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五色の書  作者: 鳥辺野ひとり
ティースタバレー辺境伯領
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天の試練 その1




 キャッスルトン王国には、沖合いの棲む縄張り意識の強い魔物により事実上浅瀬以外封鎖されている南方の海を除く、北・西・東の三方を治め国を守護する三つの長大な辺境伯領がある。


 北方国境。

 万年雪を湛えたシンガリラ山脈に面する、武器商人の聖地。最も人による諍いを警戒せねばならない地。

 サングマ辺境伯領。


 西方国境。

 “魔の森”ヤージ森林帯に面する、冒険者達の夢の都。最も魔物による災害を警戒せねばならない地。

 パニアータ辺境伯領。


 東方国境。

 戦禍を隔て魔物を孕む急流の大河、ティスタ河に面する、亡命者達の希望の楽園。人も魔物も共に警戒しなければならない地。

 ティースタバレー辺境伯領。



 そのティースタバレー辺境伯家の末っ子五男にして、既に継承権を破棄し貴族本家称号(“フォープ”)領地貴族称号(“クローナル”)を捨てた代わりに、王国随一の高等教育研究機関で教授の座に登り詰めた男、ランビバザー・ティースタバレーは、しかしながら実家との仲が(兄達からは諸事情により怖がられているが)険悪というわけでもなく、冬の気配が見える寒空の中いつものように自身の研究室(ゼミ)生を引き連れその領地に足を踏み入れていた。


 領の内壁を越えた彼らの眼前に広がるのは、書類上は民家が一つもないことになっている、自然堤防に広がる見通しの悪い林。

 上りの斜面かと思えば突如崖になり、足を取られようものなら、地面のシミか獣や魔物の餌。或いはティスタの奔流にその弱い命が飲み込まれる。

 その上ここは()()()()()()

 書類上領民はいないというだけで、領内を堂々と歩けない賊や、戦乱の最中の対岸から命からがらやって来る貧しい亡命者達が隠れ住んでいる。


 王都の貧困街(スラム)とは比べ物にならない、王国屈指の治安最悪危険地帯だ。


「皆さんご存知かと思いますが、これから向かうティスタ河岸段丘は命の危険がある場所です。

 特に一年生は護衛が居るからと気を抜かず、かといって気を張りすぎて肝心な時に動けなかった、なんてことがないように。

 三年生は先輩としてきちんとサポートを。後輩に経験の差を見せてあげてください。いいですね?」


 ランビバザーの前に並ぶのは、九名の一年生と五名の三年生。


 教授の言葉に対し、はい、と平静に淀みなく返事をするのはやはり三年目の面々である。

 一年生は周囲に張り詰めた講義とは全く異なる緊張感に、息を呑んでぎこちなく頷くばかり。


 いくら魔物生態研究に興味があるからと言って、実際にその危険に近づく機会など普通は無い。

 なんせ研究室(ゼミ)まで上がるような者は、大抵は王都近郊で育った貴族の令息達。箱入りであり、“家”から“学園”にその箱が変わっただけという人生を歩んでいる。

 魔物は素材や剥製、資料や物語でしか見たことがない。

 だから気軽に興味を持てる。好奇心ばかり伸びる。


 ここにいてそれでは、そのままでは、早死するのだ(使い物にならない)


 彼らは“夢見る子供”から、“第一線の研究者”にならなければならない。


 このフィールドワークは昇級試験とは違う、真の意味で卒業の儀礼であり、参入の儀礼。



 人格矯正ブートキャンプとも言われている。



 しかし幸いなことに、今年はそのハードルがいくらか下がる。その下がり具合を一年生が知る術はないが。


「さて、今回ミリクトン教授から素晴らしい支給品があります。石鹸と消臭剤はもう既に皆さんお世話になっているでしょう。おかげで僕も悪臭に気付きやすくなりましたね。ははは。

 今年の一年生はとっても幸せ者ですね」


 一年生の最初の二ヶ月程は魔物の生態についての知識をひたすら詰め込む講義で、その後の実際に魔物を解体する実習が始まる頃には、ミリクの石鹸と消臭剤がランビバザー研究室に普及していた。

