本取られてしまった、ということで御座いますね。いやはや、会頭が止めるわけです」
ドノックはそう呟くと息を吐き肩を落とす。もうこの場で打てる手はないと悟り、脱力する他ない。
「えぇ。申し訳ありません」
そうライザは微笑みつつ、掌の上で転がさせてもらったと認めた。
しかし、相手に気付かれた時にはもう目的を成し遂げている程度は二流。気付かれることすらなく掌握し事を終えるのが一流であり、事をそもそも始める必要すら無いよう支配するのが超一流。
サングマの女傑の厳しい基準では自分はまだまだ未熟と一蹴されることだろうと、ライザは舌の裏に苦みを覚えた。
「まぁ、この店に来たのはただの偶然だ。もうここでの情報は漏れないのだからそこまで気を張らなくていいだろう。
丁稚の……ええと、セボーク、と言ったか?」
「っ! は、はい!」
タルザムの考えは少々甘いのだが、それはさておき、ずっとどうして自分はこんな場に呼び出されたのかと全く理解できず小さく縮こまっていたセボークは、突然話し掛けられおっかなびっくりに吃りながら返事をした。
「ドノック殿には最初に話していたんだが、うちの息子はあまり同年代の子供と触れ合う機会が今まで少なくてな。王都の学園でとも思っていたが、どうにも大人と関わる機会が却って多くなってしまった。それでも初等部で友達ができたのだから、喜ばしいんだが……ともかく、今回折角少々遠方まで旅行に来たわけだから、現地の子供と触れ合う機会を設けたかったんだ」
「な、なるほど……」
三十過ぎの強面騎士が齢十程度の少年に説明する様は、まるで「お前を養子に迎え入れよう」と言わんばかりの構図だが、その内容は単に子供同士で話をさせたいというだけだ。
セボークからすれば拍子抜けもいいところである。
「みりくとん・ぼーぷ・さんぐまです。5さいです」
「セボーク・フットヒルズです。え、と、歳は十になります。よろしくお願いします」
繰り返されたミリクの挨拶に合わせて、セボークも頭を深々下げる。今までのやり取りで、いくら幼く見えようがどう考えてもミリクは自身よりも目上の人間だと判断できたからだ。
だがミリクはやや不機嫌そうに口をへの字に曲げる。
「かたい」
「へ……ぷぅっ!」
下げた顔の両頬が小さな手でぺちりと挟みこまれ、そのまま柔らかく掴まれた。
「もっと、やわらかくー」
「ふぁ、ふぁあぁっ」
もっちもっちと成す術無く揉みしだかれるセボーク。栗色の髪を揺らしながら戸惑いがちに助けを求める視線をドノックやネオラに向けるが、大人二人もどうしたものかと手を出しあぐねていた。
「私達は一旦席を外しましょうか」
「そうだな。ミリク、好きなだけ話すといい。あとその子の頬は解放しなさい」
「はい!」
「あ、ありがとうございます」
なんとなしに礼を口にするのは接客業の性なのか。しかし残酷にも少年二人を個室に残し、大人達は全員退室してしまった。
防音の密室に少年が二人きり。何も起こらぬはずもなく……?(無い)