恵みと綻び その3
翌朝、ミリクには昨晩に引き続き体に優しいメニューということで、酒米と旬の川魚の出汁を使った柔らかな味わいのお粥が振る舞われた。
「……」
火傷しないようにと用意された木製のスプーンでお粥を掬っては、無言でそれを飲み込むミリクの様子は悪い意味で自動人形のようであり、その青い瞳は深海さながらに昏く、虚無を湛えていた。
不満を口にする事を一切しないものの、纏う空気が明らさまにご機嫌ななめだと主張している。
「あー……やっぱり、ミリクはしっかりした濃い目の、甘辛い味付けなんかが好みなのか?」
下手に裏で何かをやり取りしたところで筒抜けだろうと考え、タルザムは気分転換になればとミリクに尋ねた。
「……こたい」
「え?」
「こたいがいい」
“固体が良い。”
流動食を口に含み、唇を波立たせるように空虚に咀嚼しては飲み込むミリクの平坦な音声による要求内容の低さはあまりに痛ましく、タルザムはライザと目を見合わせた後、ホテルの使用人を呼んで果物の盛り合わせを取り急ぎお願いした。
そんな朝食後、ミリク達三人は車に乗っていた。
馬車ではない。
まだ研究段階の最新技術。魔石を特殊な媒質で溶融させた“魔液”を燃料として駆動する“魔動車”だ。
ここはティンダーリア魔法学園と共同で研究を行なっている、地元のとある研究所。
ランビバザーが便宜を図ったらしく、心ばかりのお礼にと招待状が今朝届いており、ミリクが首を縦に振ったこともあって今その研究所を見学していた。
「ほう。馬よりも扱い易そうだが、整備に必要な専門知識やコストと燃料代、小回りの効かなさと悪路の走破性能を考えると一長一短だな」
「走破性能については機体そのものの改良も進めておりますが、寧ろ公共事業として走りやすい街道に整備するほうがトータルで見て利益になり得ると考えております。燃料面については──」
意外な事に、タルザムの方が饒舌に質問していた。
これは彼が行軍や兵站などを気にかける立場にあるからであり、そう言えば近衛騎士団の副団長だったなとライザは思い直した。
彼女からしてみれば、話では色々と聞き及んではいるものの、少々腕が立つ口下手な孤児をかき集めてばかりの男というイメージが未だ強い。
少々腕が立つなどというレベルでは本来ないのだが、ライザがシスター・リザヒルとして長年目にしてきたのが、申し訳なさそうにほぼ必ず孤児を連れてやってくる男だったのだから致し方ない。騎士団の宿舎横に孤児院ができたと聞いたときは働きづめで自分の耳か頭がおかしくなったのかと思ったものだ。
一方ミリクは、網膜に映っているもののちゃんと認識しているだろうかと疑うくらいには興味を示していなかった。空気中に漂っている埃やの路傍の小石のように、視界に収まっているだけ聞こえているだけという反応の薄さ。
ライザがどうしてか尋ねてみると「さすていなぶるじゃないから……」という端的な上に聞きなれない単語で答えが返ってきて首を捻ることになる。
しかし、タルザムはミリクの言いたいことがなんとなく分かった。それは彼が『賢者の本棚』の知識を所持者として自然と引き出せるようになってきている証左である。
「固体のままの魔石は、魔力を補充するだとかで再利用する手立てがある。だが、この“魔動車”の駆動機関は液化した魔石からエネルギーを消費した後、そのまま揮発した状態で大気中に放出して霧散させているから回収も再利用できない。
持続可能じゃないから、長期的に見て資源の問題に繋がると難色を示しているらしい」
するとミリクが反応するように続けて言葉を付け足す。
「……それにこのけむり、こくなるとあんまりからだによくないです。まほうにも、えーきょーでます」
「そうなのか?」
「からだのなかで、またけっしょーかして、こきゅーきがきずつく。からだがみせーじゅくなほど、しんこくなしょーじょーになりやすい。
まほうにたいしては、けむりがまりょくをすうから、げんすいしやすくなったりひきょりがおちたりする。せんとーではそのごさがちめーしょーになりえる。
