恵みと綻び その1
「ばいたんぎら……」
「駄目です」
「……」
ティースタバレー辺境伯領の特産品であり、冬の寒さが見え始めるこの時期が旬真っ盛りのブランド高級魚“ティスタ豪精鰻”は、貴族御用達のホテル・カリジョーラのディナーフルコースにも当然メインの魚料理として供されている。
開店当初から継ぎ足され続けているという、豪精鰻の骨から煮出した秘伝の出汁を使った甘辛い特製ソースに、刻まれた肝の奥深い苦味が味わいに立体感を与え、絶妙な火加減でふっくらと蒸し焼きにされた白身と旨味の濃縮された脂を引き立て、パリパリと小気味よい食感の芳ばしい皮と微かに痺れるような山椒の香りがアクセントとして口の中で瞬き、飽きさせることなくさらなる次の一口へと誘う。
そんな鰻の身をさらにワンランク上の次元に引き上げているのが、身の下に敷かれた銅のように赤く輝く米。
ティースタバレーの北部にて生産されている、在来種よりも甘みともっちりとした柔らかさが特徴的な、“酒米”と呼ばれる品種である。その名の通り元は酒造用に持ち込まれたこの米が、豪精鰻の旨味が煮詰められたスープと共に炊きあげられることで、それだけで官能的なまでの幸福が心を満たす。
その二つの運命の邂逅は、“暁知らぬ閨”と喩えられる程だ。
視察を兼ねた新婚旅行で国内の各地を見て回っていた第一王子夫妻もその味には舌鼓を打ち、間を置かず第一子ご懐妊という実績まで作り上げた恐るべき伝説の逸品。
ただ確かに精は付くものの重たい料理なので、病み上がりの人間に食べさせるのには向いていない。故にライザの言葉は極めて正論で、ミリクは恨めしげにベッドで丸まっていた。
「……まぁ、まだ明日と明後日もある。今日は身体をしっかり休めなさい」
「はい……」
タルザムの言葉に、丸くなった毛布からしょんぼり声だけが返ってくる。
(露骨に落ち込んでますね)
(露骨に落ち込んでるな)
どうやって慰めようかと見合っていると、部屋の扉がノックされる。
扉を開けると、そこにはホテルの使用人が腰を折って待っていた。ミリクの看病もあり人払いの言伝を頼んであったため、使用人も勝手に部屋に入らずドアの前で待機していた。
「失礼致します。サングマ様に御面会を願われる方がいらしております。御通し致しますか?」
タルザムは眉を顰め、尋ね返す。
「名は?」
「ランビバザー・ティースタバレー様でございます」
ランビバザーは、研究室生達の現地調査を早めに切り上げさせティスタ河近郊の宿に撤収後、すぐにミリクトン教授の居所を学園事務局に問い合わせた。
ティンダーリア魔法学園に限った話ではないが、教授ともなると休暇中でも緊急時に連絡が付くよう、移動先や宿泊先の情報を予め申請しておくことになっている。おかげでそう時間もかからず、ミリク達がティースタバレー辺境伯領の中央領都、ホテル・カリジョーラに滞在していると分かった。
中央領都まで早馬で駆け、夕食時にはホテルのロビーに到着した後、フロントスタッフにミリク達への面会の依頼を行なった。
小姓使用人に案内され、途中から他の使用人に取り継がれつつ着いた先は、ノーブルスイートルームの応接間。
ノーブルスイートルームは、客室と銘打ってはいるものの、その間取りは実質別荘と言って差し支えない。貴族階級向けだけあり、寝室だけでなく浴室、トイレ、化粧室は勿論のこと、キッチンにダイニング、従者のための控室も完備している。そして上流階級は旅先でこそ、ひっそりと人を招いたり招かれたりする機会が多く、当然ノーブルスイートはそんな需要にも応えており、客室内に密談も可能な応接間が設けられている。
と、応接間に足を運ぶまでは順調だったものの、ランビバザーはここで躓くことになった。
「……ミリクトン教授が体調を崩されているのですか」
その問いに対し、どっしりとソファーに腰掛けたままタルザムは素っ気なく肯定する。
「そうだ。ご足労頂いたのに済まないな」
この素っ気ないタルザムの態度は、“そうしないと貴方はすぐボロを出すから”と、サングマ家の強者達に徹底的に扱かれた結果の妥協点だ。
元々立場として、タルザムはサングマ分家伯爵家現当主の弟で、なおかつサングマ主家辺境伯家の近衛騎士団副団長という職位持ちの貴族。そしてなによりミリクの保護者でもある。一方で、ランビバザーはティースタバレー辺境伯家の嫡子だが書類上は十年以上前から既に廃嫡となっており、職位はミリクと同じ教授であるものの平民だ。
やや横柄な対応をタルザムがとっても問題は無い。むしろ不用意に頭を下げれば怪訝に思われる。
「いえいえ。元よりミリクトン教授は休暇中ですし、先触れも無く赴いたのはこちらの方ですから。ご自愛くださるようお伝えください」
そして肝心のミリクは、ライザに看病されながら寝室で丸まって面会謝絶状態。
タルザムはランビバザーの言葉に「分かった、明日にでも伝えておこう」と了承し、取り合えず具体的な状況として、ミリクは今熱を出していて寝かせている、ということをフワッと伝えた。
「まだ小さいのに、この頃随分と忙しくしていた。本人は楽しそうだったが、それなりに疲れが溜まっていたのだろう。いい機会だと思って、しっかり養生させるつもりだ」
タルザムにそのつもりは無かったが、魔物とはまた違った歴戦の騎士が纏う強者のオーラに気圧され、その素っ気ない態度も相まって、遠回しに“うちの息子が忙しかったのは、お前に渡してる魔道具のせいでもあるぞ”と暗に怒りを抱いているようにランビバザーは感じさせられた。
「そう、ですね……お貸しいただいた魔道具については、本当に助かりましたとお伝えいただけますか? 何人もの生徒が命を救われたと言っても過言ではありません」
感謝と謝罪を込めて、頭を下げるランビバザー。
だがタルザムはその言葉を受け取って適切に処置することより、ミリクからの頼み事をどう切り出すかで頭を悩ませていた。
「分かった、伝えておこう。あぁ、そうだ。その件でミリクから預かっている物がある。補充だそうだ」
若干無理矢理な話運びをして、タルザムがゴトリと重みのある音を伴い机の上にその物品を並べる。
それは、ランビバザーにとって見慣れた物だった。
丁度柄を半分に切り落としたような物体。
その表面は無色透明のガラスで覆われ、内部は金属質の質量で満たされている。中心部には本体との接続のための穴が空いていた。
ミリクが貸し出した、“生命を保つ者”と“蒼穹に赫く燃ゆる虎よ”、二つの仮想精霊が宿る特製の杖。そしてランビバザーが今日早速〈無貌〉を相手したことでその大半を使い切った、杖の魔力源たる“何か”が詰まった柄のパーツ部分だ。
それが三個、ランビバザーの眼前に並べられた。