赤の炎 その2
(2019/09/04 誤字修正しました。)
ここは、キャッスルトン王国の西方国境である“魔の森”ヤージ森林帯に沿って迂曲した形状の領地を持つパニアータ辺境伯領の外縁部。
“魔の森”と領壁の間の緩衝地帯だ。
森から湧いてくる魔物に対処するための領域。
といっても、ここでいう対処は討伐ではなく誘導。殲滅は領の中で行なわれる。
そんなことができるのはパニアータ辺境伯領の領壁が、外から見えるこの一枚だけではないからだ。
特に森側は外縁部だけで四枚あり、それらを突破してもあるのは広い農村と冒険者の町。用水路と冒険者が行く手を阻み、居住地や歓楽街はそれらの奥に存在する。
また、四枚の領壁の内部は堅固な隔壁でさらに区切られている。魔物を分散させながら誘導し、閉じ込めては長距離の魔法や火薬兵器などで集中砲火、殲滅するというのが普段の彼らのやり方だ。
空は無防備になっているわけだが、幸いにも空を飛ぶ強力な種の魔物は今現在に至るまで、ヤージ森林帯から現れたという記録は残されていない。
つまるところここにいるのは、最も死の危険に近づく、覚悟をしている精鋭達、ということだ。
特殊な香や魔物を呼び寄せる遺物“魔笛シューリンクス”に繊細な風魔法を組み合わせ、魔物の探知と誘導を行なう。
彼らに求められるのは、単純な魔力量は勿論、正確な魔力操作、気取られない隠密能力、そして機動力。
どんな重装備にしたところで、云万の魔物の群れを前にすればただ轢き殺されるだけ。
故に魔物と戦うどころか対峙することさえ最初から想定しない。軽装でとにかく見つからず素早く移動できることを重視している。
だからこそ、彼らは最強のジュンパナの、“この場で殲滅しきる”という最狂の作戦には肝を冷やしながらも只々従うことしかできなかった。
なんせ仕事は普段と変わらない。
領内に誘導し袋叩きにするか、眼前の一人の手で一方的に討伐されるかの違いだ。ただ、彼女が討ち漏らせば、無防備な自分達は一瞬で蹂躙されるだろうが、元特級冒険者で特級祓魔士である彼女がそんなミスをすることはなかった。
探知担当は、次々と消える魔物の反応に、噂に聞く武勇に偽りなしと只々感嘆することしかできずにいた。
ところで、ジュンパナは今偶然ここに来たことになっている。呼ばれてやってきたわけでは無い。
だが当然偶然でもない。
『黄』のエデンベールお得意の神聖魔法『神託』だ。
無論エデンベールの神託を一般人ならまだしも、同じ枢機卿の位に立つ人間──まあエデンベールに推挙された新人枢機卿、『青』のバダンタムは例外だが、それは仕方ないだろう──が馬鹿正直に信じているわけではない。
教会に身を置く以上、貴族であれ元冒険者であれ、多少の得手不得手はあるとはいえ、神聖魔法をそれなりに修める。つまり、枢機卿まで昇りつめる者であれば普通は神聖魔法の中でも教会が秘匿する神聖魔法の一つ『聖別』が行なえる。
『聖別』は“邪悪”、“欺瞞”と言った世俗の“穢れ”を選り分け、対象を“聖なるもの”とする神聖魔法の基本にして奥義。特に情報や認知、感情に対して干渉する力が高いため、簡単に言ってしまえば発言の真偽が容易に分かる。
つまるところジュンパナは、エデンベールの預言が確かに正しい内容であると理解していた。でなければ、いくら冒険者の稼ぎ場とはいえ、彼女が足を運ぶことなどない。
それこそ大人げない狩場荒らしになってしまう。
では彼女が足を運ばなければいけない程の事態とは何か。
七度目の誘引。付近一帯普段程度の雑魚魔物は殆ど殲滅しきったはず。
にも関わらず、騎兵達は全身の毛が逆立ち、呼吸さえも身体が拒み始める。
(来た。このまま肩すかしなら良かったんだが、エデン爺の神託だからな)
徐々に、そして際限なく、“圧”が上がっていく。
