天の試練 その4
王都から東へ伸びる街道を馬車で進み、途中街道沿いの宿場町で二度寝泊まり。そうして王都を発って二日後の昼前には、タルザム一家はティースタバレー辺境伯領の関所を抜けていた。
早速昼食に豪精鰻をとタルザムは考えたのだが、関所の門兵曰く地元でも高級魚であるティスタ豪精鰻の“本当に美味しい店”は、領都近郊や川沿いの専門漁師達の魚河岸にあるとのことで、ひとまず昼食は関所近辺の宿場町で取ることになった。
ちなみに門兵はサボっていた訳ではなく、国内側の関所担当はその領の簡単な観光案内も仕事に含まれている。
それだけキャッスルトン王国の情勢は安定しているということだ。
「こちらに実際に来たのは初めてですが、工房が多いのですね」
馬車の窓からは、領土からはまだ離れた場所にも関わらず、様々な時計屋や金物細工店が立ち並んでいた。立地的に言えば、帰りがけの土産としてという店である。
「あぁ、元はティスタ河沿いに沢山あった遺跡から出土する遺物の解析を生業としていたものが、冒険者達に一通り発掘しつくされて落ち着いた今は、時計や機械仕掛けの製品なんかを作ってるらしい」
ティスタ河の河岸段丘には、遺跡に繋がる洞穴が多く存在する。と言ってもその殆どは五十年以上前に既に冒険者や研究者達に調べ尽くされ蛻の殻。これでもう少し安全な場所であったなら観光名所にでもなるのだろうが、残念ながら地質的にも地理的にもリスクやコストと採算が合わず、結果として許可を得た関係者以外立入禁止状態である。
そんな過去の遺物研究で培われた技術は今や機械製造産業に変わり、特に現在のティンダーリア辺境伯領では時計が名産となっている。“剣はサングマ、杖はパニアータ、針はティンダーリア”とも言われ、この高い精密加工技術により、武具由来であるサングマの金属加工技術との差別化を図っている。
何故タルザムがここまで他領の産業に詳しいかというと、ミリクからティンダーリア領の情報が垂れ流されていたからだ。聞いたのではなく、記憶が共有化されているというのが近い。自身の既知の知識を思い出すようにスラスラと言葉が出てくる。
それは本来恐ろしい違和感を伴うはずだが、タルザムは若干感覚が麻痺してきていた。慣れた、とも言う。
「先程の関所の門兵の方も“スラックレリ大時計塔”をお薦めしていましたしね」
約三十年前に当時の加工技術の粋を集めて建立された中央領都スラックレリに聳える大時計塔。しかし今ではその機構が掌に収まるのだから、どれだけ精密加工に力を注いだのかが分かるというものだ。無論、金を持った大商人や貴族にしか手の届かない高級品だが。
そういう背景もあり、ティンダーリア辺境伯領では時を知らせるのは教会ではなく各町の子時計台の鐘の音。と言っても無関係な庶民からしたら違いなどない。
技術アピール目的で盛り込まれた、通信魔法を応用した高度な同期機能により、子時計台は分単位でスラックレリ大時計塔と一致しているため、他の領より遅刻の言い訳がしにくいぐらいだ。
「ミリクも観に行きますか? ……ミリク?」
ライザの言葉に、しかしミリクは言葉を返さない。考え事をしているように、視線は何に向けられるわけでもなく宙を漂ったまま。
「ミリクどうかしたか?」
そう尋ねつつ、タルザムもライザも半ば確信めいた嫌な予感を胸中に立ち込めさせていた。
《警告。パニアータ辺境伯領外縁部、ヤージ森林帯に外宇宙神性分霊顕現体、及び隷属体を複数確認。識別名〈黒山羊宮〉で確定。
脅威度戦略級。事象予測誤差0.00042%。
事前処置による対応可能範囲内のため、現状行動不要。
なお、依然として現実改変源の特定には至っていません。
現時点での予測では、94.2%の確度で〈無貌〉によるものです。その性質上、未観測状態からの初回捕捉は困難と考えられます》
「ん??」
タルザムの脳内は、処理できない疑問符と空白で埋め尽くされる。
その様子にライザは目を微かに細め、小声で尋ねた。
