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五色の書  作者: 鳥辺野ひとり
ティースタバレー辺境伯領
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天の試練 その3




 くぐもった呻き声が聞こえる。


 臓腑や脳髄を保護する骨格が砕けて潰れ、湿った半固形物が中から零れ落ちる音が聞こえる。


 命が(むさぼ)られていく音が聞こえる。



「足りませんね。ん〜、全然。まずもって数が足りていない」



 周囲から響く、すりガラスを擦り合わせたかのような不快な無数の音。

 主人から吐き出された不満を滲ませる言葉へ呼応するように、謝罪するように、(ゆる)しを(こいねが)うように、それらは鳴き、声で空間を埋め尽くす。


 常人には耐え難いそれに、しかし苦しむ者はこの場にいない。



 もういない。



 全て捧げられたからだ。



「ん〜ん、ここは“鳥”だけと惜しまず、“狩人”も使いましょう」


 男が口角を上げ服の隙間から、先日まではそうではなかったはずの黒くなった肌を覗かせながら、闇に融けるような両手の指を人体には不可能な角度に幾段階にも折り曲げ(うごめ)かせる。


 それはそのまま歪みを生み、幾何学的に破綻したようにすら見えた。

 それはそのまま空間を裂き、物理学的にこの世界に穴を開けた。


 だがそれだけ。何も変わらない。


 それは当然だ。


 何せ“狩人”は不定形にして不可視。

 もし仮に視認できたとして、その異形は人間の理解の範疇にあるものではない。



「折角久し振りに此処に来たのですから……ん〜ん?

 嗚呼でも、上手くいかないのですか……気付かれてるとは判っていましたが困りましたね。

 この器では対応できそうにない大きさの力……それに炎遣いも中々鬱陶しい……炎だけでも反対側に寄せときますかね。

 そうだ、あの雌山羊なら人の二つ三つでもあれば一部を此方に充分()べるでしょう。ええ、確かこういうの、“壁尻”とか言うんでしたかね。ん〜愉快愉快」


 冷たい洞窟の中、伸ばされた黒い男の腕に、早速“狩人”が少々貧相で薄汚いものの鮮度の良い人体を齎す。それらはまだ狂気で自死を図る程度には生きている。とはいえ最早誤差のようなものだ。


「こんなので良いのですから、本当に貧乏舌ですよね。そう思うでしょう?」



 笑い声と悲鳴。


 千切れて潰れ、飛び散る音。


 ティスタ河の轟きは、その全ての音を飲み込み掻き消していた。





 キャッスルトン王国の東端、ティースタバレー辺境伯領の中央領都スラックレリからそのままさらに東に進むとあるのは当然領壁であり、その先にあるのは天然の国境。

 自然堤防由来の足場の不安定な見通しの悪い林、そして所々が崖のような河岸段丘に、橋を架けることが技術的にも政治的にもできていない急流の大河ティスタ河。


 そんな魔物と亡命者と盗賊の潜む国内屈指の治安の悪い危険地帯へと歩みを進めるのは、引率者が操る風属性魔法による被膜“静寂の帷幕(サイレントベール)”で、自身らの発する音と臭いを隠蔽している若い男女四人組。


 いや彼等だけではない。四人組のグループが全部で三つ。各々の指定された観測ポイントに向けて移動している。

 彼等は、所属する研究室(ゼミ)では御用達の、王都の流行や気品と言ったものを切り捨て実用性を重視した緑と褐色の斑模様にフード付きの外套(オーバーコート)を揃って着用して林を進む。

 林の中その迷彩効果を存分に発揮している様子は、さながら行軍訓練だ。


 背が高く不揃いに茂った草により地面の段差も禄に把握できない悪路を、彼等は素早く移動する。

 足並みを乱さずにいられるのは、貴族の子息子女とはいえ最高学府にて研究室(ゼミ)生まで上り詰められるだけの実力者達だというのも勿論あるが、それ以上に率いる上級生の巧みな先導の手腕によるものだった。


「あの、リンダ先輩」

「どうかしたサム君?」


 後輩の声に振り向いた彼女は、この班を率いるランビバザー研究室三年生、リンダ・ボープ・ガリングクロス。


「結構迂回してますけど、直進ルートは危険なんスか?」


 そう尋ねる青年は、ランビバザー研究室一年生、サムザー・ボープ・ドゥレイルだ。

 リンダは薄く微笑み、その問いに答える。


「そうね、私と教授だけなら直進でも良かったけど、今は貴方達新人を安全に案内するのが目的だもの。ミリクトン教授の魔法があるとはいえ、それに甘えて四肢を減らしてたら、私が減点されてしまうわ」