本来魔物に向けることで、その強さを内包魔力から概算する携帯式魔力量計の針が、故障したように右へ右へと値を増す。ついには振り切れ、端をカチカチと煩く針で叩く。
地が震え、空が鳴る。
ジュンパナが口を開いて、手が聖剣の柄に触れた。
「『聖域』」
その腕が聖剣の輝きと共にぶれると、騎兵達を囲うように地面に刻まれたのは幾重もの円。金色に煌めくベールが瞬く間に覆い、彼らと外界を隔てた。
「お前らはそこから動かず、アレの誘導を続けろ。町に向かわせるな」
そう言ったと同時に、前方に広がる木々が消し飛んだ。いや、ジュンパナの一閃が消し飛ばしたのだ。
見晴らしが良くなったことで、彼らは、本能に死を直感させる“アレ”が何なのかを見た。
見てしまった。
怒り狂った原始龍か、百獣巨犀か。なんにせよ、巨大な魔物が出現したのだろうと、そう思っていた。
そうだったならどれだけ良かっただろうか。
もし『聖域』が無ければ、見ただけで魂まで汚染されていただろう。
魔物への処刑装置としての四重の高い防壁が、今は視界を遮ることで純粋に内側の人々を守るために機能している様に彼らには思えた。
それは、見たことも聞いたこともない、黒い何かだった。
遠近感が捉えられないサイズの不定形の黒い塊からは、同じく黒い無数の触手がのたくっている。
いや、あれは手ではない。脚だ。
鈍い光沢を持つ蹄があり、その足先の形だけを見れば山羊のそれと似ていた。が、大きさも数も方向も動きも何もかもがおかしい。
巨大な脚の一本が、樹木の十本をまとめて砕く。関節という概念が無いように好き勝手に地面を踏み抜き、今もなおクレーターを増やしている。
そんな無秩序にも見える脚の塊。上も下も左右も。おそらく前後も。脚ばかりが生えている。
「……ヒィッ!!??」
なのに──それはこちらに視線を向けた。数多の視線を。
誰が上げたとも知れない悲鳴。しかし誰もそれを責められない。
責める余裕がない。
身体がうまく動かない。
ちゃんと立てているのか、呼吸はできているのか、心臓は動いているのか、自分は生きているのか。
遥か遠くに見えるその黒に、頭の中が侵されていく。
それでも誘導の手を止めなかったのだから、彼らはやはり精鋭と言えよう。
それでも無慈悲に、ソレは確実にこちらに向かって近づいてきた。
「コイツは、此処に来ていいヤツじゃねぇな」
ジュンパナは聖剣から滲むの光の残像だけを残して、誰にも聞き取れない独り言共に既にその怪物の眼前まで来ていた。その動きに一切の迷いも躊躇いも無い。
たとえ、眼前の黒い塊の視線が途切れることなく注がれ続け、確実に認識されていると分かっていても、彼女は止まらない。
「一発で還してやる」
何故なら、こいつ自身もそれを望んでいると知っているからだ。
ジュンパナが聖剣を振り上げる。
それは同時に『司教杖』でもあり、彼女がキャッスルトン王国から特級魔法使いに認定されることになった魔法を正確に放った。
「一切有為法は夢幻泡影、露の如し、亦た電の如し
──“金剛杵・三千大千世界裁断”!!」
音が消えた。
形が消えた。
景色が陽炎のように揺らめくそこにあるのは、吹き上がり続ける色すらない灼熱の奔流。
人の眼では知覚できない、可視光を遥かに超える圧倒的なエネルギーを孕んだ光が、しかし決して拡散する事なくその内側だけを灼き払い、この世界からその存在を切り離す。
万物を天に還す、窮極の無色。
そこにはもう、塵芥ひとつ残っていない。まるでただの集団幻覚だったかのようだった。
目の前にあるのは、ただの拓けた空間だ。
聖剣を鞘に仕舞い、短く息を吐く。
「……正味な話、エデン爺から弱点訊いてなきゃ手探りで下手に加減して、もっと手こずってたな」
なんか某英霊が活躍するゲームの宝具みたいになってしまいましたね。Busterだと思います。