「やはり、ギャバリーから何か報告が?」
「あ、あぁ。いつもにも増してまったく意味が分からなかった。……ちょっとライザにも同じ内容を伝えてくれないか」
ミリクの小さな頭がこくりと頷く。全く同じ警告文がライザの脳にも疑問符の跡を撒き散らして駆け巡る。
「これは……分からないですね」
ライザはその内容に眉を顰める。
「……ひとまず緊急で動く必要はない、ということぐらいでしょうか?」
「そう、だな」
タルザムもライザの解釈に首肯する他なかったが、ミリクが申し訳無さそうに口を開く。
「……おでかけのまえに、じゅんびしたりおねがいしたりしたけど……でも……」
シュンと背中を丸め落ち込んだ様子の小さな身体から、けれど無機質な声が続く。
《現実改変源と予測される〈無貌〉が確定観測された場合、現実性侵襲による四界接続の破綻を抑止する為、各種自立制限を限定解除し『神権』の一時拝領後、『使徒』として直ちに処理します。なお、『栞の杖』搭載の『使徒』機能は、専用の『司教杖』ほど最適調整されていないサブ機能のため、特に時間的な制約を抱えており、連続安定稼働は90000秒が限界となります。》
「へぇ……」
タルザムは知性を感じさせない生返事をした。全く頭に入ってきていない。
一方でライザは目を剥き、無視できない単語を思わず訊き返す。
「『使徒』、とは……まさか、ア、『神の使徒』……です、か?」
『神の使徒』と『最古の五聖人』。
それは、現代における教皇と五色を冠す枢機卿の元となった神話。
聖書では創世記の後に、“揺らぎ”の残る世界を安定させるため天より遣わされたとされる六柱であり、世界を巡ることで神が齎した『五つの恩寵』を満遍なく世に行き渡らせたとされる、神使にして神の代行者達だ。
彼等の人柄については不自然な程記載が残っておらず、多くの聖職者・神学者の間では“人ならざる上位存在”と解釈されている。中でも『神の使徒』は『五聖人』を束ね、その意思決定を通じて神の意思をこの世界に反映する者としての役割を担っていたとされている。
《聖書“原典”上に記載の『神の使徒』との因果関係は、不明です。しかし記載されている内容については解釈次第で再現可能です。これには『使徒』機能を使用せずにできるものも含みます》
「……そういえばバタジア様の『悪しき青の蟹』? だかを治したのもそうだったな、確か」
「そう……ですね」
ミリクは以前、サングマ本家のバタジア先辺境伯夫人の脳に巣食っていた『悪しき青の蟹』を『使徒』としてではなく普通の状態で完治させた。それは神代の魔法の精緻な制御によるものであり、まさに『五聖人』の『按手』に相当する聖書の逸話に等しい奇蹟。
そういう意味では今さらであり、むしろ『神の使徒』が我々の考えているよりもとんでもなく遥かに特別な存在なのではないか、とライザは息を呑んだ。
なにせ、『賢者の本棚』をして『使徒』として振る舞えるのは時間制限付きだと『栞の杖』は言っているのだから。
「“『使徒』として処理”とは、どういったことを――」
そうライザが尋ねようとしたとき。
ミリクが、立ち上がった。
《緊急警告。“生命を保つ者”影響領域内にて〈無貌〉を確定観測。『神権』一時拝領──完了。》
耳鳴りがした。
音が聴こえない。
目が眩んだ。
光しか視えない。
己の感覚の全てがあやふやな中、しかしその姿と声だけははっきりと捉えられた。
その背から溢れるように幾重にも広がる光のベールは、極地の夜天に揺らぐ極光。それは翼のようにも羽衣のようにも、或いは後光のようにも思える。
瞳は、普段の深い青の上を白銀が覆い、虹のように移ろう色味を滲ませる。
そして、後頭部に浮遊する、柔らかくも明瞭に光輝く円盤。
その姿は『神の使徒』というより──
「天……使……?」
どちらともなく、二人の口から自然と零れ落ちた。
ミリクってばマジ天使(※天使の絵文字)
ついついルビ振りたい病が……