「そうなのですか……それはそれで手足の()げた男子勢の観察と言う得難い経験になるかとも思ったのですけれど、仕方ありませんね」

「……俺はリッシュの肉壁役なんか御免スからね、先輩」


 同輩であるリッシュ・フォープ・クローナル・キャッチメントのやや猟奇的な好奇心に顔を(しか)めて、リンダへ抗議するサムザー。


「……僕、この辺の魔物について下調べしたんですけど、もしかして迂回した辺りは何か巣とか縄張りがあるんでしょうか」


 同じく一年生の青年、ルラガーン・フォープ・カークホールがおずおずと自信無さげに呟く。


「ルー君は何の巣だと思う?」

「……地下なら貪食矮土竜(ファーゴタルパ)、地上なら草に紛れて捕食植物の脚捕草(レッグイーター)、樹上なら仟翠蟷螂(ミルフィマンティス)……でしょうか」

「うんうん正解。なんだ、分かってるじゃない。あそこにはそのみんなが仲良く揃っているの。攻性魔法の判断が遅れれば、あっと言う間に君達は合挽肉になれるわ」


 貪食矮土竜(ファーゴタルパ)によって脆くなった地面に脚を取られれば、そのまま食い散らかされる。脆くない地面には脚捕草(レッグイーター)蔓延(はびこ)り、文字通り脚を奪われ肥料になるだろう。そんな地面ばかりに気を使っていると頭上から木々の葉に擬態した幾千の仟翠蟷螂(ミルフィマンティス)の群れに上半身を細切れにされる。


 とはいえ本来ティンダーリア魔法学園で研究室入りできる程の者ならば、高威力の属性魔法を放つことなど造作もない。

 高等部(ギムナ)を卒業している時点で、火・水・風・土の下位四属性全てに加え、熱・氷・雷・金の上位四属性のうち二つ以上ないし錬金魔法か特異魔法、神聖魔法が扱えるということだからだ。


 実戦で十全に使いこなせるかは勿論別の話とはいえ、少なくとも理想的な環境下であれば、雷で、炎で、岩で、並の魔物の群れ程度は容易に殲滅できる。


 だが、彼等は今回あくまでも生態観察に来たのであり、当然ながらその場の生態系を破壊してはいけない。

 己の痕跡を極力残さないようにしなければならない。


 緊急時を除き、彼等は教授から環境に影響が残るような魔法の使用を禁じられている。


 これはランビバザー研の常識であり、呼吸の仕方を教えているようなものだった。



 当のランビバザー本人はしょっちゅう魔物を切り刻んでいるが、それはそれである。どのみち彼がやらなければ冒険者達に討伐依頼として転がり込むものばかりなのだから致し方ない。



 致し方なく、そしてこの上なく。



 大切に楽しんでいると、本人は朗らかな笑顔で語るのだ。





 それはともかく、彼等は予定の観測地点も間近といったところで、急遽足を止め息を潜めることになった。


 一年生達は突然周囲に溢れた禍々しい魔力の圧だけで、声を失い、身動きも取れない。


 本能的に、身体が死を感じ取ってしまっている。



 だが、リンダはまだ動けた。こういう時こそ動けなければならない。そう叩きこまれてきたからだ。



 彼女は平静を保ちつつ、“潜望魔法”──光を捻じ曲げることで隠れた位置から対象を観察する、“望遠魔法”に似た理屈の魔法だ──を駆使し、最小限の魔法で木々の向こうの光景を映しだす。



(右足に捕らえられてるのは、おそらく対岸からの亡命者。まだ生きてはいるみたいだけど……でもあの魔物は何……?

 中型飛竜(スカイドラゴン)の亜種……新たな変異種の可能性もある、か。でも、この魔力の質は異常ね……)



 そこに居たのは、報告に無い未知の魔物。



 象のような胴に、(たてがみ)のある馬のような首と頭。脚は鳥類のように華奢で、とても己の重量を支えられるものには見えない。なによりそれらは鱗で覆われており形状とテクスチャが噛み合っていない。

 そして前足を備えた蝙蝠にも似た特徴的な翼。それは、シルエットだけを見れば飛竜(スカイドラゴン)を彷彿とさせる。鉱物の結晶のようなものが翼の骨格に沿って付着しており、魔物ならば土属性の魔力を保有している可能性が高いと考えた。


 土属性は物体の運動操作の魔法を包含しているので、空棲で中型以上の大きな魔物は風と土の二属性を保有していることが多く、これはおかしな判断ではない。


 故にリンダのような()()()をしても仕方がない。


 この“鳥”は確かに土属性かもしれない。だが本来これはこの世界には存在しない。

 全く異なる法則のものだ。


 そういう意味では魔力とも本来は言い得ないその異常性に彼女は気付けなかったが、少なくとも彼女は見たことがない新種の魔物であるという判断はできた。


 しかもそれが人間を捕獲している。


 これで警戒しないほうがおかしい。


 少なくともここで捕えられている亡命者を助け出さんと飛び出し、後輩の身を危険に晒すという判断をするほど、彼女は愚かではなかった。



「私の方で状況の記録は済んだから、皆は観測中止。即時撤退よ」



 全員が首肯し、いざ撤退しようとした矢先、リンダは“静寂の帷幕(サイレントベール)”が動かせないことに気付いた。


 いや、動かせないのではない。


 無くなっている。




「おや、おやおや、良いじゃないですか実に。中々に品質が良い。嗚呼でも……どれも面倒なものが絡み付いていますねえ。どうにも其れを剥いでからじゃないと使えない、ん~困った困った」




 黒い。



 声の主と思しきそれは、まるで人の形の穴のよう。


 愉快そうなその黒色の人型は、その手に何者から()いだであろう腕を握っていたが、それはすぐさま掻き消える。



 そうして()()()()()左腕は、背にいる後輩を庇うように横へ正しく伸びていた。



 リンダはそこでようやく己の左腕が、ミリクトン教授による“面倒なもの(生命を保つ者)”の検証のためだけに、眼前の脅威によって切り取られたのだと認識できた。




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