恵みと綻び その7
(あー、なんかめんどくさい感じになってしまったな)
(自業自得でしょう。私とミリクを巻き込まないで欲しいのですが)
(申し訳ない……)
タルザムは心中でライザに平謝りするばかりであった。
物理的な戦闘面ではサングマの近衛騎士団で副団長を務める程度にはタルザムは優秀な男なのだが、こと舌戦となると途端にずぶの素人のように駄目になる。
どれぐらい駄目かというと、兄シンブーリ伯爵の息子、つまりサングマ分家の次期当主継承権第一位である十歳の甥っ子バラスンに、失言をフォローされることがある程度には駄目である。
そのとき後から女性陣に言葉でボコボコにされたのは言うまでもない。
そんな何とも言えず張り詰めた雰囲気の中、椅子に座って手持無沙汰に脚をプラプラさせていたミリクがふいと顔を上げると、ドノックをまじまじと見つめ口を開く。
「しんぱいなら、“けーやく”する?」
「“けーやく”……契約魔法で御座いますか。よろしいのですか?」
契約魔法。
この魔法も通信魔法同様、教会が一般に公開し普及したものだ。互いに守るべき内容を定め、了承し合い、それが守られていることを神が担保する。
最も弱い術式であれば、その契約がまだ守られているかが分かる程度だが、強い術式では、正規の契約破棄手順以外の契約違反に繋がる行為を取ろうとすると身動きが取れなくなるようなものもある。
「ここでのことはお互い口外しない、という内容での契約ですね?
私達は構いません。その方が安心してお話ししやすいでしょうし。
そうですね、丁稚の子も含め全員で契約魔法を交わすのが良いのではないですか?」
「そうだな、そうしてしまった方がいいだろう」
「承知致しました。では丁稚一人と当店の二級審問士を呼びますので少々お待ちください」
審問士は教会が定める五種の資格、“聖五色資格”の一つ。本来は神聖魔法の一つ『聖別』の応用で邪なる嘘を見分け罪を告白させる、国の裁判官とともに罪人の審判を担う者に教会が与える称号だ。
契約魔法が一般に広まってからは、下級の審問士が正しく契約が成立したと保証したり代行で術式を用意したりするようになったことで、彼らの管轄という認識になっている。
勿論、契約魔法の術式自体も開示されており、故に簡単なものは魔法の素養がある人間なら簡単に扱うことができる。
だがこの魔法の肝は“信用”。
信用できると教会が太鼓判を押している者による魔法で、その契約を成立させるということが重視される。やはり安心感、信頼性が違う。
とはいえ契約魔法の大半は四級や三級が行なうもの。二級の契約魔法となると、上位貴族同士の機密保持や白金貨単位の取引のようなものになってくる。
そういう意味では、高価な通信器やそのインフラ自体を扱う店のだから二級が出てくるのはおかしくない。領どころか国家政策の一部とも言える事業だからだ。
しかし、それで本当に各支店へ専属で二級審問士を一人以上揃えているあたり、バーネスベッグ商店がこの通信事業にどれほど恐ろしい巨額の資金を注いでいるかが窺えよう。
閑話休題。
ライザとタルザムの提案に応じて、ドノックがドアを開け備え付けのベルを軽く鳴らすと、やって来た店員に指示を出す。
そうして、他の店員同様グレーを基調とした半ズボンと白いシャツを着た十歳ほどの小綺麗な格好の少年と、同じくグレーのタイトなスカートの女性がやって来た。
女性の左胸には天秤を模った黄水晶のブローチがその存在を主張している。教会が認めた審問士の証だ。
ちなみに治癒士にはそういったブローチは無く、ライザも持っていない。
これは、「証より道具と技を。治癒士なら行動で示すのです。私達が取り溢すのは常に生きるはずだった命だと覚悟しなさい。」という枢機卿『白』のアリヤ猊下のありがたい言葉によるもので、ライザが普段必ず持ち歩いている携行治癒器具一式の収められた道具箱がまさにそれである。
「こちらが当店専属の二級審問士、ネオラ・リショップ。こちらは接客業務の裏方で雑務を任せている丁稚のセボークで御座います」
