青の座 その2
教会本部を前にバダンタムは流石に覚悟を決め、仕事モードに切り替える。
伊達にこの歳で何年も大司教の地位にいるわけではない。
クソオヤジ共から口撃でもみくちゃのボコボコにされたって、夜に枕を濡らす程度なのだ。それはもう、びしょびしょに濡らしていた。
その度にナグリに頭を撫でて宥められては、俺の方が歳上なのにとか、むしろあのクソジジイ共を殴りに行ってくれないかなとか考える日々だった。
そんなジジイも今ではすっかり数を減らしてしまったのだが。
礼服に着替え、聖堂へと向かう。
石に囲われた空間は、ヒヤリとした冷気を漂わせ、二人の足音だけを響かせた。
そうして聖堂の扉の前に立つと、見計らったように勝手に扉が開かれる。中のシスターがエデンベールの神託を受けて開いたものだ。
ナグリは突然開いた扉に驚いていたが、バダンタムは動じない。もう既に、手紙の内容で動じすぎているからとも言える。
大聖堂には、四人の男女が居た。
数段高いところにある、彼ら専用の椅子に、各々腰かけている。
そして、その椅子は五つあり、ひとつ空いている。
「うむ、丁度よい頃合いにうまく来てくれた、バダンタム大司教殿。まだ叙階前ゆえ、悪いのだが、今はその近くの椅子に腰を降ろしてほしい」
長く白い髭に、黄色の礼服。
まさしく老齢の聖職者といった貫禄の『黄』のエデンベールが、揚々と着席を促す。
「若いって聞いてたけど、アタシよりちっさいとは思わなかったわ! あははっ!」
そんな右端のエデンベールの反対側、左端の椅子で力強く笑う金髪の若い女性。その腰には、彼女以外は決してこの場に持ち込めない異質なものがある。
剣だ。
その女性は、武装でありながら唯一『司教杖』として認められた聖剣を帯びていた。
そして何より、その礼服の鮮烈な赤。
『赤』のジュンパナは、一見すると女騎士のようであった。少なくとも、聖職者にはまず見えない。冒険者と言われた方がまだ納得できる。
そんな二人に挟まれた白い礼服を纏う老齢の女性と深い黒の礼服の男性は、それこそ聖職者然とした佇まいで、無言のまま祈りを捧げ、厳かな雰囲気を保っている。
『白』のアリヤ、『黒』のセリンボン。
「揃ったようだね」
声が響く。
聖堂全体が、一段階上の神聖な空気で満たされる。
エデンベールも、ジュンパナさえも、先ほどのふざけていた様子が嘘のように、表情を引き締め胸に手をあて祈りを捧げる。
枢機卿の椅子の奥。更に高い段がある。
そこにいつの間にか。
或いは最初から居たのか。
椅子に座っていた。
一人の、
美しい少年、或いは少女が、
座っていた。
純白のシルクを思わせる光沢の肌に、淡い銀髪は陽光を絶妙に虹色に輝かせている。
そして、聖堂の端と端ほど離れているはずなのに、まるで目の前にあるかのような銀の瞳から、バダンタムとナグリは目をそらせない。
瞬きも呼吸すらも、一時忘れてしまっていた。
誰一人身動きの取れない静謐の中。
すう、とまるで人形のような白い腕が手前に伸ばされる。
それは全く届いていないにも関わらず、しかしバダンタムは頭の上に確かな感触を覚えた。
「今、この瞬間を以て、君を『青』のバダンタムとする。
神の恩寵が有らんことを」
そうして、その少年、或いは少女が立ち上がり、ベールで遮られた聖堂の向こう側へと姿を消す。
その足音の残響すら、天界の鐘のように甘美に魂を打ち震えさせる。
聖堂の空気が戻ったとき、バダンタムは椅子から崩れ落ち、呼吸がおかしくなっていた。
「バダ兄! 大丈夫ですか!?」
ナグリが駆け寄って背中を擦る。
そんなナグリも膝が笑っていた。もし直接名を呼ばれたら、触れられれば、自分も無事ではなかったと直感的に理解できていた。
それほどの、存在だった。
「ひ、はっ、はーっ、は、だ、だめ……かも……」
「バダ兄、落ち着いて、深呼吸を……」
「今治癒をかけましょう」
アリヤが素早く駆け寄る。
結構離れて段差もあったはずだが、年齢を感じさせない俊敏な動きでバダンタム達の元に飛び込み、そっと精神を鎮静させる神聖魔法を施す。
他の枢機卿達もバダンタムのもとにやって来る。
「は、ふっ、ぅぅ……あ、ありがとう、ございます、アリヤ、さま」
「無理はなさらないで。教皇様の御聖気に当てられたのです。まずは、救護室で休まれてください」
「ほとんどの者が通る道だと聞く。私も二、三時間まともに歩けなかった。必要以上に畏れることはないが、今日は休むことを奨める」
アリヤが他のシスターを呼び、セリンボンがナグリと共にバダンタムを支える。
「事前に分かっていて自分に直接でなければ、身構えておけるゆえ。天の試練の一つと思えば、実に良き経験であろう」
にこやかなエデンベールの言葉に、ナグリは同意しかねた。そして、アリヤとセリンボンも呆れたような顔をしている辺り、枢機卿ではなくエデンベールがおかしいのだと言外で理解した。
「エデン爺の言う通りだな! 魂鍛えてけ魂! はははっ!」
胸をどんどん叩いて笑うジュンパナ。
言うまでもなく、彼女もおかしい人側だ。