赤の炎 その1
久しぶりに枢機卿なお話です。
(2019/09/04 誤字修正しました。)
(あ〜あ、暇だな)
内心そう嘯く彼女の振るう剣は、今も尚数多の斬撃を作り出し、数多の魔物を消し去っている。
その身に纏う鮮やかな赤の法衣は、しかし返り血で染められているわけではなく、それどころか土埃一つさえ付いていない。
体表を覆う魔力が、大抵の物を弾き飛ばして寄せ付けないからだ。
もっとも、そもそも無数の剣戟を無事潜り抜け彼女の体表まで辿り着けることができたらの話だが。
何せ“魔の森”とも呼ばれるヤージ森林帯に普段と大差ない装備で単身突き進み、音を置き去りに振るわれる剣が見通しの利かない木々の隙間をどういうわけか回り込みすり抜けて、視界に入ってすらいない魔物を次々微塵に刻み灰塵にしている。
彼女の持つ魔力の満ちた聖剣のひと振りに触れれば、或いは触れることすら敵わずに、どんなものであれ“解けて”しまう。
それは融けるだとか燃えるだとかを通り越し、灰や煙に帰す葬送の祈り。全てを天へと還す『還元』の秘蹟。
「つーか、こんな雑魚魔物如きで“湧き”だとか舐めてんのか?
十年前はサングマの方に行ったらしいし、それで腑抜けてんだな。この程度も始末できないんじゃ、あいつら王都の雑兵とまとめてタルザムとかいうサングマの近衛騎士に鍛え直させた方がいいな。あとは、あのクソジジイとラ……ランビバザー、だったか? あれぐらいの戦力がこの辺にもいたら態々アタシが出なくてもいいのに」
そう言って彼女は伏し目がちに思い出す。
約七年程前。
まだ一級冒険者・一級祓魔士になった──ただの“魔物討伐のプロ”から、さらに一歩上の段階に足を踏み入れた──ばかりの頃。
叔父でありティンダーリア魔法学園で教授をやっているテライン・マホディランに渋々付き合う形で、彼女は剣技に磨きをかけつつ、その研究室生をボコボコにしていた。
「すいませーん! テラインさーん! 巨蒼牙鰐の目撃報告があって捕獲しに行くんですけど、一級冒険者ぐらいの強い人、一人でいいんで貸してくれません?」
笑顔で駆け寄ってくる、一見オフの日の狩人見習い少年のような男は、しかし陰惨なほどにこびり付いた血の匂いを周囲に漂わせていた。
「はぁ? なんでだよ」
「えー、前に結構良いお酒奢ったじゃないですか。一樽分も!」
「グッ……それは」
テラインとその男は、一見すると親子のような歳の差にも見える。だがそれよりも、彼女はある一点を気にしていた。
「……水棲の魔物とはあまりやりあったことないな」
現地であるティスタ河に移動するまでに、その男、准教授ランビバザー・ティースタバレーから、巨蒼牙鰐について色々と話を聞いた。
要は水魔法も使えるクソデカいワニだ。
凶悪な水の刃で獲物をバラバラにしては、長く伸びた口に幾百と並ぶ凶悪な鋸のような牙で、さらに挽き肉にして千切り喰らう。
場所としてはその男の実家だというティースタバレー辺境伯領の領地だが、領民に被害は出ていない。元よりティスタ河は巨大で深く、流れも速い。付近は崖と林で見通しも悪く足場も不安定で危険。地元の真っ当な人間なら、そもそも近づかない。
だから彼女の目の前でつい先ほどまで凄惨に食い散らかされていたのは、そんな人気のない段丘に隠れ潜む盗賊達や、対岸からの命懸けの亡命に失敗した紛争地帯の哀れな者達だ。
「というか群れなんだな」
「そうなんですよ! これだけの数がいれば、色んなことが調べられますから。とっても楽しみなんです!」
そう、人の大きさの十倍以上は有ろうという巨大鰐が、十体近い群れを成していた。
「で、アタシは運ぶだけでいいのか?」
「はい。いくら丈夫な革に覆われているとはいえ、極力傷は少なくしたいので、死骸目当ての魔物や獣の始末をお願いしたいんですよ」
「ほぉ、つまりアタシは黙って見学してろと?」
(舐めてんのかコイツ?)
