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五色の書  作者: 鳥辺野ひとり
ティースタバレー辺境伯領
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恵みと綻び その4




 結局ミリク達は“魔液(ラピスラクリマ)”と“魔動車(マギアクルス)”の研究を好き勝手引っ掻き回すと、お土産に“魔動車(マギアクルス)”のミニチュア模型二つ──正確には、許可を貰い一つだけあった模型の寸分違わぬ複製を二つ、ミリクが魔法で作成したものだ──を持ち帰って研究所を後にした。


 金属の精密加工が売りのティースタバレーの技術が細部に活きた、車内の構造まで作り込まれているそれは、ドアは開閉しレバーでギアボックスが正しく切り替わりハンドルで車輪の向きが変わる。

 サイズの関係で駆動関連の術式が刻まれていないだけで、動力があればちゃんと走るものだという。


 模型というより縮小試作品と言った方がいいレベルのものだ。

 売り物ではないため価格は存在しないが、制作費で考えればこれ一つで郊外に家が建つ。


 ちなみにミリクなら複製時に術式を刻むことなど容易かった筈だが、あくまで純粋な複製ということでそういった改造はしていない。

 仮に走るようになったとして、この車に乗れるのは小ネズミぐらいだろうが。


「もしかしてシンジェル様とレイルウェイ様への贈り物か?」

「はい。じるもれりーも、こーゆーのすきだとおもう」

「そうか。渡すのが楽しみだな」


 タルザムはそう言いながらミリクの頭を撫でる。撫でながら、研究所で起こったあれこれを忘れ去ろうとしていた。


 忘却は、人間の脳に備わった偉大な機能だと言えよう。





 続いてミリク達が向かったのは、ティースタバレー中央卸市場。

 ティスタ河で水揚げされた魚を中心に、様々な食材や加工品を扱っている大市場だ。


 脆い河岸段丘という地学的な性質やならず者達の存在、流動的に変化する魔物の縄張りといった要因から、基本的に危険なティスタ河付近だが、長きに渡る人の営みにより開拓された場所もある。

 中央領都(スラックレリ)から近い中流域──対岸が水平線の向こう側になって見えなくなる程川幅が広くなり、多少流れも緩やかになる──から河口にかけてには、先人達が魔物蔓延る林をぶち抜いて作り上げ、現在に至るまで定期的に魔物除けと討伐で維持され続けている漁村が点在しているのだ。


 そんな漁村で働き、致命的な水棲魔物も多く潜むティスタ河で漁をする者は、やはり荒くれ者の命知らず。しかしその分、下手な冒険者などよりも遥かに稼ぎはいい。何せ周りの林とティスタ河の両方から、高価な食材や素材を日々入手できるからだ。


 そして命知らずの(おとこ)共と領内の貴族達とを仲介する架け橋になっていることもあり、朝競りをしている早朝の卸市場などとてもではないが女子供は近寄れる空気ではない。夜の漁という最も死にに行くような真似をしている者達が水揚げしたその貴重な戦果を金で奪い合い、その対価を决めているのだから、冒険者ギルドよりも遥かに張り詰めている。


 だが昼時ともなれば、旅行者向けの高級魚や陸産の食品も流れてくる、平和で活気ある場所になる。


 そして勿論、美味しいものをその場で味わえる出店も多く立ち並び、人々で賑わっていた。



「んんーーッ!」


 2日前に水揚げされたという、やや熟成された瑞々しい蝶鱗鮫(スタージェン)の刺身。

 肉厚でありながら透き通るように艷やかな白身はプリプリの食感で、噛むほどに淡麗な旨味と甘味を口の中に広げていく。


 その味わいをさらに際立たせているのが、“紫醤(プルプラ)”と呼ばれる深い暗茶のタレ。酒米(アモリーゾ)と同じ地域で普及している調味料なのだが、気候の関係でか隣国では製造法を持ち帰ることができず現状輸入頼りの高級品だ。

 それを薄く刷毛で表面に塗るだけで、単なる海塩では成しえない奥深い風味をその名の通りの淡い紫の光沢と共に纏い、淡白な白身は一躍主役級の存在へと引き上げられる。


「どうだ! うめぇか坊っちゃん」


 ねじり鉢巻をつけた店主が豪快な声で尋ねる。

 その強面の顔は大抵の子供が怖がり近寄らないだけに、躊躇せず己の逸品を求められたことで歪に崩れている。

 何せ答えを聞くまでもなくミリクの表情が物語っていたからだ。


「おいしーです!」


 ミリクの顔はそれはもう喜びに満ち溢れていた。

 車の事など完全に些末な過去の出来事である。


「ハッハーッ! 味の分かる坊主じゃねえかァ! ほれ! おまけに鮭汁付けてやるよ!!」

「ありがとーございます!!」


 タルザムはタルザムで鮭の炙りのオープンサンドを食べつつ、研究所とは打って変わって無邪気にはしゃぐミリクを見守っていた。


「それにしても、この辺りは極東(キームン)風の味が流行っているんだな」

「魚介が獲れるというのもあるのでしょうけど、中央貴族の受けが良いからでしょうね。同じ辺境伯領でもここは領都がサングマよりも王都にずっと近いのですし、やはり需要があるのでしょう」


