恵みと綻び その2
──時はランビバザーが居室を訪れるほんの十分程前。
杖の柄の下半分だけという奇怪な物品が三個。ミリクが休ませられているベッド脇の小机に置いてあった。
「これは……この前ミリクが作っていた魔道具の部品か?」
タルザムの言葉に、布団に丸められたままのミリクが顔だけを出して頷く。
「はい。けっこーへっちゃったみたいなので、ちちうえから、らんびばざーさんにわたしてあげてください」
これだけである。だからタルザムは殆ど事情を知らないと言っていい。
とはいえ二人は通信で随時やり取りができることもあり、タルザムはそこまで気にしていなかった。別に疚しいものでもない。
ちなみに、この魔力源一つでミリクが言うところの戦略級規模の魔法五回分に相当する魔力を賄える。
そう、文字通り“戦略”を掌握するだけの規模の魔法が、五回分。
目の前の相手との戦いでもなく、その場限りの軍勢との戦いでもない。ただの一発で、長期的に見て国家間の争い・外交において勝利を齎すことのできる魔法。
そんなものが三個。当然5×3は15である。なんらかの範囲攻撃魔法として十五も放てば、文明を滅ぼしこの世界から人を根絶やしにしてもお釣りが返ってくる。言葉通りの人間世界の終わり。疚しいとかいうレベルの話では本来ない。
タルザムはその辺の感覚が既に麻痺していた。
なお対〈無貌〉において、その魔力の大半を使っていたのは、従来の人の魔法では成し得ない空間破壊攻撃や転移を幾度も行なった“蒼穹に赫く燃ゆる虎よ”ではない。
“生命を保つ者”の方だ。
その理由は簡単。
〈無貌〉が居る。
ただそれだけで、周囲は殺され続けていた。
異なる理に侵され、世界諸共壊されていた。
それを“生命を保つ者”は常時帳消しにしていたのだ。神々が『創世』の権能で殴り合うにも等しい、因果律を超えた法則の塗り潰し合い。“初めから世界はそうであった”の奪い合い。
これを制していたからこそ、ランビバザーのような“一般人”でも〈無貌〉と対峙していられた。むしろ戦略級十発分に満たない程度の魔力でそれができていたのだから、かなり魔力効率の良い仮想精霊である。
そして、その事実を知る者も理解しえる者もこの場にはいない。例えばエデンベールが目にすれば、その奇跡を理解した上でそれはもう歓喜と狂喜に満ち溢れることだろう。だから見せていないというのもある。その辺はタルザムも同意見であった。
時は再び十分後。
タルザムが寝室を出て応接間でランビバザーの応対を行ない、ライザが使用人に夕食の手配を依頼しつつ万が一に備え追加の脱水防止の補液を調製していた昼下がり。
貴族であれば、暖炉に暖められたサロンでアフタヌーンティーを嗜みつつ情報戦に勤しむ時間帯。
ミリクはベッドの上で丸まったまま。
身動ぎ一つしない。
(やっぱり、さいだいしゅつりょくが“ふらわりーきゅー”のかそーせーれーを“ぱんたれー”だけでうごかすの、きびしーなー。でも、さすがに“かがみうつしのさかずき”はわたしちゃだめだし、しょーがない……どうせ、よーりょーもくろっくもたりてないし……)
心の内にミリクは問い掛ける。当然それに答えるのは『賢者の本棚』付属の人工精霊。『栞の杖』“ギャバリー”だ。
(量子制御光子結晶のみでの実数時空演算器の構成としては、理論値性能の99.9999%を達成しています。さらなるスペック向上には縮退次元拡張術式、計算時間虚実反転術式の導入が必要です。)
(『くろ』は、おれがつかっちゃだめだもん……)
以前にタルザムから下された“『赤』と『黄』以外の魔法は使わないこと”という命令は、今でも有効だ。だからミリクは残り三つの失われた神代の魔法『青』『白』『黒』を行使する手段として、仮想精霊開発言語“ユーフォリア”で神代魔法を制御する精霊の開発し、『赤』と『黄』でぎりぎり作成可能な高密度情報媒体へ組み込み、魔道具とした。