ランビバザーはかなり小柄な男だ。
筋肉が殊更付いているという風でもなく、魔力の気配もほとんど感じられない。
こんなヤツがアレを討伐すんのか? と怪訝な目で見ざるを得なかった。
出発前に「てか大体ぶっ殺すだけならテメェ一人でも充分じゃねぇか」とテラインがランビバザーに向かってぼやいていなければ、彼女は納得できなかっただろう。
ランビバザーが申し訳なさそうに、満面の笑みを湛えて答えた。
「えへへへ、すみません。でも、僕の生きがいみたいなものなので、そこは僕の手で全部、愛したいんですよ」
純真無垢な笑顔が、水面にキラキラと輝いていた。
いや、輝いていたのは、血飛沫と、華奢な腕の先から伸びて宙を踊る魔銀鋼線だ。
コイツは断面図が見たかったのだろうか?
見ていてそう思うしかなかった。革も臓腑も骨も筋肉も無関係に、思いのままに断面が作られていく。
自分が呼ばれた理由もよく分かった。確かにあれだけバラバラなきれいに捌かれた肉の山があれば、魔物も獣も寄ってくる。
前後左右上下と様々な厚さにスライスされたヤツが八体。
急所の延髄をピンポイントに破壊し、ほとんど傷無く殺されたヤツが四体。
「オスとメス、それぞれ解剖用と剥製用です。楽しみだなぁ!」
スライスした巨蒼牙鰐の肉の一部を、彼女は報酬として受け取ることになった。
恐るべきことにランビバザーは、喰い千切られた人だったものの破片が散らばっているその場で、捌きたての鰐肉に塩と香草を塗してこんがり焼きあげた後、パンと共に食していた。
「肉食性で臭みが強いかと思っていましたが、思ったより淡白でしっかりとした歯ごたえがありますね。獄炎鷲より好みかも?」
獄炎鷲は彼女も聞いたことがあった。というか討伐したことがあった。
その羽が起こす熱風は肌を焼き、呼吸すら困難にする。縄張り内は火の海と化し、侵入者には二級魔法使いクラスの爆炎球を連射してくる上、近寄れば炎を身に纏った掠るだけで撤退レベルの突撃。
それこそ一級冒険者だろうと一人で相手にするのは自殺行為だ。
「自分からこっちに飛んでくる上、燃えてるおかげで近寄る魔物もいませんから、今回よりも楽でしたね」
あぁ、こいつはきっと今と同じように笑顔を輝かせながら、細切れにしてその場で串焼きにでもしたのだろう。燃えているし。
そんな懐かしい回想に耽っているうちに、彼女は森から本来の前線まで戻って来ていた。
顔を上げると、革鎧を纏った騎兵達の表情が強張るのが分かる。
溜息を呑みこみ、追加の命令を出した。
「おい、まだお前ら魔力残ってんだろ? もう一発寄せろ」
「げ、猊下……しかし……それでは宿営地までの帰還が危険に……」
「あ?」
紅蓮に燃えるような瞳が、殺し合いに飢えたその眼差しが、一個人に向けられる。
“歩く戦乱”の二つ名を持つ、かつて特級まで上り詰めた元冒険者。王国からは特級魔法使いの認定を受け、教会からは特級祓魔士の称号と『赤』の枢機卿の座を手にした、王国の最高火力。
彼女一人で国を日帰りで落とせるとすら噂され畏れられる。
「だったらなおさら死ぬ気でもっと誘き集めろ。アタシが一匹残らず浄化してやるっつってんだ。森の魔物根絶やしにするつもりでやれよ。それともお前、もう朝日は見たくねえってか?」
「めっ、め、そ、滅相も御座いません!! ジュンパナ猊下!!」
「お前らが寄せ損ねたのが、後からお前らもオンナもガキ共も関係なく喰い殺しに来るんだ。お前らでも討伐できるってんなら、アタシはそれでも構わないけどな」
ハンッ、と鼻で笑い浅く日に焼けた金髪を風に揺らす彼女こそ、キャッスルトン王国の冒険者と魔法使いの頂点に君臨する最強の一角、ジュンパナ・マホディランその人だった。
なんかランビバザーさんの話になってた……。