 キャッスルトン王国と諸外国の交易路はかなり限られている。


 まず南の海はだめ。浅瀬はまだしも、少し遠洋に出ようものなら海の魔物に船を沈められる。

 西は果ても分からない魔の森で論外だし、東は魔物のオマケ付きである広大な急流ティスタ河に、河を越えたとして対岸に広がるのは未だ血の流れ続ける紛争地帯。

 唯一北にそびえるシンガリラ山脈方面、その中を細く(うね)るように続くタング峠の経路だけが隣国ニルギリ皇国へと通じるまともな流通経路だ。


 交易内容は嗜好品が主であり、文化や芸術、技術のやり取りを通じた友好的な国交が目的である。

 互いに留学生を交流させることもあれば、互いの王家・皇家の息女を嫁ぎ合わせる程度には仲が良い。


 そしてニルギリ皇国は、南北に細長いキャッスルトン王国と異なり、東西に広い領土を持つ。キャッスルトン王国を含む多くの異国との長大な交易路“茶の路(ヴーテ・ドゥ・テ)”での輸出入だけで相当な国益を叩き出している。それは経済面だけでなく文化面でもだ。


 つまるところ、北方渡来の、もっと言えば北方(ニルギリ)を経由した異国のものはニルギリ皇国から嫁いで来たクインショラ王太子妃への受けが良い。

 中でも東の果てにあるというキームン帝国のものは嫁いでくる以前から好みだったらしく、つまりその夫である王位継承権第一位マカイバリ王太子へのアピールになる。


 そういうこともあり、王都から近い領では極東(キームン)の文化の再現や融合が流行り盛んに行われている。ティースタバレー辺境伯領もそうだ。


 今でこそティースタバレーの特産品となっている豪精鰻(ヴァイタングィラ)も、かつては精は付くが臭くてヌルヌルで食感も悪い、柑橘類でかろうじて臭みを取ってなんとか食べられるようなものだった。その捌き方から基本的なタレの作り方、蒲焼という調理法などが“茶の路(ヴーテ・ドゥ・テ)”から持ち込まれキャッスルトン王国風にアレンジされた結果、王族の舌をも唸らせるに至ったのだ。


 旬だけあって、豪精鰻(ヴァイタングィラ)はそこかしこの店で売られていた。

 一級品を職人が仕上げれば当然金貨単位の代物。しかし勿論河から揚がるその全てが“ティスタ豪精鰻(ヴァイタングィラ)”を名乗れるほどのクオリティではない。

 小ぶりであったり傷があったりと言った理由で何段階かランクの落ちたものを、更に見習い職人が修行として調理し、切り分けたもの。それが庶民の贅沢として手が届くレベルの価格で今の時間帯は売られている。


「…………」

「ん? どォした坊や。一口味見するか?」

「……」


 そしてミリクがまじまじと見つめているのは、まさにその蒲焼。


 朱く熱を放つ堅炭に身が纏うタレが落ちては煙となり、再度その身を燻して香りとうまみが絡みついていく。


「構わないが、ディナーでも食べるぞ?」

「これはこれで、やしゅあふれてて、おいしーです」


 まだ食べてもいないのに、ミリクから返ってきたのは感想だった。


「店主、この大きいやつを三つ頼む」

「毎度ありィ」


「ハフハフ、~~~~ッッ!!」

「こりゃ確かに美味いな」

「今が旬と謳っているだけあって、ブランド物でなくとも十分に美味しい。栄養豊富で活力が付くというのも頷けます。

 ただ、やはり強すぎですね。病み上がりの人間に食べさせるべきものではありません……先ほど乾物店で見かけた豪精鰻(ヴァイタングィラ)粉末(プードル)は調製もしやすくて良さそうでしたけれど」

「そんな物があったのか。それなら孤児院の食事に栄養剤として混ぜたり糧食(レーション)にも使えそうだな……単価次第だが、いくらか買ってサングマに送ってみるか」


 ミリクが声にならない「おいしー」を連呼する中繰り広げられる、“その日の閨は夜明けを忘れ、多くの男児に恵まれる”と名高い旬の豪精鰻(ヴァイタングィラ)を食べながらとは思えない夫婦らしからぬまったく色気のない会話。

 ついつい自身の職場への応用ができないかを考えてしまいがちなのは、もはや職業病のようなものだ。


 ちなみに近衛騎士団副団長であるタルザムは当然として、二級治癒士であるライザも実は相当な健啖家だ。

 食べられるときに食べて、一週間食べられずとも水だけで平時と同等のパフォーマンスを出せる。

 この“食い溜め”は魔法も多少絡んでいるのだろうが、誰にでもできることというわけでもないので、二人共立派な異常者なのだ。周りをさらに異常な奴らが跋扈しているせいで目立っていないだけである。




鰻が食べたくなってくる……

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