天の試練 その6
2020/06/04 ランビバザーさんの台詞に年齢と合致しない部分があったので直しました。
天を衝き聳り立つ純白の眩き光の柱。
そんな光の中にあって尚、ポッカリと世界に空いた穴のような虚無と混沌を思わせる黒。
「もう少█、遊び█かったので█が、残█で███……」
だが形は今やその殆どが崩れ、剥がれ、中身が見えている。
「権能『切除』、行使完了」
光が消え、何事も無かったかのように世界が胎動を再開する。
そうして拭い祓われ、一人の憐れな男が露わになった。
その男はそのまま抗えぬほどの虚脱感から、愕然と膝から崩れ落ちる。
「────……ぁ、あァ……!……神よ?! 神よッ!!? ……私の神よォォオオッ!!!!」
目の焦点が合わず、それでも“神”が消えたことを徐々に認識したのだろう。どこにそんな力が残っていたのか、男は己の頬へ掻き毟るように両の指を喰い込ませて絶望に染め上がった声を荒げた。
しかし刹那の間に一転して無言になったかと思えば。
その表情は──笑っている。
口角を限界まで吊り上げ、目は見開かれ、穴と言う穴が顔面を引き裂かんばかりに歪む。
「そうか! そうかッ!! そういうことでございましたかァ!!! 凡俗の穢れに満ち溢るる地上にこの身があってはッ!! 至上の御手に触れることも叶わぬものォ!!! ということでございましょう??!!!」
この場にいるのは彼だけではない。
ランビバザーもいる。だが完全に興味を失っていた。
眼前に居るのが未知の魔物ではなく、既知の生物だからだ。
「それでも尚、我が身を御座にされ、不浄なる穢土まで降臨なさった!! 僥倖! 恩徳!! 天寵!!! これぞ真なる神愛の験也ィィイッッ!!!!」
つまらない狂気。
取るに足らない狂態。
面白みのない狂信。
価値のない狂人。
次々と声高に吐き出されるのは、無意味で無益な騒音だ。
冷静になったランビバザーは、むしろいるはずであろう小さな“影”を探した。
「『静かに。』」
息が止まる。
いや、違う。音が出ない。
声が、ではなく。
音が、出ない。
静寂。
天から降り注ぐ高く澄んだ声の残響。それ以外のあらゆる音が世界から消え失せる。
“影”は上にあった。
「『これはまた随分と酷く汚れたものだ。暫らくは濯ぎ洗わないと。』」
小さな手が緩やかに伸ばされる。
「『ひとまずは退けよう。汚れが他に移ると面倒だ。』」
男は消えた。
追われることも、責められることも、罰せられることも、痛めつけられることも、赦されることも、認められることもなく。
ただ、消えた。
「『喪われたものの補填は“向こう”にも掛け合わなければ。けれど他は許容範囲内。皆、強い子達になっているようで嬉しいね。』」
何故かは分からない。理解からないが、ランビバザーはその言葉を認識した途端に、全身が歓喜で満たされ打ち震える。そんな自分を、客観的に捉えていた。
(これは……“福音”、というやつかな?)
神は実在する。それは知っていた。ランビバザーは疑ったことなどない。
しかしそれが篤い信仰心に繋がっているかと言えば、そうではなかった。
風が当然存在するように、土が当然存在するように、神も当然存在する、というだけ。
必要不可欠だがあまりにも自然に、当たり前に、在る。それだけに、そこへ感謝し続けるということはとても難しい。
その上、“原典”どころか一般家庭にも頒布されている“概典”にすら、『不信心を悪と責めないように。』とはっきり記されている。
(確か、『それでも構わない。私は感謝を求めていない。感謝は今を生きる者達同士でし合いなさい。私はその様であれる世界を求めているのだから。』みたいな話だったかな)
二十年以上前か、それぐらい昔の子供だった頃だ。
実家を離れる前に聞いたのだろう、教会の司祭による説話。それをぼんやりと思い出していた。
「『そう。感謝するなら、この身体を私に貸してくれたものにするといい。』」
心を読むぐらい当然か。
そう思う間もなく、小さな天使は姿は既にどこにも無かった。
タルザム達は御者に指示し、ミリクが消えたと同時に出現した光の柱が見えた方角へ、馬車を疾らせていた。
しかし中央領都を通過しようとしたとき、車内にミリクが突如現われたことで、その移動は中断となる。
必要以上に騒ぎ立てず、タルザムは立ち上がり再度御者に指示を出そうとすると、ミリクはふらふらとタルザムの足元にもたれ掛かり、そのまま寝息を立てて眠ってしまった。
流石に慌てて、ミリクのその小さな身体を抱えて支える。
「っと、ん?! ライザ、この熱は不味いよな」
ライザがすぐに駆け寄り、ミリクの額と脇に素早く手を当て熱を測る。手慣れたその動きはまさに二級治癒士のものだ。
「そうですね、すぐに散らしましょう」
ミリクの身体から生暖かい風が吹き上がり、窓から車外に抜け出ていく。ライザの“放熱する息吹”によって強制的に過剰な熱量が風に乗って体外に放出された。
これは風属性魔法。つまり、神聖魔法ではない。氷属性を使わないのは、あくまで身体に優しく体温を落とすためだ。
ライザは治癒士として、神聖魔法以外であろうと治療に役立つ魔法は広範に習得している。それどころか魔法ではない手技も多数存在する。状況によって柔軟な判断が求められ、いくつもの魔法を繊細に駆使し確実に救うこともあれば、魔力消費を最小限にして可能な限りの多くを救うこともある。
この“手段不問”という治癒士のポリシーは、そのトップである枢機卿、『白』のアリヤが多大な時間と折檻と労力と暴力によって世間に常識として浸透させたもの。彼女の偉大で過剰で苛烈な功績の一つだ。
「原因が未知のものです。これ以上無理に熱を逃がしすぎると却って悪くなるかもしれません。後は寝床で静養させて、消化に良いものを揃えておくのがいいでしょうね」
「ひとまず治癒院に行先を変えたほうが良いか」
「いえ……人の目もありますし、このまま予約していた宿で休ませた方が落ち着けるでしょう」
治癒院は身分の貴賤に関係なく、不特定多数の全ての人に開かれている。
個室もあるにはあるが、ミリクの秘密が露呈する可能性がどうしても高くなってしまう。それなら、宿の一室を自分で治癒院にした方が確実。ライザはそう考えた。
何せ二級治癒士は本来一つの治癒院に二、三人いるかどうか。他の大半は三級と四級に、手伝いの修道士達で、それでも何とかなっているのは、何とかできるだけの人間でなければ二級にはなれないからだ。
それだけの人材を貴族が囲って独占しないのは、やはりアリヤの功績である。
どういうわけか即座に嗅ぎつけ、一夜にして物理的に家が更地になってしまうのだから、ただただ偉大と言うほかない。
これだけ周知されているにも拘らず、無知な成金やドラ息子というものはどうしても世に生まれてしまうもので、今でも年に一つくらいの割合で家が消えている。
ともかく、子供一人に二級治癒士がマンツーマンで張り付くなど過剰も良いところなのだが、ことミリクに関しては、普通の小児と同じ対処で大丈夫なのかの見極めなど、とてもではないが同じ二級だろうと他人に任せられない。
うっかりミリクのセキュリティに抵触しようものなら一瞬で死人の山ができてしまうというのもあるが、それ以上にミリクの人権や自由が損なわれることを、タルザムもライザも避けたかった。