「本日はよろしくお願い致します。早速ですが、どういった契約魔法をご所望でしょう?」
するとネオラに何か話す前に、ミリクが紙切れと銀のインクを取り出す。
「ほぜんほー、“とーけつ”」
ミリクの言葉に誰も反応できなかった。いや、できなくなった。
この室内のミリク以外の全ての変化が許されなくなる。
「じゅじゅほー。たいしょーしてい。いぇつらーから、あすとらるこゆーしきべつじょーほーしゅとく。ふごーか。
けーやくほー。これよりなすちぎり、かいてーのいただき、けてるのもと。
ちぎりはいかに。“あっしゃーしてーいきがいでのじょーほーろーえーじしょーはひてーす。”
じぜんしょーだくにしたがい、けーやくしっこー。
げんこーきゃっするとんおーこくひょーじゅんしょしきにていんじ。けーやくじゅつしきとれんけつ。かんりょー」
誰一人として口を出す間も無く、ミリクは長台詞を言い切ると、普段論文を執筆する時にも使っている高級紙の上に、緻密な魔法陣と契約内容が銀のインクで記された。
「“かいとー”」
その言葉とともに彼らの目に突如飛び込んできたのは、机の上の契約書。
タルザムは胸を撫で下ろし、ライザは僅かに顔を引きつらせた。他の者は何が起こったか理解できず揃って目を瞬かせる。
タルザムが安心した理由は明白だ。うっかり何を口にしてしまったとしても、もう問題無いからだ。
「いちおう、ねおらさん、かくにんしてください」
ミリクの「どーぞ」という言葉に促され困惑しながらも契約書を手に取り、検分する。そして見る間にその目は見開かれていき、ノドックやセボークにも異常なことが伝わってきた。
「こ、これは、存じ上げない術式……このような、根本的に……“叛逆消去”!? そんな、まさか?!!」
「ネオラ、それはどういう?」
「もしもそうなら、この契約は、決して破れないのです……!」
ノドックの問いに答えるネオラの声は、手にした契約書を信じられていないように震えていた。
「……? 契約魔法なのですから、それはそうでしょう」
強力な契約魔法であれば、違反行動に対して苦痛を与えたり、違反行動そのものを禁じたりもできる。
ネオラもそれらの術式を扱えるはずで、確かに今回の件でそこまでの契約は妙だが、動転して取り乱す程ではないだろうと、ドノックは感じたのだが、それをネオラは否定する。
「違います! 違うのですッ……! これは破る行為のそのものが世界から消し去られる! それこそ特級審問士であらせられるかの猊下にしか成せない、世界それ自体に刻み込む契約……!!」
一般に術式が公開されているだけあり、二級ともなれば契約魔法を全て知っている。あとは格の問題だ。なにせ主の役割は『聖別』による真贋の判断、罪の告解だからだ。
しかし、たった一つの例外として、特級審問士である歴代の『黄』の枢機卿のみが受け継いでいるという、契約魔法が存在する。
今も有効であるというその “契約” により、キャッスルトン王国は約三百年前の建国の騒乱期から今に至るまで、他の小国を併合していく中、ただの一度もミッションヒル教国と敵対できなかった。
攻め込むことができなかった。
兵を揃えることもできなかった。
命令を出すことも。
全てが無かったことになるのだ。
それは契約魔法の術式公開にあたり、その名前と効果だけが教本に記されている。だからネオラも存在は知ってはいる。
人と人との間ではなく、世界そのものに刻む契約魔法。
背く事象を世界から消去する、神の如き魔法。
「まあ、それくらいやってしまえば確かに安全だな。下手に穴があるよりはずっと心強いだろう」
「それもそうですが……はぁ……もう今更ですし仕方ありませんか」
困惑するドノックと状況を飲み込みきれていないセボーク、狼狽するネオラを前に、タルザムとライザの許しを得たことでミリクが自己紹介をする。
「てぃんだーりあまほーがくえんきょーじゅ、みりくとん・ぼーぷ・さんぐまです。こーしつーしんかいはつで、ばるばざーきょーじゅの、あどばいざーもしてます」
丁稚のセボークくん、なんとか登場だけはさせられました。