いまはまだ、けむりののーどがうすいから、みっぺいくーかんじゃないとわかんないだろうけど」
前半のミリクの言葉に、二級治癒士であるライザは当然反応した。
「塵肺症と似た症状が起こり得るということですか……結晶の形状次第ではより悪性になりましょうか」
塵肺症は鍛冶師や鉱夫、あるいは綿や干し草を扱う農夫など、無機有機を問わない粉塵・胞子を多量に含む空気に永く曝露される者に起こりやすい、職業病とも言えるもの。
現代の魔法技術では一度肺の奥にまで入り込んだ粉塵を取り除く方法がなく、治癒魔法では根本的な完治はできない。できることと言えば咳止めのような対症療法か、粉塵の濃い空気から隔離して症状の進行を抑える程度。
原因が原因故に珍しくはないが、事実上の不治の病だ。
一般には咳や息苦しさといった慢性的な症状が多いが、粉塵の素材によっては急速に悪性の症状──例えば『悪しき青の蟹』のような──に発展することもある。
「そ、そうなのですか……?」
案内していた研究所の所長は狼狽える。彼は三十年以上に渡って“魔液”と“魔動車”の研究に携わってきた。我が子同然に温め続け、漸く実用化直前まで漕ぎ着けた研究だ。
それこそ隅々まで知り尽くしているつもりでいたし、証拠も無く何を言われても跳ね除ける自信があった。
これが何も知らないただのパトロン相手の接待なら心配性の空論だと内心で苦笑いつつも、自分達が信じている安全性をプレゼンしていられる。
が、今目の前にいるのは王国屈指の魔法研究施設でもあるティンダーリア魔法学園の教授に、二級治癒士、辺境伯領の近衛騎士団副団長。
あの“肝投げ”と有名なランビバザー教授からの紹介なのだから、疑いようがない。
その真偽はともかく、眼前の小さな教授が教授会でナラナート理事長の耳にまで届けようものなら、速攻で凍結され得る。
ミリクの前では研究狂いなナラナート侯爵だが、民の公共の利益に反し得るのであれば、躊躇なく如何なる研究であろうと潰してきたのだから、まるで突然我が子の喉元にナイフを突きつけられた親のように所長の思考は空転し、縋るように尋ねる事しかできなかった。
「せっかくえきたいなので、みずぞくせーまほうでさいごまでえきたいのまませーぎょしたらいいとおもいます。そのほうがこーりつてきです」
ミリクは過程に存在すべき議論をすっ飛ばして、黒板に白墨で結論を描く。
「たいせきがかわらないから、こっちのほうがかんたんだし、ちからもにげないし、あんぜんです」
そこに現れたのは概念図と、詳細な改造設計。駆動原理そのものを大胆に変更しながら、既存部品への変更が最小限に抑え込まれた芸術的とも言える内容。
「こ、これは……しかしこれではこちらで説明されている量の術式を敷設する平坦な場所を確保できておりませんし、構造上無理が……」
「べつに、たいらじゃなくても、じゅつしきはかけます」
「えっ……」
一般に、魔力を流すだけで魔法を成立させる魔法陣というものは平面上に描かれる。その効果の発生領域を表す円や方陣を描き、その内側や外側に詳細内容を記していくのが基本だ。
高度な魔法陣では、複数の円をつなげだり重ねることはあるが、無視できないレベルで術式の描かれた面を歪めれば、魔力の流れが乱れて術式が成立しなかったり暴走したり意図せぬ干渉で破綻したりと、人の手に負えない。
それこそ、高度な演算能力によるシミュレーションができなければ、三次元的に入り組んだ魔法陣を設計するのは人間業では不可能なのが現状だ。
「じゅつしきは、ぱいぷにかけばいいです。えんとーけーはそんなにむずかしくない。ちからのほーこーがすいちょくなだけ」
任意の曲面となると確かに無理だ。
しかし、形状が単純なものに限定されているならやりようはある。
ミリクが片手間に空中を走らせた白墨が齎した美しい証明は、円筒形と円形の魔法陣が互いに等価に変換可能であることを示していた。
当然ながら、王都に戻った後ミリクはこの内容を論文として提出することを求められたのだが、それはまた別のお話である。
もっとのうみそのゆるい話がいいのかなとも思うのですが、どうなのでしょうか。