量子制御光子結晶は確かに突き詰めれば、自己組織化などの手法で理論上『赤』や『黄』の魔法だけでも作り出せる代物。
しかし、光の波長単位の三次元微細構造加工技術が要求されるため、今の技術水準からすればオーパーツも甚だしく、三世紀分ほど先のオーバーテクノロジーである。
とはいえそれは、かつてあったものなのだからミリクにしてみれば無関係で無頓着になる。
実際、遺物として同じ素材自体は昔から見つかっており、錬金術分野において製法不明の物体の代表格とされている。
神聖魔法の鑑定では、数多の魔法陣に相当する術式が詰め込まれた物だとは分かるのだが、錬金魔法の鑑定では比較的単純でやや揺らぎのある組成のガラス質という情報しか得られない。
それはそうだ。微細構造が、光子を閉じ込める特異な性質を齎しているのであって、巨視的に組成だけを観察した所で分かるのは材料だけ。
勿論、量子制御光子結晶については、量子井戸、多重量子井戸、量子細線などとも併せて“錬金魔法による微細構造形成と物性設計”という題目で論文とし、試作品である現物と共に理事長に提出済みである。
こんな凄まじい物をいきなり叩きつけられて、研究狂いのナラナートがどうなるかなど決まっていた。
そんなわけで実はレイルウェイが、いつも通りのやばい空気になったティンダーリア侯爵家からミリクの家へ避難していた。
ちなみに、ミリクが休暇で旅行に行く算段をつけている時点でも、「まだ家に帰れそうにない……」という切実な訴えをうけ、ミリクの取次により旅行で留守にしている間、汎用演算人工精霊“シューニャ”の実験という体でレイルウェイはシムリン研究室に泊まり込んでいる。
(れりーやぜみのみんなへのおみやげ、なにがいいかなー)
ミリクは思考をコロリと切り替えて、或いはそのまま同時に、友達への土産物について各人の嗜好を考慮しつつ検討し始めた。
男は小姓使用人に礼を言ってチップを手渡し、ホテルを後にする。ランビバザー・ティースタバレーだ。
(圧が凄かった……忘れがちだけど、ミリクトン教授はまだ五歳。あれぐらいの歳の子供は、一度夢中で何かをやり始めると体力が尽き果てるまで全力で動き続けると言うし、僕等が適度にブレーキを掛けるべきだった。)
ミリクの論文の提出頻度は異常と言えた。まだ学園に在籍して三ヶ月程度の筈だが、公表されている物だけでも七篇。うち四篇は神聖魔法関係で、二篇は錬金魔法関係、一篇は仮想精霊開発言語についてのものだ。理事長を筆頭とする論文査読委員会にて査読中のものも含めれば、おそらくもっとあるのだろう。
その上、そのどれもが単なる荒唐無稽な机上の空論ではない。確かな統計的妥当性を示す実験データや再現性を担保する必要十分な条件の記載された──「いつ」「誰が」「どういう動機で」という情報が抜け落ちていることを除けば──全く隙の無い内容だ。
元より他の教授陣も、ミリクの研究がサングマの軍事機密由来だと考えているため、そこは気にしていない。なにせ論文にある通りの手順・条件で実験結果は再現するし、論理的にも破綻しておらず瑕疵は無い。
ただあまりにも規格外の量と質。人間離れしすぎて、それがどれだけの作業量、作業時間の上にできたものなのかについて、目にした者の思考を停止させていた。
そう、天才というだけで片付けられる物量ではない。
寝る間も惜しんで、という言葉ですら生易しいのではないか。本来そう思えるほどの成果なのだ。体調を崩さない方がおかしい。
(信頼して幼い子供を送り出しているのだから、それで体を壊すなんて事態に繋がるのなら、怒りを抱かれても仕方ないな……)
溜め息をつきつつ、受け取った“補充”の重みに意識を向ける。それはまるで、まだ終わりではない、と言わんばかりだった。