 だから彼らは寝ても醒めてもいくら洗ってもこびり付いて離れない、小邪鬼(ゴブリン)の血肉の臭いのしつこさを知らずに済んでいる。


 三年生達は適度な緊張感を保ちつつも、教授の言葉に同意するよう口元を緩める。

 本当に臭かったのだ。

 特にランビバザー教授本人が。


「ですがそれだけではありません。ミリクトン教授からは最新の魔道具を預かっています」


 ランビバザーは一見すると柄が少々変わったデザインをしているだけの魔法の杖を学生達に見せる。


「『命を留めよ、“生命を保つ者(リーヴスラシル)”』──ん、複数の時は対象指定が求められるんだ。なるほど、意識向けて振るだけでいいんだね」


 チョンチョンと小さく杖が振るわれると、次々に生徒と護衛達の身体が黄金の皮膜で覆われていく。最後には教授自身もその光のベールに包まれた。


「確定、と」


 杖先をくるんと小さく回すと、その光は各々の身体に吸い込まれて消えた。


「これはどういうものかと言うと、正直どういう仕組みかは分からないんですけど、あらゆる状態異常、あらゆる負傷を無かったことにする効果があります」

「防御や治癒とは異なるんですか?」


 三年の学生の一人が尋ねる。だがランビバザーはその答えを持ち合わせていなかった。


「うーん、そうですね。僕にはそうは見えないんですよね……皆さんも見てみてください」


 そう言いながら腰から剣鉈を抜き出し右手に握ると、余りにも自然に、微塵の躊躇いもなく、己の左腕へと振るった。


「きッ……!?」


 ランビバザーの左腕が鮮やかな筋肉(にく)と骨の断面を確かに垣間見せ、溢れる血と共にズルリと地面に引かれて落ちていく景色が全員の網膜に届く。切った後から腕がずれ落ちるという剣鉈の分厚く重い刃で成したとは思えない、そもそも突然の自刃という凶行に誰も頭が追いつけない。

 しかし、気付いて誰かが声を上げんとした時には、まるで映画のフィルムを途中で切り貼りしたように、何事もなく嘘のように腕は繋がったままだった。


「ちなみにこれ痛みは普通に感じますから、自分で試すなら指先くらいにしてください。魔力も勿体無いですし。

 見て分かったかと思いますが、赤光壁のような攻撃を止めたり弾く防御ではないです。普通に当たります。そして治癒でもありません。命を損なう現象そのものが途中で()()()()()()()()()……としか言いようがありませんよね、これ」


 左手を開いたり閉じたりしながら、ううーん専門外だからよくわからないけど神聖魔法や特異魔法の類なのかな、と唸る教授に、いやだからっていきなり腕を切り落とすか? と戦慄する一年生達。

 しかしすぐその隣で一部の三年生が、自身や友人の指を潰したり燃やしたりし合って、ほんとだ滅茶苦茶普通に痛いけど傷の種類に依らず無かったことになるんだ、と感心していた。

 教授と違った、間近から放たれる生々しい音や臭い付きの刺激に青褪める一年生達。


 ランビバザーはうんうんいい感じ、と微笑みつつ取り外し可能な杖の柄の下半分、金属質の残量を確認する。三年生達の試行でジリジリと減っているが、全体の10分の1も減っていない。

 手を叩き、生徒達の視線を再び集める。


「さて、この通り命の保証は今までとは段違いですが、その分痛みから逃れることができません。何せ巨蒼牙鰐(ディグノガビアル)なんかに水刃で刻まれようと噛み千切られて飲み込まれようと元に戻りますから、脱出できないと何度も延々と……まあその前に助けますけどね、流石に」


 彼等も巨蒼牙鰐(ディグノガビアル)についてはよく知っている。

 水魔法と幾百の牙で獲物をズタズタにして喰い散らかす、人の十倍はある巨大な鰐の魔物。

 約七年前に教授自らが記録した詳細なレポートと共に多くの標本、剥製が作成・保管され、講義でも水棲の魔物の代表格として取り扱われた。


「ともかく、油断することの無いようにしてください。僕はずっと見ていますが、基本手は出しません。異常があればすぐ連絡するように。その辺りの判断も含めて評価しますからね」


 では始め! というランビバザーの言葉に、一年生達は怯える時間すら与えてもらえず、事前に決められた観測ポイントに向け林の中に飛び込む他なかった。




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